81 ラスト・ギャンビット
「ねえローズ。今の僕、どんな顔してる?」
剣に串刺しにされた臓器の肉片が、生き物のように蠢いている。
そしてそれは、悪魔が『宝石』になると同時に消えていく。
「わからないんだ。今の僕が……どんな顔をしてるのか」
モルディオは息を切らしながら言った。
悪魔は立て続けに来ていたが、今はいない。
「すごく変な気分なんだ。こんな気持ち、今まで感じたことないよ」
「あなたがどんな顔をしてるのかって?」
「うん、教えてよ」
「笑ってるわ。今まで以上にえげつない顔をしてるわ。この状況で何が面白いのか知らないけど」
ローズは目を合わせようともせずに、冷たく告げた。
現在ローズは自分が候補生であると嘘をつき、祓魔師たちに指示を送っている。
「僕は、この状況を楽しんでいるんだね。ははっ、とうとうおかしくなっちゃったのかな」
「あなたがおかしいのは元々じゃない」
ローズは下を見ている。
決して、彼を見ようとしない。
迫る何かを、確信したくなかった。
「……君は相変わらず手厳しいね」
「今のあなたは、理性を失ってるとしか思えないわ。逃げて来た祓魔師も無差別に殺すなんて、どうかしてる」
彼の足元には五十を超える『宝石』と、人間の死体が三つ転がっている。
その大半はモルディオが殺した悪魔で、レイクが倒した悪魔は十にも満たない。
「ぱっと見ただけじゃ、わからないんだよ。悪魔と人間、どっちが来たかなんて」
「そう。あなたの言葉、同じ人間の言葉とは到底思えないわ」
違う、言いたいことはこれじゃない。
ローズは素直になれない自分に向けて、そして彼にもため息をついた。
誰もが無謀だと思ったモルディオの采配。
その意味を理解したばかりだった。
「これが、最後になりそうだね」
扉の向こうから、悪魔のものと思われる足音が聞こえてくる。
先程と比べると、数も少ないようだ。
お願いだから、もう来ないで。
ローズは唇を噛みしめて、心の中で願っていた。
彼の身体は立っているのが不思議な程の重傷だ。
剣も使い物にならなくなり、今は悪魔から奪ったものを使っている。
だがそれも、先端が折れている。
剣と相手の武器がぶつかる鈍い金属音が、何度も部屋に響く。
剣が折れる音がした。
肉を切り裂く音がした。
何かが落ちる音がした。
早く終わって。
これ以上、彼を傷つけないで。
「ぎゃあああっ!」
悪魔の悲鳴が部屋に響いた。
ローズは思わず振り返る。
勝った、と確信した。
その時だった。
突如、悪魔の背後から現れた、一筋の光線。
それが、悪魔の背中を突き抜けて、彼の胸を貫いた。
サキュバスの仕業だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「ベルク……っ!」
ローズは我を忘れ、彼の元に駆け寄る。
下に広がっていく血溜まりの大きさに、息を呑んだ。
光線は彼の左胸――心臓の位置を貫いていた。
「これで、終わりだね。悪魔も……僕も」
そう言って倒れそうになる彼の身体を、ローズは支える。
そのままゆっくり膝の上で寝かせた。
「サキュバスが死ぬのも、時間の問題だよ」
「……」
ローズは何も言えなかった。
何を言えばいいのか分からなかった。
「……レイラ。一つ、頼んでいい?」
と、彼はかすれた声で言った。
ローズは黙って頷いた。
「寮の僕の部屋に、白いノートがあるんだけど……全てが終わったら、それを、読み上げてほしいんだ。全部、そこに書いたから」
「全部って、あなた、まさか」
「僕にできる……最後の罪滅ぼしだから」
「……わかったわ」
無線の呼び出し音が鳴り始めた。
出ろと言うように、彼の右手が無線を指す。
ローズは一度目を閉じ、立ち上がって無線を手に取る。
「悪魔にはアフター・ヘヴンっていうのがあったけど……人間にはないのかな」
人間に『宝石』はない。
『宝石』がなければ、アフター・ヘヴンが存在することもない。
そんな現実に、ローズは目を背けていた。
「みんなは、僕のことを許さないかもしれないけど……もう少し、みんなと一緒にいたかったな……」
後ろから聞こえる、彼の些細な呟き。
その一言一言が、胸に沁みた。
『こちらクロッカ避難所、悪魔を全て討伐しました』
無線から聞こえる報告は明るい内容にも関わらず、声が暗い。
先程から聞こえてくる報告はほとんどこのような雰囲気だ。
何故時間が経ってから祓魔師が押してきたのか、その理由を知るのはローズただ一人だ。
「人の心を弄んだあなたの采配は、本当に正しかったのかしら。わたしには分からない」
ただ仲の良い祓魔師を集めたように見えた彼の指示。
その真の目的は、祓魔師たちの復讐心を煽る為。
下級の祓魔師が倒されることで、仇を討とうとする上級は悪魔を憎み、真価を発揮する。
それを利用したのが、モルディオのクレアラッツ防衛線だった。
「あなたのやり方には昔から賛同できなかった。でも、あなたじゃなかったら、この勝利はなかったかもしれない」
ローズは目に腕を押しつける。
それでも、涙は溢れ出してくる。
すると血まみれの手が伸びてきて、涙を親指で拭った。
「君が泣いてくれるなんて、思わなかったよ」
彼は、落ち着いていた。
まるで、最初からこうなることを分かっていたかのように。
「ごめんなさい。わたしが、あなたの最期を看取る人間で」
「何で謝るの……? 別に、怒らないよ」
今にも消えそうな声で話しながら、彼はいつも通りの冷笑を見せた。
「むしろ、驚いてる。死ぬときは……独りだって、思ってたから」
ローズは彼の顔に手を添え、そっと唇を重ねた。
それに応えるように、彼の手がおもむろに首筋に触れた。
わずかな間だけでも、彼を心に刻みつけたかった。
「……ありがとう。ただそれだけ、だよ」
彼は、微笑を浮かべて、目を閉じた。
力の抜けた腕が滑り落ちる。
ローズは彼の手を取り、強く握りしめ、その上に涙を零した。
「さよなら、ベルク。あなたをほんの少しでも好きだったこと、忘れない」
冷たくなっていく彼の身体を抱き締めて、ローズは一人嗚咽した。




