82 マリオネットとガラス片
タロットカードを奪われたサキュバスは、物を浮遊の魔力権で浮かし、それを地面にたたきつけて攻撃している。
障害物にぶつけない限り追尾してきた光線に比べれば、避けるのは容易い。
それでもナイフは隙がなければ当たらない。
「ちょっと、返しなさいってば!」
サキュバスは冷静さを欠いて激昂している。
サウスが殺された時よりも怒っているように見える。
「それを返してくれたら、彼が無事か教えてあげるわよぅ!」
浮遊の魔力権がタロットカードを引っ張ってくる。
サキュバスと距離が開いているからか、指に軽く力を入れるだけで抵抗できた。
「余計返せないな」
アフター・ヘヴンは消えた。
サキュバスの武器も奪った。
後は、絶好の機会を見つけてサキュバスを倒すだけだ。
みんなが、無事でいてくれること。
それだけを願って、セヴィスは最後の攻撃を繰り出せる瞬間を探す。
「このまま逃げられるとでも思ってるのぅ!」
サキュバスは両手を広げて悪魔を呼び出す。
目の前に五体の悪魔が現れた。
さらに元々近くにいた悪魔が呼応したらしく、五体を超える悪魔がやって来て、道を塞ぐ。
「失せろ」
セヴィスは手に持っていた全てのナイフを投げる。
ほとんどが命中したが、悪魔はまだ半分以上いる。
その時、視界がさらに暗くなった。
上を見ると、大型の車が自分に向けて落下してきていた。
「なっ」
サキュバスが魔力権で放り投げてきた車らしい。
とっさに避けようとしたが、悪魔が大剣を交差して道を塞ぐ。
この悪魔たちはサキュバスの為なら道連れも厭わないようだ。
上に跳躍しようと思ったが、上は余計危険だ。
空中はサキュバスに攻撃してくれと言っているようなものだ。
「……ちっ」
悪魔のせいで、ほんの一瞬逃げ遅れた。
左の足首が、車と地面の間に挟まってしまった。
「あっはははは!」
サキュバスの嘲笑が聞こえる。
足を引っ張ってみるが、びくともしない。
「もう逃げられないわよぅ! さあみんな、殺してしまいなさい!」
悪魔に鎌を投げて少しの時間を稼いでから、タイヤにナイフを投げて空気を抜く。
サキュバスが接近する前に車の下から抜け出すことはできたが、左足の骨が砕けてしまったらしい。
これで左足は完全に使い物にならなくなった。
「きみはその逃げ足で、怪盗って呼ばれる程の泥棒になって、S級にまでなった。ふふふっ、逃げられないきみなんて、ちょっとナイフ投げが上手い凡人よねぇ!」
サキュバスは大口を開けて笑う。
それを聞いていると、はったりを言う余裕まで失せてきた。
サキュバスがいる今は大して左足の痛みを感じないが、冷静になってみればさぞかし痛いだろう。
サキュバスは治癒があるので、痛みは傷を受けた時しか感じないのだろう。
一切疲労していないように見える。
「もうおしまいよぅ!」
このまま死んでたまるか。
何のために、ここまで来たんだ。
何のために、生きてきたんだ。
頭に何度も言い聞かせ、暴れる心臓を落ち着かせる。
すべては、この時のために。
自分は麻薬夫妻の一人息子として生まれ、グロウの操り人形として生きてきた。
S級祓魔師と怪盗フレグランスは、サキュバスを倒すための、グロウの操作に過ぎない。
今まで自分の足で歩いているように見えて、ずっと見えない糸で操られていた。
そんな自分が、サキュバスを倒して初めて、誰かの拘束から解放される。
本当の意味での自由を手に入れる。
そのために、イノセント・スティールは必ず完遂しなければならないのだ。
「まだだ、まだ、終われない……」
セヴィスは左の膝を地面につけたまま、ワイヤーを振り回して悪魔を退ける。
視界が再び暗くなり、サキュバスがまた何かを投げてくるのが分かった。
前方の街路樹にナイフを投げ、ワイヤーを収縮させて体を引き寄せる。
「ほんと、諦めの悪い子」
サキュバスが壊れた車のガラスの破片を宙に浮かべる。
セヴィスは最初と同じように、ワイヤーだけで空中を移動する。
ガラスの破片が霰のように降ってくる。
空中では思うように避けられず、身体の至る所に浅い傷ができた。
頬と左肩に刺さったものが特に鋭く痛む。
「どこに逃げるのかしら? その先にはもう仲間はいないわよぅ!」
さらにガラスが降ってきた。
瞼をわずかに切られ、血で右目の視界が塞がれた。
それでも、止まるわけにはいかない。
***
同時刻、刑務所前の悪魔は全て『宝石』に変わっていた。
ここは元々十体の悪魔がいたのだが、途中でサキュバスに呼び出されたらしい。
半分以下に数を減らした悪魔はハミルをはじめとする祓魔師に倒された。
「あいつ……」
刑務所前の悪魔が全滅したことをローズに報告したハミルは、同時に彼の死を知ることになった。
拳を強く握りしめて堪えようとしたが、どうしても感情を抑えられなかった。
「馬鹿野郎! 何でも、一人でやりやがって……っ!」
ハミルは顔を伏せ、刑務所の中に入る。
入口では安全と確信したのか、ミストとミルフィがいた。
「モルディオは……最後までよく分からん奴だったな」
としゃがれた声で言って、ミストは煙草を口に銜えた。
「一言ぐらい、お礼を言いたかったよ。モルディオがいなかったら、あたしは所持者について何も知らないままだったから」
ミルフィは顔を隠すように俯いている。
今までと雰囲気が違うように感じるのは、所持者ではなくなったからだろうか。
「あいつは笑って死んだって、ローズが言ってた。あいつは何も後悔してねえんだ」
ミルフィは手で顔を覆う。
泣いているのは明らかだった。
隣のミストは平然を装っているが、火が点いていない煙草をずっと銜えている。
「セヴィス、早く戻ってこいよ。ミルフィさんを慰められるのは……お前しかいねえんだからよ」
ハミルは窓から見える空を見上げ、目を閉じる。
堪えきれなかった涙が零れ落ちた。




