罪と嘘の再会01
春めく風が街路樹の葉を揺らし、私は吸い込まれるように頭上を見上げた。すると、散り遅れた桜の花びらが舞うことを思い出したかのように葉から数枚旅立っていく。ふとその流れるような桜の舞を目で追いながら、私の足はその場で立ち止まっていた。
この舞は偶然だったのだろうか。必然だったのだろうか。桜の花びらがひらひらと落ちてきて、私の目の前を横切った瞬間、私の目は大きく見開き、前方から歩いてくる姿に身体中の意識を全て奪われていた。
瞬きすら、息を吸うことすら忘れてしまっていた。鉛を撃ちこまれたように重たく鋭く打ち鳴らした鼓動以外は‥‥。
心の中は今すぐ逃げなくてはいけないと叫んでいた。でも身体が動いてくれない。なす術もなく、前方から歩いてきたその姿は道の真ん中で銅像のように固まっている私に気付いてしまった。
突然目の前に現れた彼も、私と同じように時が止まったのだと分かる。目が合った瞬間、彼もその場に立ち止まり、そのまま動かなくなってしまったから。
週末のそこそこ人通りのある歩道の真ん中で、2人だけの緊迫した空気が確かにそこに存在している。
「……ひさしぶり」と、その緊迫感を先に破ったのは彼の方だった。
自分よりも彼の方が冷静なのだと思い知らされる。いつだってそうだ。今も、そして過去も。
「……うん」
ふりしぼっても、私の声はそれしか音にならなかった。
2人が挨拶を交わしてしまった後、その空間には意図的な沈黙が作られる。止まっていたかのように思えた2人の時間は、今度は周りの速さと同じように動き出していた。
その速さが私は怖くなる。このまま何も言わなかったら、彼はきっとこのまま、何事も無かったように去っていくのだろう。
彼が小さく深呼吸した。肩と胸のあたりが上下に動く些細な仕草も食い入るほど見つめていることに気付かされる。彼の目元と口元がへにゃりと緩むのを見て、ぞくりと背筋が震えた。瞼に焼き付いているその顔を5年ぶりにまた見てしまい、私は再び果てしない混沌に堕ちていくのだと分かってしまう。
「じゃあ……ね」
彼は語尾をいやらしく強調して、私と視線を合わせたまま近づいてきた。そして、私の身体に触れるか触れないかのすれすれの距離で横をすり抜ける。
触れそうだった肌が忘れていたはずだと思っていた感覚を身体に走らせる。目元がキュっと熱くなって、涙が溢れそうになる。
『美咲は気持ちのままに、僕にぶつかってくればいい。コントロールは僕がするから』
いつかそういった彼の声が私の頭の中を木霊し、誘惑する。
「恵吾……」
私は去って行こうとする恵吾の服を気持ちのままに掴んでしまった。
身体が引き戻された恵吾はゆっくりと振り返り、涙にあふれた私の瞳をじっと見た。そしてすぐに私の手を強く握り返して、私の手を引いて歩き出していた。
握られた手が強く引っ張られるのと同時に、ホテルのルームドアがバタンと閉まる。腕が引っ張り上げられたと思ったら、私の腰は恵吾の腕の中に捕らえられていた。
一度軽く優しいキスが唇に落ちる。恵吾の細めた目が私の視線を捕えて、「引き返せないよ?」と訴えていた。それでもなお、私は引き返すことなんて選べない。支配されることを望んでいる。
私の唇が緩まると、恵吾は熱さと激しさで私の唇を塞いだ。舌が絡み合い、2人の熱い息が混ざる。ベッドはすぐそこなのに、私は壁に押し付けられて貪られていた。
恵吾と壁に阻まれた身動きの取れない抑制感が内に秘める更なる欲求を呼び起こす。その唇で、その指と手で、恵吾のすべてに溺れたいと願う。
目元に、耳元に、首筋に‥‥‥。唇で這わされる度に泣きたくなるほど声が漏れる。慣れた手つきで、私の服はどんどん乱されて、快楽に抗えない感部だけが露わになる。舌で歯で、刺激はなおもいっそう与えられる。
スカートの下に恵吾の手が滑り込み、薄い布の隙間を這う指が私の快楽を探ると、部屋中に涙と共に甘い息がなお零れる。立っていることがやっとで、私は恵吾の首にすがりついた。
「美咲……くっつきすぎ。離して……」
「嫌……」
恵吾の体温を5年ぶりに感じてしまったら、もう離れたくなくなってしまった。この腕を解きたくない。このまま時間が止まってほしい。
恵吾は私の腰を引き寄せて抱き上げると、すぐそばにあるベッドに私を押し倒した。恵吾の身体の重みを全身で受け止めて、この身体が幻ではないと実感する。恵吾が私の目の前に居る。腕の中にいる。
「美咲……」
呼ばれて恵吾の顔をみると、愛しい顔がぼやけて、私は泣いているのだと知った。恵吾の唇が私の目元の涙を吸う。そして、唇が耳元に向かう。
「美咲。愛してる……」
それは嘘だろう。いや、もしかしたら、本当かもしれない。でも、何の価値もない言葉。
「私も愛してる……」
私の言葉は恵吾にとっても、嘘になるの?
2人は切ない目線を一瞬交わした後、また深くキスを続けた。