罪と嘘の再会05
※
「いただきます」
樹生とめぐみが目で合図をし合い、申し合わせて同時に挨拶をする。
「召し上がれ」私は2人に言葉を返した。
食卓に家族団らんの風景。樹生とめぐみはにこにこしながら、「美味しい」と料理を褒めてくれる。私は「ありがとう」と微笑み返した。
今こうして2人の傍に居ると、会社での出来事は、すべて幻の世界だったのではないかと思えてしまう。そして、この食卓に自分が居られることに少しほっとしていた。
「美咲、会社どうだった?」
「え……?」
樹生の問いに、恵吾の顔が脳裏を掠めてしまい、心臓が突然止まったかのように息が詰まる。
「やっていけそう?」
樹生が首を傾げながら、優しく笑う。その優しい顔に胸の苦しさが更に増す。
まさか、もう会わないと思っていた恵吾とまた再会してしまい、一緒に仕事をすることになるなんて思っていなかった。
恵吾はあの後、取引先と打ち合わせがあると言って、会議室を出て行った。去り際に「また、明日ね」と意地悪そうに笑った恵吾の顔が心をざわざわとかき乱そうとする。
「……うん!大丈夫」
私はこの温かい食卓の空気を壊したくなくて、思いきり笑顔を作った。「仕事内容は以前やっていたことと変わりないから、なんとかなりそう」
「そうか。それなら、良かったな」
「うん」
樹生と私は笑顔を交わす。
樹生に本当のことなんて、話すことはできない。前よりも、ずっと嘘が上手になっているなと私は思う。食卓に並べられた料理の味が今日ばかりは味すら分からない。
樹生やめぐみに、隠した気持ちを気付かれないよう、私は仮面を被るように笑顔を崩さないことばかり意識していた。
派遣2日目の午後、恵吾と私は某高級ホテルの会議室で取引先と打ち合わせをしていた。会議室に飛び交う言葉は英語で配布している資料も英文。この場所だけは日本ではないみたいだ。
私の横に座っている恵吾は取引先の外国人と流暢に英語で会話している。恵吾はもともと英語が堪能だから、私の役目はあまりない。ただ恵吾の隣で笑みを浮かべ、相槌を打ち、聞き役に徹していた。
打ち合わせの後は予想通り食事会へと流れ込む。接待も仕事の一環だった。こうして英語尽くしから解放された時はだいぶ日が暮れていた。
「お疲れ様。今日は本当に助かった」
恵吾は運転席から労いの言葉をかけてくれる。
「いいえ。私なんてただ隣に居ただけで、あまりお役に立てなくてすみません」
私が居なくても済んだのではないかと思えたくらいだったので、正直、少しへこんでいた。
「そんなことないよ?美咲が通訳で良かったって再認識した。僕が理解できない言葉を先回りして的確にフォローしてくれるから、凄く助かった」
だけどそうやって、恵吾は私の気持ちを宥めてしまう。
「僕の苦手な分野をちゃんと覚えててくれたんだね?」
恵吾が嬉しそうに笑って、私の顔を意味ありげに見た。
「……仕事ですから」
恵吾に浮かされてしまいそうになる気分に流されないよう、私は重くシビアに返した。
「相変わらず、つれないな。美咲は」
恵吾はそんな私を気にする様子もなく、「この後、食事行こう?」とさり気なく誘ってくる。以前の私なら、ふたつ返事で喜んだと思うけど、もうそういうわけにもいかない。
「娘を迎えに行かないといけないので、すぐに帰ります。すみません」
これは嘘だった。娘の迎えは樹生にお願いしているから、もう娘は自宅に居るはずだった。
「そう?じゃあ今日は見逃してあげるね」
にこにこ顏の恵吾の心の中は正直いつも探りきれない。社交辞令なのか、冗談なのか、本気なのか、私は以前も悩んでいた。
「恵吾さんはいつ、前の会社を辞めたんですか?」
「美咲が辞めて割とすぐかな。美咲と違って、僕は円満退社だったよ?」
なんだか棘のある言い方だと思い、「私だって円満退社です」と、少しだけ反発してみる。
「そう?僕は気に入らなかったけどなぁ?」
