64 15分の鎖
「ミルフィ、お前はそれでいいのか?」
セヴィスは鉄格子の内側に入って、ミルフィの前に座った。
「セビ、入ってきていいの?」
「ああ。15分だけ許可された。今いるのは、俺だけだ。だから、正直に言ってくれ」
「正直に?」
ミルフィは首を傾げた。
「クロエもグロウも、所持者に一度もダイヤモンドを食べさせてないんだ。一つのダイヤモンドでアフター・ヘヴンにサキュバスが現れるってのは、全部ローズの推測なんだぞ。本当は、嫌じゃないのか? こんなことに命を預けるなんて」
「あたしが役に立てるならそれでいいよ」
と、ミルフィははっきり言った。
「お前は、強いんだな」
「でも、アフター・ヘヴンだってなくなるんでしょ。もちろん拘束されるのは嫌だけど、サキュバスを倒したら解放するって言われたし、こんなに嬉しいことはないよ」
ミルフィはラムツェル教会で、監禁生活を送ってきた。
慣れすらも感じてしまうのは、そのせいだろう。
「それに、ローズだけじゃなくて、モルディオも言ってきたんだよ。モルディオは未来が見えるから、きっと大丈夫」
モルディオはそこまで信じることができる人間だろうか。
イノセント・スティールの網羅に関しては彼の行動に間違いはないと思って従ったが、今は半信半疑だ。
「お前がそれでいいなら、俺に止める権利はないんだ」
「……」
「でも俺は、お前にそんなこと……してほしくないけどな」
「……ありがと。そう言ってもらえるだけで嬉しいよ」
昨日ハミルがあれだけ言ってくれたのだ。
これでまた裏切ったら、所詮その程度の人間だったということだ。
今必要なのは、信じることなのかもしれない。
「一つ頼みがあって、これを食べてほしいんだ」
差し出した青い『宝石』を手に取って、ミルフィは首を傾げる。
感触だけでは分からないらしい。
これは初めてローズが警備に参加した時に盗った、レンの『宝石』だ。
「お前の中にいるロザリアに、会わせるって約束した男の『宝石』だ」
「うん。分かったよ」
拒むことなく、ミルフィは手錠のついた両手で『宝石』を取り、口に運んだ。
『宝石』が溶けるまで一分も掛かっていないのに、長く感じた。
サキュバスの魔力権を封じるには、ロザリアとレンの協力が必要不可欠だろう。
アフター・ヘヴンにいる悪魔の何人かはセヴィスが倒した悪魔で、自分を憎んでいる者ばかりだ。
「サキュバスって、やっぱりセビが倒すの?」
ミルフィは何気なく聞いてきた。
「俺だけじゃ多分前と同じ結末になるから、今モルディオが未来を読んで、作戦を練ってるところだ。俺が参加しないことはないと思う」
「じゃあ、あたしからも一つ頼みがあるんだけど」
「何だ?」
「絶対、生きて帰ってきて。あたしより先に死んだら……許さないから」
いつか自分が言った言葉を、ミルフィがそのまま返してきた。
「分かってる。必ず、帰ってくる」
そう言いながら、目を逸らす。
実を言うと、不安だった。
一度殺されかけた相手と、もう一度戦うのが、恐怖でしかない。
死ぬことが怖いから、モルディオの未来に頼っている。
でも、それを打ち明けるようなことはしない。
彼女に甘え過ぎるのも情けないし、これ以上恐怖を与えたくなかった。
「そういえば、両親の故郷が分かったんだ。ラナンキュラスっていう、ジェノマニアの南にある島らしい」
目を逸らしたまま、セヴィスは話題を変える。
ミルフィは目隠しをしているので、目を逸らしても分からないだろうが。
「本当? 見つかってよかったね」
「それで、この戦いが終わったら……」
「えっ?」
「お前さえよかったら、でいいんだ」
絶対に生きて帰る。
その意志を強くする為に、不安ではなく、想いを打ち明ける。
「俺は、お前が好きだから……離れたくないんだ」
逸らしていた目を向けると、ミルフィは顔を赤くしていた。
何も言わずに彼女の身体を強く引き寄せ、きつく抱きしめる。
彼女をここまで強い力で抱きしめたのは、初めてだった。
「初めて、言ってくれた」
しばらく熱と鼓動を感じる。
少し力を抜くと、彼女はすぐに離れた。
「でも、いつも考えてしまうんだ。セビがこんなに優しいのは、あたしが所持者だからじゃないかって」
