36 悪魔の母とジェノマニア王国史
夜十一時、セヴィスは一人でクレセント町へやって来た。
クレセント町はクレアラッツ郊外にあり、徒歩で行ける距離だ。
何度か悪魔討伐で来たことがあるが、イメージは寂れた商店街だ。
空き家と空き地だらけで、見通しも悪い。
昼は子供の遊び場になっているようだが、夜は近づくなと看板が立っている程だ。
夜の依頼は基本的にシンクに任せるセヴィスだが、シンクには予告状を依頼してしまった。
予告状の内容は、『明日十一時にジェノマニア美術館のダイヤモンドをいただく』だ。
無論セヴィスはイノセント・スティールに加担するつもりはない。
ただグレイの話を聞いて、グロウに手渡してはいけないような気がしただけだ。
例えシンクに任せなくても、街灯の明るさがあるなら問題ないだろう。
総攻撃でロザリアと戦ってから、そう思えるようになっていた。
105番通りに入るとすぐに、子供が好きそうな空き地があった。
人影は一切ない。街灯も点滅していて不気味だ。
「ねえ」
ふと、声が聞こえた。
辺りを見回しても、誰もいない。
「いつまで待たせるのよぅ」
この声は聞き覚えがある。
忘れるはずもない、サキュバスの声だ。
「息子たちにS級が出没したって依頼してもらったから、すぐ来てくれるかなぁーって思ってたんだけど、随分遅かったわねぇ」
「どこだ」
もう一度後ろを振り返る。
何もいない。
「わたしを殺せるから、ここに来たのよねぇ?」
「っ!」
正面に顔を向けると、サキュバスの顔がすぐ近くにあった。赤く鋭い目と、妖艶な口元が何かを引き込みそうだった。
「ダイヤモンドは? ちゃんと盗んだのぅ?」
サキュバスに攻撃しろ、と腕に命令しかけた。
グレイが言っていた。
普通の武器はサキュバスの身体を透ける、と。
じゃあこの状況で何をすればいい。
俺に何ができる。
「……盗んでない」
「えぇ? もう待ちくたびれたんだけどぉ」
小さな声で答えると、サキュバスは顔を近づけたまま肩をすくめた。
「アンタは何に待ちくたびれてる。アンタの目的は何なんだ」
「目的なんてないわよぅ。わたしは楽しく生きたいだけ」
「楽しく……?」
的外れだった。
てっきり人間を全滅させるとか、もっとおぞましい野望を抱いているのかと思っていた。
「今のわたしにとって一番楽しいのは、わたしに惚れた男を絶望の淵に叩き落すこと」
サキュバスは何気なく、とんでもない一言を放った。
「どうしてそう思うんだ」
「知らなぁい。わたしはジェノマニア王国軍によって、そういう風に作られたもの」
作られた? と頭の中に疑問符が浮かんだ。
サキュバスはジェノマニア王国軍の誰かに作り出された存在だというのか。
「この世界の男を全員モノにしたら面白いって、キングに聞いたんだけど」
「キングって、初代館長のキングか?」
「そう。キングとグランフェザーのおじいちゃんは、わたしより前に作られたの」
つまり、サキュバスだけではなく、キングとグランフェザーもジェノマニア王国に作られたということだ。
一体、何のためにこんな怪物を作る必要があったのか。
どうやらグロウだけではなく、ジェノマニア王族も謎を握っているらしい。
まさか、と脳裏に衝撃が走った。
あの時モルディオが王族と話をしたがっていたのは、それを知るためだったのでは。
新生児誘拐事件の調査依頼というのは、何かを隠す口実だったのかもしれない。
スラムとは無関係のモルディオが、命を掛けてまでクロエを失脚させた理由はそこにあった。
「わたしたちが人間に作られたって、信じられる? この世界にいる悪魔が、わたしから作られたって信じられる?」
キングがどんな魔力権を持っていたのかは知らない。
だがグランフェザーが千里眼という珍しい魔力権を持っていたことを考えると、どこか納得してしまう。
「わたしね、あの二人だけはキスしないって決めてたの。でもわたしは強すぎた。聞いてくれる? わたしの愚痴兼、ジェノマニア王国の裏歴史」
サキュバスの表情が曇った瞬間、浮かんだ疑問が頭から消えた。
何か分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。
それと同時に直感が告げる、ここにいるサキュバスからは逃げられないと。