恵吾はそう言いながらも口調は優しかった。揉める気はないのだろう。
「どうして、この会社なんですか?」
「それは美咲がよく知ってるでしょう?」
恵吾は以前の私達の関係の深さを分からせたいのか、探るように私の言葉を引き出そうとする。私は次の言葉に迷ってしまった。
5年前、私達が一緒に働いていた会社は電気製品の製造会社だった。彼は過去、私に話してくれた。同じモノを設計、製造、販売をするなら、自分はインテリア雑貨や文房具のそれらがしたいと。だから嬉しくも切なくも、恵吾が願いを叶えたんだと理解したけれど、口に出しては言ってあげない。
「恵吾さん、聞いていいですか?」
私は決して期待しているのではないと言い訳しながら、気になっていたことを尋ねることにした。
「こないだ偶然会った時、私がこの会社で働くことを知ってましたか?」
私が『また会える?』と聞いたら、『偶然再会することがあれば』と余裕綽々で返した恵吾。昨日、顔を合わせた時も、恵吾はまったく動揺していなかった。でもポーカーフェイスは上手いから、敢えて出さないということも恵吾はやってのけるとは思う。
「どう思う?」
恵吾は意地悪そうな笑みを見せた。
「私が聞いています」と、負けじと突っ込み返してみる。
「じゃあ、想像に任せる」
「…………」
でも、結局はそんなもんだろう。私が恵吾のペースを乱すのはいつだって容易くない。本音はだいたい聞き出せないし、信じてみても不安になる。
「最寄り駅は名和駅だっけ?」
「はい」
「それなら、自宅まで送るよ」
「いいえ、電車で帰ります」
「家は確か奥名和だったよね?」
「チェック済ですか‥‥」
「そりゃ美咲のことはなんでも知りたいから」
恵吾は甘いマスクで、私が喜びそうなことをスラッと言う。でも私は流されるわけにはいかない。
「それならここで降ります」
車は赤信号で停まっていたから、私はドアノブに手を掛けようとした。
「そんな要望は即却下」
恵吾の少しキツめの声が耳を刺し、車は途端に急発進。私は驚いてドアノブに伸びていた手を止め、正面を見る。信号は赤信号からと青信号に変わっていた。
車が一気に急加速する。フロントガラスから見える景色が線のように流れ始め、助手席に掛かる重力が半端ない。恵吾は一気にアクセルを踏み込んでいた。
「や!や、止めて!事故ったら!」
私は叫ばずにはいられなった。結構なスピード。前方に車は見えなかったけれど、かなり怖い。
「そしたら美咲が責任取って」
それなのに恵吾はふざけたことを言って、更にアクセルを踏んだから、私は余計パニックになる。
「バカなこと言わないで!スピード落として!」
「家まで送る」
「わ、分かったから!恵吾!止めて!」
焦りすぎて、もう怖すぎて、敬語で話すことも、さん付けすることも忘れていた。
恵吾はゆっくりとブレーキを踏み、車のスピードを緩めていく。恐怖から解放されて、思わず深い息が漏れた。
恵吾は策略を練り、私を思い通りにする策士だ。いや、今回はむしろ脅して無理矢理従わせる暴君と言った方がいいかもしれない。まださっきのスピード感が抜け切らなくて、胸がドキドキしていた。
「ねぇ美咲。そんなにトゲトゲしないで?せっかく再会できたんだから」
「…………」
「素直になって?」
恵吾の声は甘い。このワンテンポうわまったドキドキは、車のスピードに恐怖した高鳴りの延長線上だと信じたい。
私はプイっと窓の外を見て、流れる風景に集中する。恵吾の言葉に流されないよう必死に気を逸らし始めた。
自宅の目の前までは絶対にダメとこれだけは死守し、自宅から徒歩5分くらいの場所で恵吾から解放される。
「また明日。おやすみ、美咲」
恵吾は昔と変わらない優しい笑顔で微笑んだ。今、この時間があの頃にタイムスリップしてしまったんじゃないかと錯覚する。また心の中がざわめき始めたけれど、これは今のものじゃない。きっと過去の名残だと私は強く願った。