63 鉄の味
「全ての指揮を僕が執るなんて、あの人は本気で言ってるのかな」
校長室を出てすぐに、モルディオは呟いた。
「本気に決まってんだろ。ジェノマニアにはお前以上の司令塔がいねえんだからな」
「でも、海外の祓魔師が候補生の僕の言うことなんて聞くかな。心配なのはそこだよ」
「もうお前の卑屈は聞きたくねえよ。少なくともおれとセヴィスはお前のこと、信じてるんだからな。頼むぜ」
そう言っても、モルディオは深刻な表情で考え込んでいる。
笑っていられない状況であることは百も承知なのだが、このままだとどうも落ち着かない。
「で、これからどうすればいいんだ? みんなに伝えるか?」
「みんなには、一般人の避難を手伝ってもらった方がいいかもしれない。でもサキュバスにバレたら終わりだ。ナイトメア・カタルシスも間に合わない。何か、先手を打てたらいいんだけど」
「先手か……」
「とりあえず、このことはセビに伝えた方がいいね。ハミル、監獄を出たらすぐレストランに来るよう、彼に言ってくれない? 僕はそれまで作戦を考えるから、寮に戻るよ」
***
同時刻、セヴィスはミルフィがいるという監獄に行った。
中年の変装はヴィーナ・リリーの砂漠の砂が入ってほとんど使えなくなったので、今日は短髪の若者にした。
入り口では既にローズが待ち構えていた。
早くナイトメア・カタルシスを作ってくれればいいのに、と思った。
ローズがサキュバスの弱体化を考えているせいで、どのダイヤモンドを使うか決まっていないからだろう。
「何か用かしら?」
「ミルフィの様子を知りたい」
「あら、変装してたのね。気づかなかったわ」
ローズは入り口の看守に面会人だと伝え、中に入れてくれた。
ここに来るのは、クロエと話をして以来だ。
思えば、ここで初めてサキュバスと会った。
監獄は怪盗フレグランスにとって終わりを意味するが、S級祓魔師としてはある意味始まりだったのかもしれない。
ローズについて階段を下りていくと、鉄格子の向こうに犯罪者が何人も見える。
ここは、面会人は普通入れない場所だけあって、暗い雰囲気が漂っていた。
「珍しそうな顔してるけど、あなたもここに入るのよ? 分かってるわね」
何階まで下りたか分からなくなるぐらい、階段を下りた。
どうやらここが一番下らしい。
先程より多くの鉄格子がある。
ここは凶悪な犯罪者が入れられる場所なのだろうか。
「彼女はここよ」
ローズが立ち止まった場所は、壁のような扉の前だった。
「ここって懲罰房だろ」
「そうよ。もし操られたら困るし、所持者を他の囚人に見せるわけにはいかないわ。本来はあなたのような人間を入れる場所なんだけど」
そう言って、ローズは扉の鍵を開ける。
部屋の中には鉄格子があって、その奥に目を疑う光景が広がっていた。
ミルフィの両腕は手錠に繋がれていて、足には必要以上の足枷がついている。
視界は目隠しで覆われ、やつれた表情がろくに寝られないことを示している。
「おい、いくらなんでもここまでやる必要ないだろ」
「サキュバスは物質を通り抜ける力さえなければ、これで動けないはずなのよ。悪く思わないで。全世界の人民の命が掛かってるのよ」
「それならダイヤモンドを食べてからでいいだろ」
「彼女は連行する時、身体を乗っ取られた。いつ何が起こるか分からない」
「それも、レストランにいる時はほとんどなかった」
「彼女はダイヤモンドの処理を引き受けたいって言ってるわ。別に悪い話じゃないと思うけど?」
ミルフィがそう言ったから、大人しく承諾しろと言うのか。
最終的な決定権はミルフィにあるとは聞いていたが、本当に、それでいいのだろうか。
