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罪と嘘  作者: 水沢理乃
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恵吾と美咲の嘘。そして樹生05

 レストランを出て、樹生の身体が私から離れると、樹生の態度は途端に冷たくなって、会話すら無くなっていた。きっと樹生は、私が恵吾との関係を絶たず、あの後も続けてしまったことに気付いたのかもしれない。

 樹生が不倫を反対しているのは明らかで、この気不味い雰囲気をどうにかしようと敢えて私から話しかけたら、逆に恵吾のことを問い詰められてしまう気がした。そう思うと私はただ黙って、樹生に歩幅を合わせて歩くしかなかった。

 近くの駅に辿り着くと、2人きりで居るのが限界でそれぞれ別の電車に乗ることにした。

「美咲‥‥‥」

 別れ際、樹生は低い声で私を呼び止める。私は観念して振り返り、樹生を見た。

「美咲は自分がしていることがどういうことか理解してるんだよな?」

 核心には触れず、私の常識を探るような目でじっと覗き込まれて、私は声を出せずに静かに頷いた。

「‥‥‥そうか。それなら俺はもう何も言わない。アイツに俺が彼氏だと嘘をついたけれど、意味が無かったみたいだしな」

 以前、恵吾が言っていたことは本当だったのだと分かり、そんな嘘をついた樹生の顔色を伺うと、樹生は幾分呆れながらも優しい目をして私を見つめ返した。

「俺はアイツと美咲の関係を賛成してやることはできない。だけど、俺が美咲の味方であることは変わらないよ。だから、何かあった時は俺を頼れ。分かったか?」

 樹生の言葉に安堵して、救われた気持ちになったけれど、樹生はすぐに私の頭を拳でゴリゴリと捩じ込んできたから、その痛さに思わず、「痛い」と抗議する。

「我慢しろよ。俺の方がもっと痛いんだよ」

 樹生は苛めっ子のような顔で笑うと、もう一度ぐっと拳を押し付けた後、その場所を優しく撫でた。

「いっそのこと俺が美咲を‥‥‥‥」

 樹生が消えるような声で何かを言った気がして、私は「え?」と問いかけた。すると樹生はスッと私から離れて、距離を取った。

「なんでもない。気を付けて帰れよ」

 そのまま手を軽く振り上げて、改札の方へと樹生は歩き出した。

 私は樹生の言いかけた言葉が気になって、立ち去っていく樹生を見えなくなるまで見送っていた。



 樹生を見送った後、自宅の最寄り駅に着いた私は、とぼとぼと歩きながら、ひとり溜息を零していた。

 レストランに居た恵吾の姿を思い出しては胸を痛めて、樹生に言われた言葉が身に染みた。恵吾と私の関係はどうしたって認められるものじゃない。

 私がこうして1人で居る時間も、逆に私が恵吾と一緒に居る時間でも、恵吾と香織が夫婦であるという時間は止まることなく刻まれ続けていて、たとえ恵吾が私のことを好きだと言ってくれても、結婚の事実は決して無くなったりはしない。

 だから、恵吾と私がどんなに時間を重ねても何も進展しないし、報われることがないのだ。

 自宅のアパートが見えてきて、私は思わず立ち止まった。少し先の道路の路肩に、在るはずのない見覚えのある車が止まっていたから、嬉しさが込み上げてしまいそうになる。

 だけど報われることはないと嘆く虚しさが、嬉しさを押しとどめて胸を締め付けたから、私は慌ててアパートに向かって走り出した。

 後方でバタンとドアが閉まる音がしたけれど、私は振り返らずに足を進める。でもすぐにグイっと腕は掴まれてしまい、私はそのまま、厚い胸に押し付けられてしまった。

 顔が上げられないくらい強く抱きしめられて、その温もりと微かな香りで、私は誰の腕の中に居るのかをしっかり認識できてしまう。

「美咲……」

 頭上から聞こえた声は疑いようもなく恵吾の声で、私は結局、恵吾に捕まってしまっていた。

「なんで逃げるの?」

 背中に巻き付いた恵吾の腕が少し緩んで、私の顔を覗き込もうとする。私は咄嗟に恵吾の胸に顔をうずめて、答えることから逃げた。

「彼氏とデートだったの?」

 その質問にも答えずに、私はただただ黙り込む。すると恵吾は抱きしめていた腕を外して、私の手を強く引っ張ると、車の近くまで歩き出した。


 車の後部座席のドアを開けて、私を中へと押し込むと、そのまま自分も後部座席に入り、ドアをバタンと閉める。私はすぐに車のシートに押し付けれて、恵吾に激しくキスされていた。

