39 盗まれた意欲
「もう予告時間です。なのに何もして来ない。獲物もこの通り残っています。そもそもこの厳重な警備から盗み出せと言う方が不可能なんです。かの有名な怪盗フレグランスも、このローズ=ラスターの手に掛かれば年貢の納め時ですね」
ローズは無表情のまま振り返って、部屋の中心にあるダイヤモンドを見た。
照明の光がガラスケースを反射して、ダイヤモンドは一段と輝いている。
普段見ることのできないダイヤモンドの姿。
それは悪い意味でハミルの目に焼きついていた。
全国の美術館で厳重に保管してあるというから、どんなにすごい『宝石』なのかと思っていたが、これはただの加工された透明な石にしか見えない。
しかもダイヤモンドはクロエの放送まで、一般人には存在すら知られていなかった。
「どうやら、奴は諦めたらしいな」
声と共に、ミストが部屋に入ってきた。
それと同時に、全員が息を呑んだ。
「課長、それは……」
ローズがミストの左胸を指でさす。
巡査たちが騒然とし始めた。
「どうした? 皆」
ミストは自分の名札がついた左胸を見る。
そこには、赤い造花が刺さっていた。
「これは、まさかフレグランスの」
「ええ、フレグランスが『宝石』を盗んだ際に、必ず『宝石』の場所に刺していく造花です」
ミストの震える声に、ローズが補足する。
「こんなもの、いつの間に刺さったんだ?」
「課長、フレグランスと会ったんですか」
「お、オレは知らんぞ。それにダイヤはあるだろう。奴の作戦が失敗したんじゃないか?」
とミストが言うと、期待の声があがる。
無理もない。
もしフレグランスの計画が失敗したのなら、大きな快挙になるからだ。
だが、ハミルにはそう思えなかった。
結局自分は何のためにここに呼び出されたのだろう。
行き場のない問いだけが頭に浮かんだ。
「まさか」
巡査たちが喜ぶ横で、ローズは一人深刻な表情をしてガラスケースに向かう。
それに合わせて周囲が静まっていく。
「やっぱり」
ローズはガラスケースを取り、中のダイヤモンドを素手で取る。
「どうしたんだ?」
「やられました」
ミストの問いに、ローズは平然とした表情で答えた。
周囲が再び騒がしくなった。
「これ、僅かですが傷がついています。本物に傷はありません。偽物です」
と、ローズは言った。
ミストが目を見開く。
ハミルは驚かなかった。
ここにあるダイヤモンドが偽物であることに、根拠もなく、どこか納得していた。
「一応待機班に、近くで変わったことや目撃情報がないか聞いてください。多分ないと思いますが」
ローズは既に諦めている。
ハミルはフレグランスが捕まえられると聞いてここに来たが、このローズの様子を見て一気に興ざめした。
何だよ、またやられたのか。
結局おれが来たって何も変わらねえじゃねえか。
ハミルは頭を搔きながらその場に座り込んだ。
ほとんどの人間がこのローズの態度に納得がいかないようだが、渋々確認を取っている。
「直ちに追跡部隊を派遣しろと言いたいところですが、今から追跡しようと思っても不可能です。何の報告もないことから、彼はとっくにこの場所を離れていることでしょう。フレグランスがどんな姿か分かっていない以上、どうしようもありません」
「でもこれが偽物かまだ分からないぞ。でたらめを言うな」
ミストはローズに詰め寄り、ダイヤモンドを奪う。
そしてダイヤモンドを凝視する。
しかし、ミストの目では分からないらしい。
「じゃあ証明します」
ローズは懐から『JEWEL-BULLET』というラベルが貼られたビンを取り出す。
そしてビンの蓋を取り、真っ白な液体をダイヤモンドにかける。
この行為が何を意味しているのか分からないミストは首を傾げる。
ハミルははっとして立ち上がる。
ローズの持つジュエルバレットから漂う香り。
嗅いだ覚えがある。
いや、飲んだ。
いつだったかは忘れたが、おれはこれを飲んだ。
「確かによく作られていますが、『宝石』はこれをかけると溶けて消えるはずなんです。でもこれは溶けません。だから偽物です。間違いありません」
『宝石』を溶かす液体。
そんなものがあるのか。
そういえばあれだけうるさかったグランフェザーっていう悪魔の声も、あの液体を飲んでから一切聞こえなくなった。
グランフェザーの魔力権も使えなくなった。
間違いない、おれはあれを飲んだ。
でも、いつ、どこで。
ミストは唸り声をあげる。
この場にいる誰もがローズの持つ液体を疑わず、彼女が告げたことにただ驚いていた。
「いつの間にすり替わったんだ? 偽物なんて、今まで一度もなかったぞ」
「課長はフレグランスが毎度同じ手を使ってくるとでも思っているんですか? もしフレグランスが課長の思うような人間なら、今頃獄中ですよ」
そう言ってガラスケースを地面に置くと、ローズはハミルの横を通りすぎて窓際へ向かう。
「神出鬼没で、奇術を使って華麗に盗み出す……みなさんが怪盗と聞いて思い出すのはこんなイメージではないですか?
わたしたちが今追っている怪盗フレグランスですが、この名は俗につけられたものだというのはご存知ですよね。でもわたしが見てきた限り、フレグランスは怪盗ではなく盗賊だと思うんです。おそらくフレグランスは元貧民で、戦闘能力を持っているはずです」
ローズの話に、ミストたちは耳を傾ける。
様々な難事件を解決してきた少女探偵ローズ=ラスター。
その推理は今まで外れたことがないと聞いた。
だから彼女の話に、ミストたちは決して耳を離さない。
しかし、そんな彼女の推理を上回る人間がたった一人いた。
怪盗フレグランスによって、ハミルはローズの話を聞く意欲すら盗まれてしまった。
「元貧民でかなりの戦闘能力を持つ人間、そしてわたしの推測ではフレグランスは男の祓魔師。これら全てを併せ持つ人間が一人、いました。わたしも、彼で決まりだと思っていました」
元貧民で、かなりの戦闘能力を持つ男の祓魔師。
それって、セヴィスそのものじゃねえか。
ハミルが文句を言おうと思い立った時、ローズは告げた。
「でも、彼は悪魔の頭領サキュバスに殺されました」