「というわけで、彼女にはダイヤモンドを一つ食べてもらうことにしたわ。ベルクもサキュバスの弱体化に関しては、ミルフィさんがよければって賛成していたしね」
と言って、ローズは鉄格子の近くに置いてあった瓶を取った。
中は血のような液体で満たされている。
「で、あなたにはこれを飲んでもらうわ」
「これは?」
「彼女の血よ。これを飲めば、クロエの……いわゆる人工のアフター・ヘヴンが発現する。人工ならサキュバスを倒しても死ぬことはない」
瓶は、まだ生暖かい。
受け取った手が、震えた。
「俺にミルフィの血を飲めって言うのか?」
「未来の為に、絶対必要なのよ。ベルクもそう言ってるわ。今はまだ言わないけど、そのうち分かる。飲まないと言うのなら、看守を呼んで無理矢理飲ませるけど」
「アンタ……俺以上のクズだな」
疑問しか残らない。
モルディオが言ったということは、未来で『宝石』を食べないといけないのだ。
確かに、セヴィスだけではあの大鎌は扱えないかもしれない。
でも、そこまでする必要がどこにあるのだろうか。
人工アフター・ヘヴンはハミルも一度経験していることだが、まさか彼女の血を飲むことになるなんて。
しかし飲まないと、ローズが看守を呼ぶ。
ためらうと余計嫌になってくる。
よく分からないまま、セヴィスは瓶の蓋を開けて一気に飲み干す。
口の中に、鉄の味が残った。
それ以外は、何も変わらない。
本当にアフター・ヘヴンが発現しているのか、分からなかった。
「セビ?」
咽ていると、声で気づいたのか、ミルフィが顔を上げた。
「恨まれても構わないわ。世界の為よ」
ローズが一杯の水を差し出す。
それを飲んで、鉄の味を流す。
「そうね、じゃあ十五分だけ、鉄格子の鍵を開けようかしら。わたしも部屋を出る。その間に、話を済ませるといいわ。彼女の手錠を外したいなら、外してみなさい。今だけ許してあげるわ」
と、ローズが柄にもないことを言った。
「彼女は乗っ取られてからここに来るまで、ずっとあなたの名前を呼び続けていたわ。あなたがいれば安心して乗っ取られることもないはずよ。昔のわたしにとって、それがベルクだったわけだけど」
「……だからモルディオに所持者の性質が効かないんだな」
「そうね。でもあなたと彼女の関係とはまた違っていたわ。ベルクはあなたと違って、泣いてばかりだった。わたしに安心を求めていたのは彼の方だったし、わたしも彼を慰めることで悲観的な考え方をしなくなっていった。彼があんな性格になったのは、わたしにも責任があるのだと思うわ」
一人で何でもこなすモルディオにも、そういう過去があったらしい。
女の子に泣きつく彼の姿など、想像もつかない。
「でもそれはもう過去のことよ。わたしはもう所持者じゃないし、彼は敵なの。忘れたくて仕方ないわ」
「何でそれを俺に話すんだ」
「どうせ捕まるんだから、暴露される心配もないからでしょう」
「どうせ捕まるって……そういえばアンタはテレビで、俺を現行犯逮捕するって言ってなかったか? あれは嘘だったのか」
「わたしが依頼されたのは、フレグランスの逮捕。ただそれだけ」
ローズは偉そうに白を切る。
プライドの高い人間だと思っていたが、思い違いだったらしい。
「所持者が乗っ取られる時は、決まって悲観的なことを考える時よ。それはわたしが一番よく分かってる。これから辛い時間が続くんだから、せめて彼女を安心させてあげなさい。間違っても脱獄とか、変な気は起こさないことね」
「その安心を一番奪ってる奴が、よくそんなこと言えるな」
「何とでも言いなさい。あなたみたいな泥棒に恨まれたって、わたしには何の害もないわ」
ローズはポケットから鍵を取り出すと、鉄格子を開けた。
それから部屋を出て行った。




