38 無知な幼馴染
トーナメントは二日目と三日目の間に一日休みを挟む。
その休みのほとんどを昼寝で費やしたハミルは、空腹感を満たす為にキッチンへ向かう。
食卓にはハミルが食べなかった朝食、スクランブルエッグがある。
母親のエミュが、その隣にハンバーグがのった皿を置いた。
ハンバーグは二つしかなかった。
「親父、ローズが来てから忙しそうだな」
ハミルは席につくと、リモコンのボタンを押してテレビをつける。
入ったニュースを半ば聞き流しながら、寝起きの胃袋にハンバーグを入れていく。
テレビの画面には、昨日殺されたフロストの写真が映っている。
これは衝撃だった。
フロストはセヴィスやモルディオが来る前から、トーナメントで二位を維持してきた実力者だった。
そんなフロストでも敵わない相手とは、一体何なのだろう。
A級ばかり殺しているところを見ると、見せしめとしか思えない。
やはりクロエ同様、サキュバスが犯人なのだろうか。
ハミルが昔憧れた頃と比べると、祓魔師は随分強くなった。
死んで当たり前だったA級が死ぬことが、十年経って衝撃になった。
「正体の一部が分かったんですもの。あの人も黙っていられないのよ」
エミュは微笑を浮かべて、優雅に食べる。
ニュースは見ていない。
「ん? 何か味付け変わったな。ソース濃くなった?」
「ちょっとクリムゾン・スターのやつを真似てみたのよ。どう?」
「おれはどっちでもいいと思うけど……」
「あの店って、普通の料理とは一味違うのよ。人気の理由もそれだわ。特にあのハンバーグは独特よね。どんな隠し味を入れているのかしら?」
「分かんねえけど旨いならいいじゃん。おれさ、クリムゾン・スターのハンバーグって聞くと、セヴィスを思い出しちまうんだよな」
ハミルはニュースを見ながら、大盛りのサラダにフォークを突き刺す。
「そういえば、あの子最近うちに来なくなったわね。昔家に来た時は、母さんの料理を残さず食べてくれたから嬉しかったわ。今じゃすっかり冷静になって、別人みたいよ。昔はもっと、今のモルディオぐらいよく喋ってたわよね。あの時はまさかS級になる子とか思ってなかったから、去年は結構驚かされて」
エミュの言葉は、電話の着信音で途切れた。
表示された電話番号を見たエミュは、電話に出る。
「もしもし、あなた?」
相手の声を聞いた瞬間、エミュの表情が変わった。
相手はミストではなかったらしい。
「ハミル、あなた宛よ」
そう言って、エミュは受話器を差し出してきた。
特捜課でハミルに電話をかけてくる、ミスト以外の人物。
一人しかいない。
「こんばんは、ローズ=ラスターです。フレグランスの予告状が来ました」
ローズは返事を待たず、説明を始めた。
「というわけで、至急署まで来てください」
「分かりました、今行きます」
ハミルは受話器を置き、家を飛び出した。
大通りに出ると、そこら中から戸惑いの声が聞こえてきた。
ビルの大型ディスプレイで、ニュースが流れている。
通行人の視線はニュースに釘付けだ。
また大きなニュースがあったのだろうか。
最近はいろいろありすぎて、ハミルもあまり驚かなくなっていた。
いつもだったら立ち止まって見るこの状況でも、ハミルは気にしなかった。
そのままローズの待つ特捜課へ向かう。
***
ハミルが家を出た直後、フロストのニュースは終わった。
そこで、画面の中の女性アナウンサーに白い紙が手渡される。
それを見た瞬間、女性の表情が蒼白になった。
『た、たった今入ったニュースです』
まさか、またA級が殺されたのか。
エミュは画面を凝視する。
そこで、アナウンサーは、静かに告げた。
『現S級祓魔師、セヴィス=ラスケティアが遺体で見つかりました』
「えっ……」
一瞬、何がなんだか分からなかった。
***
特捜課に行くと、既にローズとミストの部下が警備の準備を進めていた。
彼らからは、一切戸惑いの声は聞こえなかった。
それを見たハミルは、ガセかくだらないニュースだったのかと頭に押し込んだ。
フレグランスの予告の内容は、十一時にジェノマニア美術館のダイヤモンドを盗むというものだった。
これを、ローズは公表しなかった。
少しでも情報が漏れるのを恐れているのだろう。
その中でハミルへの依頼は、ミストと一緒にダイヤモンドの展示室で立ち、警備をすることだった。
特別何かしないといけないと思っていたが、それ以外は本当に何もしなくていいらしい。
ローズに言われた集合時間まで暇になったハミルは、再び昼寝で時間を費やした。
トーナメントの前日では、トレーニングをする気にもなれなかったからだ。
まさか警察の視点から美術館を見ることになるとは思っていなかった。
祓魔師の時は気にも留めなかったが、美術館は『宝石』店と比較にならない数の防犯カメラが仕掛けてある。
特に今回はダイヤモンドの部屋だけあって、防犯設備は完璧だ。
さすが一般人すら入れない部屋だ。
ローズは監視カメラを増やすようなことはしなかった。
それどころか前回の失敗を全て、ベルクという人物のせいにしている。
だが、ハミルはそう思わない。
おそらくフレグランスは単独で動いている。
前回フレグランスが変装したのは、突貫工事のようなものだ。
監視カメラの機種が変わっているのを見て、やむを得ず変装という手段をとったのだ。
その証拠にミストが仕掛けた合言葉を知らなかった。
ミストの部下をトイレに閉じ込めるという荒業を取った。
男であることをあっさりとさらけ出してしまった。
変装で監視カメラを無効化したのはベルクという人物の仕業ではなく、ただのフレグランスの失敗に決まっている。
そう言っても、ローズは全く耳を貸してくれなかった。
「ったく、ベルクって何なんだよ」
展示室で、ハミルは聞こえよがしに呟いた。
ミストは煙草を銜えたままハミルを一瞥し、無言のまま元に戻った。
周囲が静まる。
ハミルは無視されたように感じた。
もしかして、ミストはベルクについて知っているのはないか。
一切文句を言わないところを見ると、そうとしか思えない。
だが、ハミルにだけは伝えられていない。
これは一体。
「オレはトイレに行ってくる」
もうすぐ予告時間だというのに、ミストはトイレに行ってしまった。
ローズは止める気もなく、ただ立っている。
落ち着かないハミルは窓に向かい、外を見下ろした。
視界の中で、赤いライトが乱舞している。
そのライトは、この美術館別館を照らしている。
たった一人の泥棒を捕まえる為に、百台のパトカーが出動したのだ。
「今のところ外待機班と防犯システムの報告に異常はありません。奴はまだ侵入していないと思われます」
と、若い巡査の男が言った。
それと同時に、場にいる全員の視線がローズに向いた。
「そうですか」
ローズは背を向けたまま、顎に手をあてて考え込む。
ハミルは腕時計を見る。
予告時間まであと一分足らずだ。