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罪と嘘  作者: 水沢理乃
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恵吾と美咲の罪07

 次の月曜日。恵吾の態度は朝から何処となく冷たかった。

「田辺さん。申し訳ないんですが、午後から外回りに付いてきてください」

 恵吾は冷めた口調で午後の指示を出してから、大野と一緒に昼休みに出て行く。昼休みが終わるまで後1時間弱。その間に冷静さを保てるよう心構えをしなければと、私は周りに気付かれないよう静かに溜息をつく。

 私が恵吾を避けてしまったせいか、重苦しい空気が2人の間だけを行き交っていた。このまま深く関わらないように出来るのならば、あまりウマの合わない派遣先の職員として無理矢理やり過ごしてしまえばいい。

 だけど、さっそく午後から恵吾と2人きりで外回りをしなくてはならなくなってしまう。逃げたくても逃げられない。

 昼食が終わり、私と恵吾は必要最低限の仕事の確認だけして外回りに向かう。移動中の車内はこれといって会話はなく、先方との打ち合わせはとりあえず話方と通訳の関係を全うした。

 そして、会社へと戻る車内は、また非常に重苦しい気不味さが立ち込めていた。

「田辺さん。会社に戻ったら、今日の打ち合わせの記録をお願いしてもいいですか?」

「はい」

「それと申し訳ないけれど、次回の打ち合わせ資料をまとめてください。僕も今日は社内にいるので、分からないことがあれば聞いてくれても構わないです」

「分かりました」

 恵吾は業務ついて淡々と話しかけてくる。でも話し方はとても他人行儀になっていた。それに初対面時の険悪な雰囲気に戻ったようで、恵吾は朝から一度も笑ってくれない。

 私のことを名前で呼んでくれていて、2人きりの時は美咲と呼び捨てにしてくれていたのに、ずっと苗字で呼ばれて悲しくなる。

 知り合ったばかりのただの上司と部下みたい‥‥‥。一時でも親密になれたと思っていたけれど、結婚していた恵吾。だから私達はこれからただの上司と部下になるしかない。

 でも恵吾の優しい笑顔や話し方を知っているだけに、私に向けられなくなったそれらが胸を締め付けていた。

 私は車を運転する恵吾の横顔を横目で見た。せめて、前みたいに笑ってくれたら‥‥。

 恵吾の横顔が瞼に溜まった涙でボヤけていく。

 赤信号で車が停まり、恵吾が私の方に振り向く気がした。私は慌てて顔を反らす。反らしたと同時に瞼が落ちて涙が頬を流れてしまいそうになり、私は慌てて涙を指で拭き取った。顔を見られたくなくて、助手席の窓外を眺める。

 考えたら泣き出してしまいそうで、私は何も考えないように意識をシャットダウンした。

 恵吾と他愛ない話をする器量の良さなんて私にはない。笑ってくれない恵吾の顔を見る勇気もない。とにかく何も考えたくない。

 私は自分の意識を無理矢理放り出して、窓の外を流れる景色をただただ眺めていた。




「‥‥‥美咲、起きて」

「‥‥‥ん‥‥」

 優しい恵吾の声が聞こえて、意識がふわふわした。軽く身体を揺すられて、私は重たい瞼を数回、動かす。

「降りるよ」

 助手席のドアから流れてくる外気。目を開けると助手席のドアを開けた恵吾が私の顔を覗き込んでいた。

 私は驚いて、目だけで辺りを見回す。私は助手席に座ったままで、恵吾に突然起こされたせいか、頭が少し重かった。

「‥‥‥ごめんなさい」

 状況を理解して、咄嗟に謝る。仕事中だというのに私は居眠りをしてしまっていた。

 恵吾の結婚の内実を聞かされた金曜日の夜から、私はあまり眠れていなかった。そのせいか車の振動に眠気を誘われてしまったのだろう。

 身体を起こすと、予想外の景色が目の前に広がる。

「どうして?」

 私はそう尋ねていた。

「美咲、疲れてるみたいだから早退扱いにしといた。降りて」

 恵吾の話し方は優しい口調に戻っていて、呼び名も名前だし、他人行儀じゃない話し方になっていた。私は恵吾に手を引かれて助手席から出る。そして、また恵吾のアトリエの前に立っていた。