「じゃああの時、お前が俺に言った言葉は、所持者の言葉なのか?」
「えっ……?」
「違うだろ。それにお前が所持者じゃなくなっても、俺がお前を忘れるわけじゃない」
再び目を逸らした先に、彼女の腕についた手錠がある。
恥ずかしさを隠すようにそれの開錠を試みる。
「全てが終わっても、まだローズがお前を拘束するようなら、俺が脱獄させてやる」
「……あたしも、あんたが大好きだから、どこまでもついていきたいんだ。でも」
「そう思ってくれるだけで十分だ。俺はお前が所持者じゃなくなっても、ずっと傍にいる」
「本当? 今まで通りで、いてくれる?」
「当たり前のことを聞くな」
手錠が解けるとすぐに、腕が背中に巻きついてきた。
涙が服を湿らせるのを感じる。
「何か、セビじゃないみたい」
「変装してるからか?」
「そうじゃないよ。だって、今のあたしにはセビがどんな姿をしてるか、見えないし」
黒い髪を引っ張って、今だけ元の姿に戻る。
全てが終わったら、自分は生きていることを明かせるのだろうか。
或いは、公の場でセヴィスという名前を名乗れなくなり、素顔で出歩くこともできなくなるのだろうか。
「いつもより素直だから。セビらしくないっていうか」
自分は『怪盗フレグランス』という、犯罪者だった。
この名前が嫌いでも、それは否定できない事実。
例え悪魔が全滅して『宝石』がなくなっても、罪を免れることはできない。
泥棒という過去がある限り、生きていることを明かすことはできないだろう。
世間の中では、既に死んでいる。
悪魔と違って、自分の生きた証は数え切れない程残っている。
それでも、腑に落ちない。
少しでも長く、ありのままの姿で生きていたい。
そんな願望が蟠っている。
「もっと俺らしくないことを二つ、言っていいか」
首に巻きついた腕がほどける。
暖かみのある眼差しで、見つめられる。
「これから、本当の名で呼んでくれないか」
「分かったよ、セヴィス」
力のない笑みを零す。
それに応えるように、彼女は屈託のない笑顔を見せた。
目隠しをしていても分かる程の、明るい笑顔だった。
「一緒にいてほしい。最後まで、ずっと」
「……はい」
そっと抱き寄せると、彼女は顔を上げた。
ためらわず、その唇にキスをした。
「もう一回、して」
「……」
「怖いんだ」
「サキュバスか?」
ミルフィは小さく頷いた。
「……サキュバスが怖いのは、誰だって同じだ。でも、俺は負けた後の方が怖い。だから」
「分かってる。あたしはこのまま別れるのが、嫌なんだよ」
彼女は、そっと自分に抱きついた。
「お願い。キスして」
キスをねだる彼女を見ると、あの時を思い出す。
ふたりで傷を舐め合うように、舌だけで激しく求め合ったあの時。
それでも、あの時とは違う。
「……わかった」
そう言って優しくキスをすると、彼女の口は開いていた。
そこに舌を入れ、艶かしく透明の糸を絡ませる。
あの時とは違い、自分から彼女を求めるようになっていた。
身体が、熱い吐息に火照る。
彼女と唇を重ねるだけで、甘美な快楽が身体を蝕んでいく。
それは紛れもなく、これから倒す相手が与えるものだった。
それを全て飲み込むように、自分から舌を絡めていった。
ずっと、彼女の傍で、彼女を愛せるのなら。
強い快楽が蝕むと分かっていながら、さらに深く、艶かしく絡めていく。
そうしながら何度も抱きしめて、熱が伝わる程密着し、互いの指も絡めた。
それなのに、自分の手は震えていた。
「大丈夫……?」
手の震えに気づいた彼女が、目を開けて、自分の顔を見つめている。
いつの間にか、目隠しが解けていた。
「見るな。こんな顔、見られたくないんだ」
「……じゃあ、目を閉じてるよ」
「悪い、もう少しだけ……」
浸食してくる恐怖を塗り替えたくて、無意識に激しいキスをしていた。
あの時と立場が逆になって、今度は彼女が黙って自分を受け入れている。
本当に情けない顔をしているから、見せたくなかった。
心配されたら、現実から逃げたくなる。
今の自分の表情は誰にも見えないし、彼女の瞳に映ることもないけれど、それが一番いいんだ。
牢獄で許された15分で、彼女と深く愛し合った。




