漆黒の衝動 -Magenta Fate- ②
五度目の審議でも、ぼくは安定の敗北。
いつもように泣きじゃくって、医務室に向かう。
溝の側面にある『知』専用の医務室は、狭かった。
きっと反対側の面には『武』『魔』専用の医務室があるのだろう。
ベッドは三つしかなく、そのうちの一つは扉がついた簡素な壁で仕切られていた。
いつも利用しているのはぼく一人で、多くて二人だ。
ここは常に無人で、ぼくを呼びに来るときだけ黒スーツが入ってくる以外は何もいなかった。
今日もここで黒スーツがくれた本を読みながら寝ようと思っていたが、今回はいつもと違っていた。
「またあなた? もう名前、覚えたわ。ベルクでしょ?」
簡素な壁の向こうから、女の子の声が聞こえた。
「きみは?」
「わたしはレイラ、レイラ=ザインローズ」
ぼくはベッドを降りて、壁に近づく。
「ねえ、レイラちゃん、どうしてそんなところにいるの?」
「わからないの。でも扉は開いてるから、入ってきて」
言われるままに、ぼくは扉を開ける。
そこにいたのは、両手両足を鎖で繋がれた女の子だった。
「わたし、ここから出たことないの。あなたはよくここに来るでしょ? だから、話し相手になってよ」
「……」
「突然黙り込まれても困るんだけど……」
この一日だけで、ぼくはレイラと打ち解けた。
その後怪我が治るまで、黒スーツにバレない範囲で彼女と話し合った。
レイラは泣いてくしゃくしゃになったぼくを慰めてくれた。
『ただそれだけ』が口癖の彼女は、年齢はほとんど同じなのに、本で読んだお姉さんのようだった。
その日から、ぼくは彼女に甘えるようになった。
審議で負けて医務室に行く度、流した涙を彼女の腕の中で拭いた。
一ヶ月のうち、医務室で過ごす時間の方が圧倒的に長くなっていた。
レイラと仲良くなったことで気が楽になったぼくは、ゲオルクたちがいる部屋に戻って殴られてもさほど落ち込まなくなっていた。
みんなはぼくの顔を見るなり腹に蹴りを入れてきたが、最近は受身が取れるようになった。
ぼくは虐げられる弱者のまま、五年の時を過ごす。
***
五年も経つと、子供たちの数は半分以下になっていた。
何度目かも分からない審議の前日。
珍しく医務室にいなかったぼくは、黒スーツに呼び出されて、今まで入ったことのない廊下を歩いていた。
「未来予知はどうだ?」
「三時間後の未来で精一杯です」
黒スーツと話しながら歩くと、一つの部屋にたどり着いた。
その部屋には簡素な机以外、何もなかった。
「実は、次の審議で勝てなかったら、貴様を殺そうかと思っていたのだ」
黒スーツは扉を閉めると、何気なく、そう告げた。
「えっ!?」
「貴様は、頭脳だけはよかった。我々も未来予知という能力には期待していたのだが、その程度の未来なら別に必要ない。もう少し待ってやろうと言っても、ゲオルクたちが五月蝿くってな」
そんな、ぼくは黒スーツじゃなくて、ゲオルクたちに殺されるのか。
そんなの嫌だ。
絶対に嫌だ。
「そこでだ。明日死ぬかもしれない貴様に真実を伝えようと思うのだ」
「真実って……?」
「我々は目的の為に、ある二人……我々は麻薬夫妻と呼んでいるが、そいつらにジュエルバレットという薬を作らせている」
「ジュエルバレット?」
「ああ。そいつらの息子を首領が育てて……ってそこは気にしなくていい。それで、麻薬夫妻の昔の部下にラムダという男がいる。別にラムダ自体はどうでもいい。問題はその愛人だ。その面に妙に見覚えがあったもんだから、資料を探って見たら、そいつは貴様の姉で、我々に貴様を売っていたことが発覚した」
ぼくに姉がいたらしい。
家族に会うことは切実に願っていたので、ぼくはただ驚いた。
「売ったって、どういうことですか?」
「貴様は誘拐されたのではない。金を欲しがった姉が、我々についてきて、貴様を差し出したのだ」
ぼくが、売られた?
