32 狂気のポイズン
チェルシーは作戦通り、観客に見えないようにする為、水壁を二つ生成した。
グレイは上を見上げる。
この中にいるのは自分とセヴィスだけだ。
「俺様は気にすんな!」
グレイは二度目の自分の声が、近くから発せられていることに気づいた。
まさかこいつ、俺様の真似してんのか。
今チェルシーに指示を送ったのは、俺様じゃなくて、セヴィスだったってのか。
「てめぇ」
吐き気が少し退いた頃合を見て、グレイはよろよろと立ち上がる。
「俺様の真似、すんじゃ、ねー」
グレイはもう一度炎の魔力権を発動しようとする。
だが、先程と同じように発動しない。
「なっなんで出ねーんだよ」
「何が出ないんだ。アンタの魔力権、浮遊じゃなかったか」
こいつ、俺様の魔力権が浮遊だけじゃねーってこと、知ってやがった。
グレイは自分が魔力権を出せない理由を考えることに精一杯で、攻撃を忘れていた。
「どうだった? ジュエルバレットのお味は」
グレイの声真似をしていた時とは打って変わって、セヴィスは地声で言ってきた。
ジュエルバレット、グレイはその名を知っている。
「ジュエルバレットって、てめぇ!」
「そうだ。これでアンタのアフター・ヘヴンは終わった」
セヴィスは立ち上がり、グレイの手に向けてナイフを投げてきた。
グレイはとっさに避けたが、武器である長い鉤爪は、小指の部分だけ折れてしまった。
「何で、て、てめぇがそれを持ってやがる。それは……麻薬夫妻が作ったやつだ。クロエでさえ手に入れられなかったんだぞ」
くそ、魔力権が使えなかったら、俺様はただの人間だ。
鉤爪は浮遊と氷の魔力権のコンボがあるからこそ扱える武器。
最凶を支える足がなくとも、セヴィスのナイフの威力は衰えていない。
ただの人間が、S級に勝てるわけがない。
「別に欲しかったわけじゃない。あいつらが死に際によこしてきたんだ」
「てめぇ、あいつらとどーいう関係だ」
「麻薬夫妻は俺の両親だ」
「なっ」
麻薬夫妻の息子は、スラム街でグロウの実験台にされたと聞いている。
セヴィスはハミルの幼馴染だ。
ハミルはスラム出身ではない。
この二人の接点がどこにある。
「アンタ、クロエに関して何か知ってそうだな。細かい話は後でたっぷり聞かせてもらうか。というわけで解毒剤をよこせ」
「嫌だって言ったら?」
「爪を剥がす」
グレイはその場に座り込む。
顔が青ざめていく感覚だけが、むなしく残った。
***
「えっ!?」
水壁を作ってすぐに、チェルシーは声をあげた。
おかしい。
グレイの作戦では、モルディオをこの水壁の中に入れ、グレイと二人で倒すはずだった。
だがモルディオが剣を持ってこなかったことによって、それは崩れた。
この水壁の中にいるのはチェルシーだけだった。
つまり、あとの三人はもう片方にいるということだ。
「やめろうあああっ!」
壁の向こうから奇妙なうめき声が聞こえた。
声がしたのは、先程グレイが立っていた方、右側だ。
チェルシーは壁を解除しようとする。
ところが水壁に小さな穴が開き、チェルシーの左側をすり抜けた。
ここで水壁を解除するのは危険だと勘が告げた。
「どういうこと!?」
水壁に無数もの穴が開けられる。
この穴の大きさはナイフではない。
ナイフではない以上、跳ね返せない。
チェルシーは思い切って水壁を解除する。
倒れているグレイを見つけて息を呑むとすぐに、腕から血が噴出した。
「やっぱり解除したね。どこまでも甘いんだよ、君は」
今まで水音で聞こえなかった、引き金の音。
後ろを見ると、モルディオが拳銃を向けていた。
最初から水壁の外にいたらしい。
「拳銃を使えるのは知ってたけど……っ!」
驚くべきなのは、その正確さだ。
手に掴んだ小動物をいたぶるように、弾丸はわざと急所を外してくる。
それを受けたとき、忘れかけていた狂気を思い出した。
誘拐された後、何度も見てきたベルクの癖。
確実に止めを刺せるまで相手を痛みつけ、嬲り殺す。
学園に入学して優等生という噂を聞いてからは、改心したのかと思っていた。
昔から避けてきた狂人ベルク=グラファイスと、嫌味ばかりで、どこか馬鹿にしていた優等生モルディオ=アスカ。
この二人が同一人物であることに、改めて気づかされた。
だが、二重人格とはまた違う。
モルディオが癖を出さなければ、中身は結局ベルクと同じである。
観客の喜ぶ声が聞こえてくる。
近距離系であるモルディオが拳銃を使ったことに対する声か、グレイが倒れていることへの声かは知らないが、不愉快であることには変わらない。
チェルシーはすぐに指をモルディオに向け、水弾を撃つ。
簡単に避けられた。
飛んでくる弾丸は、自分の足に命中する。
昔から、彼には勝てなかった。
グロウの審議で彼と当たる度、嬲り殺されるのが怖かった。
「試合終了!」
審判が、ゴングを鳴らした。
「なんで、どうして!?」
チェルシーはグレイに駆け寄る。
グレイは破れたシャツを掴んで激しく息を切らしていた。
審判はグレイが気絶したと判断したらしい。
このグレイの反応は見覚えがある。
ハンバーガーを食べていた時、突然体調不良を訴えたハミルと同じだ。
「ペアの一人が気絶したから終わったんだろ。何か文句あるのか?」
とセヴィスは言う。
その手に握られているのは、空き瓶だ。
グレイの爪は一つが剥がれ、シャツは不自然に破れている。
解毒剤が奪われた明らかな証拠だった。
モルディオが制服のブレザーを開けていたのは、隠していた拳銃を取り出しやすくする為だった。
それに気づかなかったチェルシーは、作戦通り壁を作り、グレイを隔離してしまった。
その結果、グレイは観客に見えないところで拷問を受けた。
「爪まで剥がすなんてひどいよ……」
「先に毒を盛ったのはこいつだ。俺はこのクソにかなり腹立ってるんだ。それでも毒のことを公表しないんだから、むしろ感謝してほしいもんだな」
そう言って、セヴィスは何事もなかったかのように、自分の足で階段を上がっていった。
確かにグレイがセヴィスにやったことは許されないことだ。
だが、そこまでする必要がどこにある。
チェルシーはグレイを治療班に任せ、自分の席に戻った。
ベルクは何も言わなかった。




