71 司令室の恐怖
『まずいんじゃねえの?』
自分の口から、シンクの言葉が出た。
そんなことは分かっている。
セヴィスは比較的小さい岩に向けてナイフを投げて刺し、そのままワイヤーを振り回す。
空中で岩が粉砕し、当たっても支障のない大きさになる。
それを確認して、サキュバスが向かった方向へ跳躍する。
そういえばあの技は、ウィンズが考案した技だったか。
城の瓦礫の上に立つと、サキュバスがクレアラッツ方面へ飛んでいくのが見える。
少し遅れを取ったが、十分追いつける距離だ。
左足が怪我をしていることや、鎌があることを踏まえて、木や建物にワイヤーを引っ掛けて収縮を繰り返す。
これは以前、サキュバスから逃げた時と同じ方法だ。
ほとんど空中を移動することになるので、地上で悪魔に遭遇する確率もなくなる。
既に、クレアラッツへの道に悪魔が集結しているのが見える。
バリケードのようなもので道が狭くなっているのは、モルディオの仕業だろう。
そこにてっきり光線を撃つのかと思ったが、サキュバスはクレアラッツに行くことしか考えていないらしい。
しかし、モルディオに聞いていた状況と違う。
ここの祓魔師は、全体的に統率が取れていない気がする。
総攻撃の時と違い、戦力が偏っている。
悪魔に手を出さず、ひたすら連絡を取ろうとしている者もいた。
まさか、モルディオに何かあったのだろうか。
嫌な予感が頭を過ぎる。
***
セヴィスの悪い予感は当たっていた。
しかしそれは、彼の思い描いていた悪い予感とはまた違っていた。
「おい、ネモフィラ川近くの防衛線が破られたぞ! あそこは美術館からもかなり近い。それなのに、美術館がほとんど無防備とはどういうことだ!」
司令室では、二人の男祓魔師がモルディオを問い詰めていた。
彼らは自分たちの防衛線を捨て、ここまで状況を確認しに来た。
そのうちの一人はフリージア連邦のS級レイク=ヴィレッタで、もう一人は重傷でまともに話せない。
「指示が行き届いてない! もう何人も死んでいる! 貴様、最初からこの防衛線を捨てるつもりだったな!?」
「捨てる気なんてありませんよ。それよりどうしてここに来たんですか。僕があなたたちに任せたのは、少しでも被害を減らすことです」
モルディオは頭を押さえながら答えた。
その視線の先には、電子地図がある。
「貴様、私に死ねと言うのか!」
「あなた、誰ですか」
「きっ貴様! フリージアのS級も知らんのか!」
「僕もフリージア出身ですけど、知りませんよ。防衛線を放棄して逃げるS級なんて。あなたたちが頼れるS級だと見込んで、僕は市民を守れって言ったつもりなんですが……見込み違いだったようですね」
「ふざけるな! とにかく悪魔の数が多すぎる! きりがない!」
防衛線は総攻撃と比べると広範囲で、はるかに薄い。
今更になって、レイクはモルディオの指示の欠陥に気づいた。
「貴様、まさか悪魔じゃあないだろうな? 裏切り者だから、今まで魔力権を隠していたのではないか?」
レイクの頭に自然に猜疑心が沸く。
それもそのはずだ。
元々モルディオは、悪魔を倒すことに執着しない無謀な防衛線を張っている。
今の彼の采配は、時間稼ぎと被害を減らすことだけを考えているように見える。
「サウスの件がなかったら、もっとちゃんとした計画を立てられたのに。全く、悪魔全滅までの時間稼ぎにもならないでここに来るなんて」
と、モルディオが愚痴を零した。
苛立ちと、焦りが混ざったような表情をしている。
「全滅? もしかして、全部の悪魔がここに来ているということか! もう貴様など信じられない! そもそも何故指揮が海外のS級ではなく貴様なのだ」
「じゃあS級は的確な指示が出せるという根拠を説明してください」
「S級は指揮官にふさわしい人物がなる、これは当然のことだ。この国のS級も、先代のクロエまではまともな指揮官だっただろう」
「説明になってませんね。逃げるのが指揮官なんですか? あなたの言葉は、彼を侮辱しているようにしか聞こえない」
「間違いだったのだ、A級であるだけの候補生に指示させるなど。セヴィスがS級になった辺りから、この国は犯罪者だらけのおかしい国になった」
レイクは頭を抱える。
一緒に逃げてきた男は、既に意識を失っていた。
「ジェノマニアがおかしいのは元々ですよ。祓魔師はその後始末をする組織でしかないんですから」
「は?」
「あなたの言い分は全て分かりました。あなたは逃げたいだけなんでしょう? もうこれ以上は聞きませんよ。聞きたくもない」
レイクは憤りを覚える頭を掻き毟って、落ち着かせる。
相手は十六歳の候補生だから大人気ないと思う自分と、怖いと思うことを当然だと思う自分がいるのを感じた。
自分はS級なのに、どうして怖いのだろう。
昔悪魔が五体来た時は何も思わなかったのに。
きっと、何が起こるのか分からないという事実が恐怖となって苛んでいるのだ。
「物分りの悪い雑魚に説明する暇はありませんね。それにあなたは僕より的確な指示が出せるんですよね。でも、ここも安全じゃありませんよ。もうすぐここに悪魔が侵入しますから」
「何を言っている! 何故司令室に悪魔が来るのだ!」
「これはあなたたちがここに逃げてきたことによって、変えられた未来です」
そう言って、モルディオは壁に立て掛けてあった剣を取り、鞘から抜いた。
しかしそれは彼が使っていたものではなく、ただの剣に見える。
「司令はあなたたちに任せるので、この場の悪魔は僕が凌ぎます。いつまで持つかは、分かりませんが」
「貴様、何を考えている!」
「武器を持ったハミルを彼まで送り届けることが、僕の役目。それに、全神経を注ぎ込んだ。後はできるだけ被害を減らすように指示して、結果を待つだけ」
「彼? 彼とは」
「未来を読むのはもう限界だ。だから、彼らに未来を託して、僕はここを守ります」
レイクの話を聞かずに、モルディオは扉へ向かう。
外が騒がしくなってきた。
彼の見た未来が実現しようとしている。
「くそっ!」
レイクは足をガタガタ震わせながら、それぞれの防衛線に指示を送ろうとする。
しかし、司令室の扉が開いた音が耳を貫く。
「なっ……」
レイクは扉を見る。
夥しい数の悪魔を、モルディオが相手している。
なぜ、一直線に司令室に向かって来たのか。
それはこの場の誰にも分からない。




