84 満天
「ねえ、私の指輪」
避難所にいたある女が、自分の手を指さした。
彼女の指は淡く光っている。
周囲を見ると、何人かのアクセサリーが同じように光っている。
女がそのまま見ていると、指輪の光は上に向かっていった。
「『宝石』が、消えた……」
残された指輪に、主役はいなかった。
***
突然消えた悪魔と『宝石』。
祓魔師たちの雄叫びが聞こえていた避難所の周りも、静寂に包まれた。
クレアラッツの市民は、何も言われなくても悪魔の全滅を感じ取った。
多くの市民と祓魔師は、一斉に喜びの声をあげた。
もう悪魔に怯えることはない。
悪魔に襲われた者たちの無念も晴れた。
その一方で、泣いている市民もいた。
『宝石』で生計を立てていた者たちだ。
悪魔は市民を脅かす存在であったが、彼らのように悪魔の全滅が人生を脅かす者もいたのだ。
泣いている市民の中には、悪魔を妻にしていた者もいた。
その後、ローズの声で悪魔の全滅がジェノマニア王国全土に告げられた。
ローズの言葉はすぐに全世界中に伝わった。
しかし、これには多くの謎が残っていた。
どうして悪魔が全滅したのか。
どうして探偵であるローズが祓魔師を指揮し、この放送をしたのか。
ローズは言った。
明日の朝にモルディオが遺したノートを読み上げる。
そこに全ての真実が書かれている、と。
***
道端に落ちた全ての『宝石』が、光となって空に昇っていく。
その景色は満天の星空のようだった。
「……綺麗」
と、ミルフィが呟いた。
ハミルも外に出て、一緒に空を見上げる。
「本当だ。モルディオにも見せてやりたかったな」
昇っていく光は、人々の願いを乗せる流れ星とよく似ていた。
「……って、あいつならこの未来も見てたかもなぁ」
駅がある方面に、一際大きな光が昇っていくのが見える。
それが何を意味するか、ハミルはすぐに理解した。
「ミルフィさん! 行こう!」
ハミルはミルフィの腕を取り、走り出す。
***
大きな川のある、砂漠のような場所。
その川にシンクが足を踏み入れた。
「なあセビ」
シンクは振り返った。
膝まで、川に浸かっている。
「俺は何も後悔してねえぜ。俺にしか倒せねえ強い悪魔と戦って、お前の目で悪魔の全滅を見ることができたんだ」
いつもの口調で話しながら、一歩、一歩と踏み込んでいく。
川が深くなっていく。
「これからは、自分のやりたいことをしろよ。『宝石』怪盗はもうできねえから、絵画泥棒ってのはどうだ? 世界中のハンバーグを食い尽くす、ハンバーグ泥棒ってのも面白そうだな。それを見られねえのは……まあ、少し残念だけどよ」
腰から下が、見えなくなった。
「たまには店に食べに来いよ。『宝石』がなくなった今じゃ、あの店が俺の生きた証だ。あいつらが店をずっと残してくれるって、俺は勝手に信じてるんだぜ」
シンクは笑顔で片手を上げた。
「じゃあな。早死にするんじゃねえぞ」
また明日も会える。
シンクの声は、そう感じさせる程現実味がなかった。
***
全ての『宝石』が消えるのを見届けたセヴィスは、大きな虚脱感に襲われた。
壁に倒れるように寄りかかり、座り込む。
自分は、夢を見ていたのだろうか。
手に持っていたタロットカードは完全に消滅した。
ナイトメア・カタルシスと黒いナイフは、刃の部分だけ消えた。
髪の色も、元に戻っている。
もう、シンクと話すことはできない。
本当に、長い時間を掛けてしまった。
何人の祓魔師が死んだのだろう。
昔望んていた悪魔の全滅を迎えた今、セヴィスが思うのは申し訳ないという言葉ばかりだった。
店に陳列されていた『宝石』は全て消え、ガラスケースは空になっている。
これからは、『宝石』を盗むこともない。
視界が霞んで、ガラスケースが濁っているように見える。
このまま誰も来なければ、自分は死ぬのだろう。
それでもここで死ぬという気はしない。
ここで誰が来たとしても、ローズによって牢獄に監禁されるだろう。
この左足が治らなかったら、脱獄も難しい。
でも、してみせる。
自分には、まだやることがあるから。
「おい、大丈夫か」
ハミルの声が聞こえる。
重い瞼を持ち上げると、ぼやけた人影が二つ見える。
そのうち正面にいる一人がハミルだということは分かったが、もう一人は横にいてよく見えない。
「よかった、生きてるな」
ハミルは瞼の動きだけで自分が生きていると気づいたようだ。
何を話せばいいのか分からず逡巡していると、横からそっと抱き寄せられた。
懐かしさすら感じる暖かい腕の中は、心からの安堵を与えてくれた。
「……ミルフィ」
傷だらけの手で、彼女の腕に触れる。
本当は、何も言わずに抱き締めたかった。
それなのに腕がひどく痛んで、上げることもままならない。
これでは、言葉で伝えるしかなさそうだ。
「ありがとう……お前がいなかったら、勝てなかった」
彼女は何も言わず、微笑んだ。
視界が霞んでいるのに、彼女だけははっきり映っていた。
「俺のせいで、何人も死なせてしまった。本当に……すまなかった」
と言うと、ハミルは首を振った。
「よくやったよ、お前は。これでお前を咎める人間がいたら、おれが許さねえよ」
ハミルの手が肩に置かれる。
それだけで今まで複雑に絡み合っていた緊張の糸が解け、意識が遠のいていった。




