77 黒いナイフ
「きみさ、何か焦ってない? それとも、何か待ってる?」
そう言って、サキュバスは川の向こう側に降り立った。
川を挟んで、セヴィスは鎌を回収する。
川を渡らせることは成功したが、誘導の意図を感づかれたようだ。
「忘れてたわ。そういえば、司令室はどうなってるのかしら。何も連絡がないってことは、まだモルディオは生きてるってことかぁ。彼も意外としぶといのねぇ」
サキュバスは、焦る理由をモルディオと考えている。
まだミルフィの存在には至っていないようだ。
そう思った時、
「あ、分かってきたかも。わたしが催眠術を使えない理由」
サキュバスが手を叩いた。
反射的にセヴィスは鎌を投げる。
サキュバスは考えながら、鎌の攻撃をかわしていく。
「フレグランスは全てのダイヤモンドを盗んだんでしょ? でもその鎌、どう見ても全部使ったようには見えないわねぇ。どこかに催眠術を司るダイヤモンドがあるはずなのよ。ダイヤモンドはね、アフター・ヘヴンに入れない限りジュエルバレットで消えないのよ。
あー分かった! ミルフィちゃんがダイヤモンドを食べたんでしょ? そうでしょ?」
「ミルフィは関係ない」
顔に出すな、そう言い聞かせて、川を飛び越える。
サキュバスの勘の鋭さに驚いてはいけない。
「じゃあどうして、ローズが司令室に向かってたの? 彼女は祓魔師じゃないから、おかしいわねぇ。ハミル君がどうとか言ってたし。しかも悪魔の報告によると、ハミルがマグゼラと逆方向に走って行ったそうよ。
事情を話せる人間は限られてる。ハミルはミルフィちゃんのいるところ、つまり元々ローズがいた場所に向かったんでしょ? 認めたくないけどローズはわたしの娘よぅ。ミルフィちゃんを気にしないわけないわ」
「でたらめだな。全部外れてる。間違った場所に悪魔を送り込んだらどうだ」
「ほんとにポーカーフェイスねぇ。でも今までのきみなら、わたしの間違いを利用して否定しないと思うのよねぇ。やっぱり図星なんでしょ?」
しくじった。
モルディオだけではなく、ハミルとミルフィまで危険に曝すなんて。
サキュバスは思ったより遥かに賢いようだ。
「ローズがいた場所はどこかしら? 普通わたしの気づかない場所にするわねぇ。うーん、避難所にミルフィちゃんを置いたら大騒ぎねぇ。ローズは祓魔師じゃないし、美術館でもない。彼女は警察側の人間だから……」
サキュバスに考える間を与えるな。
彼女がいる場所が刑務所であることを知られてはいけない。
絶対に。
セヴィスは川の上に跳躍し、空中で黒いナイフを取り出す。
そのまま残り三本の赤ナイフと一緒に投げる。
黒いナイフだけはサキュバスの直線上、それ以外は放射線状に飛ばし、あくまで川を飛び越える為の移動に見せかけた攻撃だ。
「えっ!?」
狙い通り、サキュバスの腹を黒いナイフが貫いた。
深紅の液体が噴出する。
完全に不意を突けたようだ。
土手に刺さった三本のナイフを使って身体を引き寄せる。
すぐにサキュバスがカードを振りかざすが、僅かに出遅れている。
シンクと交代し、収縮の勢いを利用して鎌を振り下ろす。
「きゃああっ!」
サキュバスの左腕が切断された。
サキュバスが仰け反ったことにより、光線が上半身から逸れ、セヴィスの右足を少し削った。
落下した左腕の一部に血溜まりができている。
人間にとっては致命傷だが、セヴィスにとっては失敗だった。
黒いナイフによる不意打ちができるのは一度だけ。
サキュバスを一撃で仕留めることを前提に、身体を切断することに特化した鎌を使ってこの程度の傷。
それでは意味がない。
失敗の原因は、サキュバスの光線を避けようとするあまり、空中で無意識に身体を捻ってしまったことだ。
あの体勢ではシンクでも両断は不可能だった。
闇雲に鎌で攻撃するだけでは勝てないのは百も承知だ。
セヴィスは鎌を振ることは言わずもがな、投げることにも慣れていない。
シンクと入れ替わる際にも僅かなラグがある。
やはりあの光線を攻略しなければ、この怪物は絶対に倒せない。
「やってくれるじゃない……」
空中で後退しながら、サキュバスは治癒の魔力権を発動する。
肩から下の傷口が、最初からなかったように塞がれていく。
血もあっさり止まった。
ランドより数倍も強力な治癒でも、切断された腕をくっつけることはできないようだ。
「さっきのははったりじゃなかったのかしら? どうしよう、自分の能力が信じられなくなってきたわ。わたし、フレグランスに翻弄されてる」
サキュバスが後退しているので、駅までの道のりは縮まっている。
後はサキュバスの意識がミルフィとローズに戻らないように、黒いナイフと鎌を使って攻撃していけば辿り着ける。
***
サキュバスは翻弄されているように振る舞いながら、意思伝達の魔力権を持つ悪魔を考えられる場所全てに送り込んでいた。
そして刑務所だけが警察の祓魔師が多いことに気がついた。
その悪魔は警察に殺されたが、これによってサキュバスは刑務所にミルフィがいることを特定し、悪魔を送っていた。
当然セヴィスはこのことを知らない。
「ここに悪魔が来ただと?」
警官の報告に、ミストが大声で聞き返す。
それを聞いたハミルは固唾を呑んだ。
『はい。先程の一体は我々が対処しましたが、五階から眺めてみると、五体ぐらい向かってくるのも見えました』
ミストは腕を組んで唸る。
ほとんどの警官はミルフィのことを知らされていない。
ここに悪魔が来る理由も、悪魔が無差別に襲っていると片付けている。
「親父、おれが相手するよ。万が一悪魔が来た時の為に、おれはここにいるんだ」
と、ハミルは言う。
「何言ってるんだ。お前一人で防げる量じゃない」
「じゃあどうするんだよ!」
セヴィスは悪魔が来る可能性が高いと踏んで、ハミルに刑務所を守るよう頼んだ。
ミルフィのアフター・ヘヴンがクレイル・トリニティの命運を分けると言っても過言ではない。
もし彼女を死なせたら、セヴィスだけではなく、全世界に顔向けできなくなる。
「もし……警官がやられたら、お前は彼女を連れて逃げろ。彼女を死なせたら、サキュバスを倒せる確率も減るんだろう。そうなったら元も子もない」
「外はもっと危険なんだ! 親父はおれがいない時に消滅を知らせる為にいるんだろ! あいつらはおれを信じてここに置いたんだ。ここは絶対守ってみせる」
父の制止も聞かず、ハミルは懲罰房を飛び出した。




