儚き背徳 -Vestige- ②
おれはその友達に内緒で、トレーニングついでに河川敷でセヴィスを探した。
セヴィスがいる時は大抵おれより先にいて、いつも石を投げている。
そんなあいつがどこから来ているのかは、何度聞いても教えてくれなかった。
おれが十歳になったある日、セヴィスはネックレスを握りしめていた。
ネックレスを大人の女性が着けるものだと思っていたおれは、それを不思議に思った。
「それ、どうしたんだ?」
「兄貴がくれたんだ。父さんのものだったんだって」
「父さん……?」
金色の三日月が、太陽の光を浴びて輝いている。
この三日月のネックレスは、後に彼がS級になってからも身に着けていたものだ。
「父さんがネックレスとか着けるんだな」
「うん」
あまり家族のことを口にしないセヴィスが話す程、大切なものなのだろう。
何の変哲もないネックレスだが、特別なものであることは伝わってきた。
普段ならそれで終わるところだった。
だが、その日のおれはやけに苛々していた。
「……」
砂袋を叩くのも、いい加減飽きてきた。
七歳からやってきたこの鍛練を三年も続けた、おれにしては続いた方だ。
でも将来おれが戦うのは砂袋ではなく、悪魔だ。
通っている格闘術の教室に、おれより強い相手はいない。
実戦でも怪我をしない程度で終わってしまう。
先生ですら超えてしまった今、そろそろ実際の人間と本気で戦ってみたいという心が芽生えた。
その退屈が、おれに魔を差した。
「それ、くれよ」
そう言って、おれはネックレスを奪った。
「ちょっとぐらいいいだろ」
ほんの少しからかうつもりだった。
だが、セヴィスは何も言わず鋭い目つきで睨みつけてきた。
それに腹を立てたおれは、彼の頬に拳を叩き込んだ。
「返してほしいなら力づくで取り返してみろよ」
おれを殴ろうと振り下ろされる拳は遅い。
おれが細い腕を掴むと、それだけで痛みに顔をしかめた。
必死に抵抗しているつもりなのだろうが、蹴りも遅い。
同じ格闘術を学ぶ子どもと比べるまでもない。
それだけ、セヴィスは弱かった。
一度人間と本気で戦ってみたいと思っただけなのに、戦っているという気にすらなれなかった。
一方的なケンカを止めたのは、迎えに来た母ちゃんだった。
こっぴどく叱られたおれは、何度も謝ってネックレスを返した。
「……ごめん、ごめんな」
弱者をいたぶったという罪悪感に苛まれたおれは、謝りながら涙を流した。
セヴィスは顔と腕に痣ができていたが、一切泣かなかった。
「おれ、悪魔みたいだな」
「ハミルは悪魔じゃない。だって、悪魔は謝らないから」
セヴィスはおれに怒らなかった。
それどころか、許していた。
結局、おれの予想よりはるかに早く仲直りしてしまった。
母ちゃんはこれに心打たれたのか、セヴィスを家に招待し、夕食を振る舞った。
母ちゃんが作った料理をあんなに美味そうに食べる人間は、初めて見た気がする。
それからおれがあいつのネックレスを奪うことはなくなった。
しかし意地悪は治らず、鍛練という名の一方的なケンカを何度もしてしまったことは否めない。
***
「この近くに引越したんだ」
おれが十二歳の時、セヴィスは何の前触れもなく、河川敷でそう告げた。
この頃になると、おれは自分より身長が高くなったセヴィスに少しライバル心を抱いていた。
セヴィスは痩せているが、以前と比べると健康的だった。
服も清潔で、くすんでいた髪も鮮やかな紫色になっていた。
以前より悪くなったのは性格だけだ。
あいつはだんだん寡黙になっていた。
何があったのか、とは聞かなかった。
どうせ聞いても無言で返されるだけだと、おれもいい加減分かっている。
「へえ。じゃあおれと同じ学校?」
「学校には行かない。ただ兄貴がエルクロス学園に入ったから、引っ越しただけなんだ」