家族である、姉に?
「つまり、貴様は人間として、必要とされていないのだ。我々にも、家族にも」
頭の中で、何かが砕け散る音がした。
眩暈で、視界がぐらついた。
「どうだ? 生きる気力がなくなっただろう。審議で殺されるのが怖いなら、今ここで自殺してもいいんだぞ」
黒スーツが、ぼくに短刀を差し出した。
照明を反射して、ぎらりと光る刀身を見た瞬間、ぼくは我に返った。
「なら、どうして……ぼくたちはここに来たんですか。何を倒すために、強くなるんですか。弱いだけで殺されるなら、何のために、生きるんですか」
「それは一番強くなった者にしか言えないことだ」
「強くなったら、教えてくれるんですか。生きる、意味を」
「そうだ」
「誰よりも強くなれば、家族に会えるんですか。真実かどうか、確かめることができるんですか」
「そうだ」
「強くなれば、ゲオルクたちを見返すことができますか」
「そうだが、できるのか?」
似たような問答を繰り返した後、ぼくは黒スーツの持つ短刀を叩き落とし、言った。
「ぼくは死なない。この溝を生き残るのはぼくだ。ゲオルクたちだけじゃない、『武』や『魔』の誰よりも、強くなってみせる!」
その瞬間。
ぼくの中で、漆黒の何かが芽生えた。
『昨日はあんなに大口叩いたもんだから、どうなるかと思っていたが』
まさか、今は夜なのに。
今まで三時間先しか見えなかったのに。
『人間というものは、変わるんだな。見ろ。大切な友達を、我々ではなく、ベルクに殺されて、ゲオルクが泣いているぞ』
明日の審議の未来が見えた。
***
その日はいつもと違っていて、僕は黒スーツに取り押さえられる形で医務室に行った。
僕自身もよく覚えていないことだが、僕は審議で負けたにも関わらず、勝利した相手を撃ったらしい。
今まで掠りもしなかった弾丸が奇しくも脳天を貫き、その相手は死んだ。
それから先は、昨日見た未来と同じだった。
「今回だけは許してやろう。だが次はないと思え」
そう言って、黒スーツは部屋を出た。
いつものレイラと過ごす時間が訪れる。
でもいつもとは、どこか違う。
「ベルク、その血は……返り血?」
この部屋でいつも勉強させられているからか分からないが、レイラは勘が鋭い人間だった。
そんな彼女に、僕は奇妙な気持ちを抱いていた。
彼女を見る度、心臓の鼓動が早くなっていく。
「ねえレイラ。僕は強くなれるかな。誰よりも強く、なれるかな」
「……突然どうしたの?」
「僕は強くなれると思う?」
「誰だって努力さえ怠らなければ、強くなることはできるわ。努力は裏切らないもの。で、それがどうかしたの?」
努力は裏切らない。
僕はその言葉が大嫌いだった。
裏切られる人間がいるから、弱者がいる。
それが自然の摂理じゃないか。
「今までの僕は努力が足りなかったってこと? じゃあ、もし努力が裏切ったら、君は何を賭けるの」
「どういうこと? 意味が分からないわ」
僕はレイラに不適な笑みを浮かべて、近寄る。
漆黒の何かは、衝動に変わる。
「あなた、最低」
僕は、レイラに平手で打たれた。
彼女に激しい憎悪を植え付けた僕は、追い出される形で医務室を出た。
この頃の僕は、まだ十一歳。
当時のレイラが所持者であったことも知らない。
所持者やアフター・ヘヴンという存在も知らない。
だから、自分が彼女を好きになったと勝手に思い込んでいた。
後にそれが、所持者ミルフィの性質が僕だけに効かなかったことに繋がる。