 眠りから覚めた途端、欲していた恵吾の優しい口調に触れ、頭は変にふわふわした。恵吾に繋がれた手は温かい。私は抵抗することを忘れ、恵吾に手を引かれたままアトリエの中に入った。


 恵吾は私をキッチンのそばにある椅子に座らせるとコーヒーを淹れ始める。コーヒーの香ばしい匂いが鼻をすすり、脳が活性化していく。

 さっきまでの眠気が薄らぐと同時に、今このアトリエに恵吾と居ることを実感して、変に焦りを覚え始めた。

「美咲、コーヒーに砂糖とミルク入れる?」

「え‥‥あ、‥‥さ、砂糖をお願いします」

「砂糖ね‥‥‥‥‥‥はい」

 砂糖を入れたコーヒーを恵吾から手渡される。渡してくれた恵吾の目は優しく緩んでいたけれど、どことなく寂しげな目をしていた。

「‥‥‥‥ありがとうございます」

「うん」

 コーヒーカップを口につけながら、近くの椅子に座る恵吾。

 2人きりのアトリエで会話が無くなると、打放しコンクリートの壁に囲われた空間は一気に無機質に冷たく静まり返る。コーヒーを啜る微かな音でさえ、響いていくような気がした。

「‥‥‥遠野さんの今日のお仕事は?」

 静けさに居た堪れず、私は声を出した。

「僕も早退にした。ただでさえ、いつも忙しいんだから、打ち合わせのない時くらい早く帰ってもいいかと思って」

「そうですか」

 でも会話を繋げられなくて、また沈黙が訪れる。

 コーヒーを飲み終えてしまうと、どうしたらいいか分からなくなってしまい、私はコーヒーカップをキッチンに戻すとアトリエの中を歩き出した。

 恵吾に初めて連れて来られた時と変わらない風景。吊るされた写真を、前に来た時と同じように眺める。白黒に映し出された日常生活の一コマが写真の中で時を止める。結婚の事実を知らなかった日に遡ったみたいだった。

 恵吾は何故、私をここに連れてきたのだろう。私達はどんな結論を出せばいいのだろう。ちゃんと向き合わなければと意を決してモノクロ写真から視線を外し、恵吾が座っているであろうキッチンの方を見ると、そこに恵吾の姿はなかった。

 突然、身体がふわっと温かさに包まれて、私の鼓動は大きくドキンと高鳴った。私は恵吾に背中から抱きしめられて、恵吾の腕の中に入ってしまっていた。

「‥‥‥彼氏‥‥いたの?」

 恵吾の掠れた声が息と共に耳をくすぐる。私はビクッと一瞬身体を縮ませて、声を失った。

「……あの後、美咲の自宅まで行ったら、改札で見た男と家に入って行くのを見た」

「え‥‥?」

「その男が帰ったら話をしようと思って待っていたら、美咲の家から出てきたその彼が僕に気付いて、『美咲が真剣に付き合っているのは俺で、お前のことは遊びだ』って美咲が言ってたって‥…」