エルクロス学園は、世界トップクラスの祓魔師養成学校だ。
その名前がセヴィスの口から出るとは思わなかった。
おれははっとして頭の中の記憶を探る。
確か、彼と同じ苗字の優秀な祓魔師候補生がいたはずだ。
「お前の兄って……もしかしてウィンズ=ラスケティア?」
必死に掘り起こした名前を、おれは口にした。
「知ってるのか?」
「みんな知ってるって。入学試験で頭脳の点数だけで入学して、自作の武器を作ってる天才がいるってとっくに有名だし、苗字が一緒だったから……まさかとは思ってたけどな」
そう言っておれは頭を掻いて笑う。
「兄貴みたいな祓魔師は特例だけどな。俺も入ろうと思ってる」
「お前も!?」
おれが大げさに驚いても、セヴィスの表情は全く変わらない。
「奇遇だな! おれも同じなんだ!」
と、おれは自分を指差して得意げに言った。
おれが祓魔師を目指していることは今までしつこい程言っている。
「でも驚いたぜ。お前が祓魔師になるなんてよ。だってお前、おれに一度も勝ったことないし。もしかして補助志望?」
「……」
セヴィスは黙り込んだ。
これまではおれが一方的にケンカをしてきたが、おれは一度も負けたことがない。
それが本気だったのか、わざと負けていたのか、未だ分からない。
「今度さ、一緒に祓魔師のトーナメント行こうぜ!」
「トーナメント?」
「あれ、知らないのか? 祓魔師は候補生も混ぜて、悪魔と同じように毎年トーナメントで強さの格付けを行うんだよ。で、一番強い人がS級になって、祓魔師本部である美術館の館長になるんだ。後はA級、B級……って振り分けられていくんだ。今のS級はクロエ=グレインっていう女の人で、カッコいいんだよなぁ」
セヴィスは首を傾げる。
クロエ=グレインについては初耳という感じだった。
「お前クロエ館長も知らないのか? 誰だって知ってるんだぞ」
祓魔師を目指す者でなくても、知っていて当然の人物だ。
確かに彼は他より世間知らずなところはあるが、さすがに知らなさすぎだ。
おれはセヴィスに今まで以上の違和感を抱いた。
***
エルクロス学園の入学試験を受けた時のおれは十五歳だった。
この学園の入学試験は、志望する系統によって科目が異なる。
近距離、遠距離、補助の三つだ。
おれは近距離を選択し、それに合わせた筆記試験と実技試験を受けた。
試験の間何度もセヴィスを探してみたが、いなかった。
おれはセヴィスが補助を希望していたのだと勝手に勘違いし、試験に集中した。
知識を試す筆記試験と、運動能力を試す戦闘試験の合計点が合格点に達すれば、その生徒は合格となる。
近距離系における戦闘点の配点はかなり高いので、勉強が苦手なおれは戦闘で稼ぎ、なんとか合格した。
そんな中、二人の生徒の噂が入ってきた。
一人は筆記試験を満点、戦闘試験も文句なしの成績で入ったという優等生。
もう一人は、遠距離に筆記試験を白紙で提出し、戦闘試験の点数をほぼ満点で合格したという。
おれがそれを誰だか知るのはトーナメントの後、その二人がテレビで取り上げられてからだ。
入学式で、おれはようやくセヴィスを見つけた。
河川敷で会った時とは一変し、髪が短くなっていた。
あいつの髪は後にも先にもこれぐらい短くなることはない。
おれもこの時はかなり髪を短くしていた。
一年生は能力、系統関係なくクラスが振り分けられる。
そして一年間、二人組ペアでの行動を義務づけられる。
おれとあいつは同じ一年B組だった。
「よかった、お前も合格したんだな。てかお前のペア女の子かよ、いいなー」
おれは学園長と教官の話を無視して喋り続ける。
セヴィスの隣にいるルビア=クォーツという女子は、大きい目と胸を持っていて、まさにおれ好みの風貌だった。
しかも同じ遠距離系なので戦闘訓練も一緒に受けられるのだ。
羨ましいの一言だけがおれの頭の中に浮かんだ。
