40 心の悶絶
「……え」
一瞬、身体から全ての力が抜けた。
「課長……身長、いくつですか」
と、ローズはミストに尋ねる。
「170だ」
「事前に調べたんですが、セヴィス=ラスケティアの身長は177で、モルディオ=アスカは163でした。二人とも課長とは離れています。これだけ差があれば、ハミル君が気づくはずなんです」
「別の誰かってことか?」
「……そういうことに、なります」
何だよ、フレグランスはセヴィスでもモルディオでもなかったってのかよ。
じゃあ一体、誰が。
殺されたって。
「彼が死んでも尚、フレグランスはこうして予告をして、華麗でもない方法で盗み出しています。だからわたしの推理は外れました。すごいですよ。このわたしを出し抜いた挙句、もっと捜査を難航させたんですから。
もちろんわたしはこれからも全力を尽くしてフレグランスを追います。でも、捜査意欲が吸い取られたのも認めざるを得ない事実です。だって……」
ローズはため息をついて、窓から三日月を見上げた。
「『セヴィス=ラスケティアの死亡』によって、わたしの推理は全て水の泡になったんです。負け犬が言えるのは、ただそれだけなんです」
死んだ?
あいつが?
何言ってるんだ、こいつ。
「ローズ、これを見てくれ。今見たらオレの胸ポケットに入っていた。『負け犬ローズへ』と書かれているぞ」
ミストが白い紙をローズに手渡している。
それすら、もうどうでもよかった。
「これは、ベルクからの手紙ですね。どうやら、わたしの話をしたいという要望を聞き入れたようです」
「何、ベルクから? それはただの落書きじゃないのか?」
「これはわたしにしか分からないように書かれています。すみませんが、この件はわたし一人で片付けます。ベルクは戦闘能力と頭脳を兼ね備えた危険人物ですから。
それにしても、彼が殺されたと聞いたら、来ないと思っていました。わたしはハミル君が、ここに来たことに、敬意を示したいです」
そんな。
まさか。
「うわああああああああっ!」
後に親父から聞いた。
あの時正気を保てなくなったおれは、発狂し、気を失った、と。
***
翌日。
トーナメント中止が決まっていないにも関わらず、候補生たちは準備をしようとしなかった。
目に見えない恐怖におののき、美術館にすら来ない祓魔師もいた。
セヴィス=ラスケティアの死亡が与えた戦慄は、波紋のようにクレイル・トリニティ全体に広がった。
それは五年前のS級ソディア=ミーズ殺害事件の恐怖を遥かに上回った。
今回のS級死亡に関しては、A級が連続で殺されたことや、クロエを殺したサキュバスの存在が助長したのだろう。
集合時間が過ぎ、来ている祓魔師もいたが、トーナメントは自然に中止という結果を迎えた。
しかし、トーナメントを中止した祓魔師の先に道しるべはない。
すぐに報道陣がシュヴァルツに集中した。
やけくそになったシュヴァルツは、『全てサキュバスの仕業だ』とでっち上げたのだった。
そんな中、二年A組の人間は教室に集まっていた。
朝教室に来てほしいと、モルディオが全員に伝達したのだ。
その中にはクラスの違うシェイムもいて、なぜか呼び出されてもいないグレイもいた。
しかし、教官すら来ない非常事態だ。
A組のほとんどは輪を作って地面に座り、ただ震えている。
道しるべを与えるモルディオの存在が、彼らのわずかな安心を生成していた。
この中で冷静なのはモルディオとグレイだけだった。
チェルシーとシェイムは、円を離れて二人で泣いている。
ハミルも一応教室に来たようだが、窓際で途方に暮れている。
そんなハミルに、グレイは何ともなさそうに話しかける。
「よぉハミ」
ハミルの視線は微動だにしない。
おそらくグレイに話しかけられていることには気づいているが、応答する気すら起きないようだ。
さすがに止めようとチェルシーは思った。
「ウナギ死んだんだって? 残念だったな。俺もちょっとビックリしてるぜ」
グレイのおどけた口調は、普段と変わらない。
だが、様がついていない。
それに気づいたチェルシーは止めるのをやめた。
「でもよ、よかったじゃねーか」
泣き声が止み、周囲が一斉にグレイを見た。
「これだけA級が減ったんだ。てめーもA級なれるぜ?」
「てめえぇっ!」
ハミルは涙目でグレイを睨みつけ、殴りかかった。
「おっと」
グレイはにやにや笑いながら避けるが、すぐにその頬を弾丸が掠めた。
弾丸は教室の壁に小さな穴を開けた。
「帰ってくれませんかね」
モルディオがグレイに拳銃を向けている。
グレイは畏怖した様子も見せず、面倒そうに胡坐をかいた。
「グレイ! セビが死んだの、あんたのせいじゃないの!」
チェルシーは腕で涙を拭い、叫ぶように言った。
もはや、かつての敬慕はない。
「だって、あんたが足に毒浴びせたじゃん! あんたのせいで、セビはサキュバスに殺されたんじゃないの!」
「毒?」
事情を知らないクラスメートたちが、チェルシーに疑問の声を投げかける。
「こいつはっ! トーナメントに勝つ為だけに、足に激痛が走る猛毒をセビに浴びせた! 最低な奴なんだよ!」
「はぁ?」
グレイはとぼけた顔をしている。
それを見たクラスメートたちから、「くそ野郎」「死ね」といった暴言が飛び始めた。
特に女子はグレイに幻滅したらしく、凄まじい形相で睨んでいる。
「はいはい帰ればいーんだろ帰れば!」
グレイは机を蹴っ飛ばし、扉を足で豪快に開けて去っていった。
暴言はグレイが扉を閉めるまで飛び交っていたが、ハミルはその様子を無言で見届けていた。
「僕はグレイに協力した君も共犯だと思うけどね。女子って怖いなぁ。あれがなくなるだけで、手のひらを返したように変わるんだ」
とモルディオが呟いた。
憤るクラスメートにはほとんど聞こえない声量だった。
「あれって何」
「ああそうか、君はあれの存在を知らないんだっけ」
わけの分からないことを一人でぶつぶつ喋りながら、モルディオは教壇に立った。
一体何をするつもりなのだろう。
「ここにみんなを呼び出した理由を話すよ」
この一言で騒ぐクラスメートを静めると、モルディオは重々しく切り出した。
「……彼が死んだことは、みんなも聞いたと思う。でも彼の死には不可解なことが多すぎる。だから僕は、独自で調べた。
単刀直入に言うと、犯人はサキュバスじゃない。シュヴァルツなんだ。彼だけじゃない。最近のA級殺害事件も、シュヴァルツの仕業なんだ」