 舌が唇を割って入り、口腔内を舐め回す。息がうまく出来なくて窒息してしまいそうになり、目元に涙が溜まる。

 認められないのに、進展しないのに、報われないのに‥‥。どうして恵吾に強く求められると、もしかしたらそれを覆せるのではないかと期待してしまうのだろう。

 唇を離した恵吾が私の頬を両手で挟んだまま、私の目をじっと見る。

「ねぇ美咲。僕と彼、どっちが好き?」

「………」

「答えて」

 私は答えたくなくて、その質問にもまた無言で返した。

 恵吾が1番好きだと答えれば、私は恵吾の1番になれるのだろうか。

「……今日は奥さんと一緒だったんですね」

 私がどっちの選択肢を答えても、どうしたって変えることのできない見た事実を言葉にした。

 恵吾は私の言葉に寂しそうに笑って、私の頬から両手を外し身体を起こした。後部座席に寄り掛かり、ふぅと気持ちを切り替えるように息を吐く。

「一緒とはいえ仕事だよ。彼女はもともとインテリア雑貨のデザインが専門で、今回は社長の指示で家電のデザインをすることになったんだ。だから慣れないデザインに詰まったらしい」

 恵吾は香織と居た理由を説明し始めた。

「実は今回、社長がゴリ押しして彼女をプロダクトデザイナーにしたんだ。だから彼女にしたら、チームの仲間に助けを求めにくい。それで社長が俺に直接依頼してきたってわけ。でも本当にそれだけだよ。彼女は才能に環境にも恵まれている。彼女は僕がいなくても平気なんだ。たかとんびを必要としないんだよ」

 恵吾はどことなく自分を嘲笑うように言って、冷めた目をした。そして、すぐに笑顔を作ってみせる。でもその表情はまだ物寂しさが残っていた。普段恵吾が見せない寂寞な心の奥に触れた気がして、私は何も言わずに恵吾の様子を窺う。

とんびたかのことわざ、知ってる?」

 恵吾が静かに言葉をつなぐ。

「ことわざ?」

「そう。『鳶が鷹を産む』とか『鳶の子は鷹にならず』とかあるでしょう」

 私はその諺を知っていたから、恵吾の目を見て頷いた。

「僕の父はね。その諺をもじって、『鳶は鷹を産むはずが無いんだから、お前には無理だ』が口癖だった」

 恵吾は私にもう一度微笑んだ後、視線を車内へと移して遠い目をした。

 恵吾の父親について私が知っていることは、アトリエにある大皿の柄が好きだということだけだったから、私は恵吾の話の続きが気になって、次の言葉を待つ。

「父さんは僕が物心ついた頃、小さな雑貨屋を経営し始めたんだ。景気も良かったんだろうな。店は思いのほか順調に大きくなって、輸入品も取り扱ったりしていた。僕はその店に居るのが好きでよく手伝いをしていた」

 恵吾はその頃を思い返しているのか口元を緩ませる。恵吾がインテリア雑貨が好きなのは、父親が雑貨屋を経営してたことが影響してるのかもしれない。

「でもどこかで判断をミスったんだろうな。僕が中学生の頃、父さんの店は倒産した。僕ら家族はたくさんの借金を抱えることになった」

「え?」

 私は和やかな話が続くのかなと思っていただけに、その展開に息を呑んだ。恵吾は苦笑いをして話を続ける。

「父さんは一気に老け込んで自宅に引きこもった。そして母さんはそんな父さんに愛想を尽かして出て行った。家財はほとんど売り払って、僕の手元に残ったのは家族で使っていた生活用品だけだったよ」

 私は返すべき言葉が分からなくて、神妙な面持ちで恵吾を見る。恵吾はそんな私の頭を撫でた後、私の手を握った。

「ごめんね、暗い話をして。僕はさ、父さんが経営していた店が大好きだったんだ。そして、その店にいる父さんも好きだった。いつもすごく自信ありげで誇らしい顔をしていた。だから、僕もいつかあの頃の父さんのように、インテリア関係の仕事をしたいって思ったりする。今は電気製品の製造販売に携わってるけど、どうせ同じモノを作るなら生活雑貨や文房具の製造販売に携わりたい。出来ることなら、お店も持ってみたい」

 恵吾は私の手指に自分の手指を絡めて強く握った。

「父さんが言うように『鳶が鷹を産むはずがない』と言うんなら、僕は父さんと同じように店を経営し、成功して、僕が『鳶』じゃなくて、もともと『鷹』であったことを証明してやりたい。だから父さんだって『鳶』じゃなくて『鷹』だったんだよって言ってやりたい。ただ上手に実力を発揮できなかっただけで、まだやり直せるって励ましたい」

「恵吾のお父さんは今は‥‥」

「相変わらず、自宅に引きこもってるよ。社長と同い年なんだけど、だいぶ老けて見える」

「そうなんですか‥‥‥」

「まあ、なんだか偉いことを言ったけど、自分を『鳶』だと言い張る父さんの言葉に未だ縛られていて、『鷹』になれるようなことは出来てないんだけどね」

 恵吾は顔を曇らせながらも、また静かに笑ってみせた。

「囚われているのは、父さんなのか、僕なのか‥‥」

 恵吾の口から呟くように漏れる声。

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