「お前のペアは……男か」
とセヴィスに言われて、おれは嘆息した。
おれのペアはランド=パズノンという筋肉質の大男だった。
この見た目で補助系という意外さがまた不気味だ。
そこで、教官がマイクを手に取った。
「新入生代表挨拶、一年A組モルディオ=アスカ」
「はい」
おれが知った二人の生徒の一人が、モルディオだった。
この頃は違うクラスだったので何の面識もない。
当然知る由もないが、二年生の冬に彼の命をランドが助けることになる。
「やっぱりあいつかー」
モルディオの話も聞かず、おれは斜め後ろのセヴィスに話しかけていた。
「あいつ?」
セヴィスは首を傾げる。
「有名だぜ、成績一位で入ったガリ勉のモルディオ」
「モルディオに関してはオレも聞いたことあるんだなー。入学前から有名になるってすごいことなんだな」
とランドが言うと、わざとらしい教官の咳が響く。
その後おれはランドと共に教官の説教を受けることになった。
***
入学式の後、おれの家に白い粉末が届いた。
薬の名は『バレット』。
最近出来たばかりの薬だ。
これを飲めば、人間は魔力権を手に入れることができる。
細かい説明も読まず、おれは薬を飲んだ。
直後に魔力権が発動し、おれは意識を失った。
意識を取り戻すと、部屋の電気や時計が全て下に落ちていた。
魔力権は使いすぎると身体に負担をかけ、気絶する。
つまり使いすぎなければ気絶することはない。
しかし重力を操るという能力は、おれにとって負担が大きすぎた。
薬を飲んだ後、使えるようになった魔力権を学園に報告しないといけない。
おれは配布された『魔力権の全て』という教科書を開いて、自分の魔力権を探す。
その教科書には、おれの魔力権は希少で、使いこなすと脅威になると書いてあった。
報告書に『グランド・アドプレッシャー』と書きながら、おれは一人落ち込んでいた。
こんなにすごい能力が与えられたのに、使いこなせない。
そんな自分を悔やんでいた。
戦闘の度に気を失っていては、目標のS級どころか話にもならないのに。
おれは決めた。
魔力権を使うのは本当に必要な時だけにしよう、と。
***
それからおれはセヴィスに魔力権について聞いておきながら、自分の魔力権を言わなかった。
セヴィスは何度か魔力権のことを聞いてきたが、おれはそれを適当に受け流した。
一年生の戦闘訓練は系統別に受ける為、おれはセヴィスの戦闘を未だ見ていなかった。
戦法を聞いても、「色々試してる。でもまだ決まってない」としか言わない。
一年生の戦法が定着していないのはごく普通のことだったので、おれは大して疑わなかった。
様子を知りたくても、遠距離にはおれの苦手な男子と女子が多く話に入れなかった。
一番手っ取り早いのはルビアに聞くことだが、おれはナンパしたせいで嫌われてしまった。
それでも気になったので、ランドを介してルビアにセヴィスについて聞いた。
「セヴィス? あいつは最低。教官の話聞かないし、弓の持ち方全然分かってないし。拳銃は持ち方分かってたけど、とにかく下手で、すぐ投げちゃうの。しかもそれで練習用悪魔倒すし。協調性もないし、何のためにここに来てんのって感じ。ほんとパートナー変えてほしいんだけど」
そこまで言う必要はないだろう、と思ったが、想像は容易だった。
昔からセヴィスは悪魔を前にして戦うような、勇敢な人間に見えなかったからだ。
セヴィスはクラスの人間に距離を置かれるようになっていた。
元々他者を寄せつけない雰囲気は持っていたが、無論それだけではない。
彼は日ごろからクラスの役割をこなさない。
二学期にあった学園祭の演劇は、彼のせいで一部が台無しになった。
それに加えて距離を置かれた一番の原因は、数少ない娯楽であるスポーツ大会だった。
そしておれが抱いていた違和感が疑惑に変わったのも、この大会だった。