「わたしが生み出される前のジェノマニア王国は、戦争で負け続けていたわ。つまり、わたしはジェノマニア王国の切り札として作られたわけ」
「俺はアンタみたいな怪物を作れるほど、この国が進歩してるとは思えない」
「そうよねぇ。どういう設計をしてわたしを作ったのかは謎なのよ。設計図とかはキングが抹消したからねぇ。
わたしの悪魔を生み出す能力で、ジェノマニアは相手国に大量に悪魔を送り込んだの。この事実は隠蔽されて、世界中で悪魔は元々存在していて、洞窟や鉱山から突然出てきたってことになってるけど。悪魔に殺されたのはほとんど市民だったのよ? それで、ジェノマニアは優勢になったわ。
でもキングは悪魔が増えすぎだ、取り返しがつかなくなるって反対したの。悪魔がいつかジェノマニアの敵になるってね。そこでキングは何人かの悪魔たちを連れて、わたしを殺す計画を立てた。それがギルティ・スティールよぅ。これのせいで、クロエちゃんもかわいそうな目に遭ったのよねぇ。
ギルティ・スティールは情報不足だった。だから悪魔を研究していたクロエちゃんの家族を仲間に引き込んだの」
「クロエはキングの手下だったのか」
サキュバスは話をしている間も一切隙を作らない。
少しでも気を逸らそうと質問してみても、無意味だった。
「そうなるけど……ダイヤを盗んでアフター・ヘヴン内で管理しようとしたあたり、クロエちゃんはキングとは考えが合わなかったみたいね。そこはよく知らないけど、もう死んだ人の話をしても仕方ないわ。
キングはわたしが他国に行っている間に、自分を作った軍の人間を全員殺して、自分が悪魔であることを完全に隠蔽したの。そのまま人間に成りすまして、ジェノマニア王国軍の元帥まで登りつめたわ。それからはキングのおかげか知らないけど、ジェノマニアは大きな戦争に勝利した」
セヴィスの歴史に関する知識はほとんど皆無だが、この戦争は知っている。
当時の元帥がキングで、その後設立された祓魔師を率いたことは、モルディオに聞いた。
「キングは戦争の采配で莫大な賠償金と信頼を得て、人間たちを仲間に引き込むことに成功したわ。それが祓魔師の始まりよぅ。キングは世界中に支部を作って、ダイヤモンドを管理させたわ。教官に悪魔が紛れてるのも、キングのせいよぅ。
キングが作った祓魔師はわたしを楽しませてくれた。でもキングは人間に殺されちゃった。だからそいつを一番絶望に叩き落したいの。つまり、きみ」
「待てっキングを殺したのは俺じゃな……っ!」
「ごめんねぇ」
口が塞がれた。
あまりにも一瞬のことだった。
最初は、本当に何が起こったのかわからなかった。
気づいた時には両腕を掴まれていた。
そして、サキュバスのひんやりとした舌が、自分の唇をねぶっていた。
キスというより、ただ唇を舐められている感覚だった。
「……何で効かないの」
足で蹴ろうとすると、唐突に両腕の拘束が解けた。
力が抜けて、膝が地面についた。
息切れが止まらない。
思わず口に手をあてて、擦るように拭う。
「ねえ、何で効かないの。まさか、もうミルフィちゃんとしたの?」
汚れた手を地面について、立ち上がる。
サキュバスは不満そうな表情をしている。
「はーん」
サキュバスは一人で何かを理解したらしく、手を叩き、何度も頷いた。
「クロエちゃんの目的はこれだったのねぇ。所持者とキスした男は、わたしに惚れない。ミルフィちゃんの想いを利用して、偶然を装った再会をさせてくっつける、かぁ。面白いじゃない」
「……」
「ねえねえ、やっぱりこの世界の男を全員モノにしたら面白いと思う?」
「……は?」
「でもその為には、やっぱり人間の女なんていらないわよね。うーん、でも殺すのはかわいそうだから、女は家畜同然の奴隷でいいと思うの。まあクロエちゃんは例外だから殺しちゃったけど」
「何、言ってるんだ」
殺すのはかわいそう。
そう言ったということは、サキュバスはクロエを除くA級連続殺人の犯人ではないということだ。
だが、今それを知ってどうなる。
「手下の悪魔も集まってきたし、そろそろ夢を実行しようかなーって思ってたの」
「夢って」
「この世界の男を全員モノにするに決まってるじゃない。さあ、今までの成果を見せてよぅ。それで全部失敗して、希望が失われた時の顔を、わたしに見せてよ?」
サキュバスは両手を広げる。
その手から出てきたのは、グランフェザーのタロットカードだった。