 恵吾が自宅まで追いかけてきてくれたこと。恵吾の言う彼氏とは、おそらく樹生のことだということ。そして、樹生は恵吾に私と付き合っていると言ったということ。

 恵吾から明かされた全ての内容に驚いて、私は言葉が出てこなくなっていた。でも恵吾の次の言葉は、とどめを刺す勢いで酷く胸を突き抜いた。

「美咲だって、人のこと言えないじゃない」

「……っ!!」

 私は思わず恵吾に向き直り、恵吾の頬を叩いていた。

「痛‥‥っ」

 恵吾は私に叩かれた頬をさする。

 恵吾に言われた言葉は信じられなかった。そう言われたことが、とてつもなく悔しかった。悔しくて、悲しくて、瞼に涙が滲み出す。

 私は真剣に恵吾のことを考えていた。恵吾だけを見ていた。恵吾だって私だけを見てくれてくれていると信じていた。それなのに、裏切られたのは私。私の真剣な思いと恵吾の曖昧な思いを一緒にして欲しくない。

「どうして……」

 私なんかを相手にしたの?どうしてキスなんかしたの?どうして思わせぶりな態度を取るの?私との関係はどういうつもりだったの?

 思いはどんどん湧き上がるのに、悔しさのせいで何一つ言葉にはならなくて、私は恵吾の胸を拳で叩き出した。苦しくて、悲しくて、抑えられない感情が涙になってどんどん溢れ出す。

 私が思いっきり恵吾の胸を叩こうとした時、その腕は恵吾に掴まれた。涙でぐちゃぐちゃになった顔で私は恵吾を見る。

「……なんで、僕の前で泣くの?」

 恵吾は切なく苦しそうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。そして、私の目元に唇を近付けて、涙をすする。私は驚いて、涙が止まってしまった。

 恵吾の唇が目元から離れると、視線がまた重なる。

「……その涙はどういう意味?」

 恵吾は私の答えを待たずに、すぐさま私の唇を塞いだ。それは以前アトリエで交わしたあの誓いのようなキスと同じで、私を愛しく思ってくれているような優しく、甘いキスだった。

 私の後頭部を支え、逃がさないように抑え込みながらも、降り注ぐたくさんのキスは甘く優しくて、角度を変えながら、私の唇を甘噛みするように何度も何度も求めてきた。

 惹かれてしまった後の気持ちって、なんて残酷なんだろうと思う。私はそのキスに逆らうことも拒否することもできなかった。好きな人に触れられる唇が彼を強く求めて、身体の全てが過敏に反応する。

 恵吾のキスに心も身体も骨抜きになってしまい、私は体重ごと全て恵吾に預けてしまっていた。

 身体の力が入らなくなった私を恵吾をヒョイと横抱きに持ち上げると、そのまま中二階にあるベッドの上に押し倒す。私の身体は恵吾の突っ張った腕の中に囲われてしまい、恵吾の余裕のない目に見下ろされてしまった。

 その目に鼓動が一気に駆け上がって早くなる。

「前にも言ったけど、ここには美咲しか連れてきたことがない」

 鳴りやまない鼓動の音でかき消されそうな恵吾の声に私は耳を傾けた。

「だから……、このアトリエだけは聖域。ここに居る僕は結婚していない。美咲は彼氏がいない。そういうことにしよう?」

「‥‥‥え?」

 恵吾の言葉の意味を理解しようとしたけれど、恵吾が突然、私の服を脱がし始めてしまったので、私の思考はそこでストップした。

「きゃ…っ」

 恵吾は私の上着の裾に手を掛けるとスルッと上に持ち上げる。ツルツルした素材でできていたカットソーは簡単に剥ぎ取られてしまい、手首に引っ掛かって私の腕を拘束する。

 その隙に背中のホックは簡単に外されて、私が慌てて恵吾の身体の真下から後退りして逃れた時には、カットソーと下着は恵吾の手に渡り、ベッドの外へと投げられてしまった。

 私は咄嗟にベッドから逃げようとした。だけど、それと同時にスカートとショーツは恵吾の手に掴まれてしまい、私はあっという間にそれらも剥ぎ取られてしまう。

 何も身に着けず、裸にされてしまった私は恥ずかしさのあまり、自分の腕だけで胸を隠し、足をぎゅっと閉じて、ベッドの端にうずくまった。

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