16 チェルシーの杞憂
明日から待ちに待ったトーナメントが始まる。
普段は十一月の下旬に行われるトーナメントが一月の下旬に行われるのは初めてだ。
それに今年はグレイと組めるのだ。
チェルシーは授業中も心を躍らせていた。
三学期が始まってから既に一週間が過ぎているが、授業の内容はほとんど抜けていく。
それはハミルも同じらしく、教科書のページが違ったままだ。
前の席のモルディオは変わらずノートを取っている。
セヴィスは見るまでもない。
「設問の答え合わせをするぞ。じゃあ一問、これは簡単だな。チェルシー」
ジャックに聞いていないと思われたのか、当てられた。
「A」
チェルシーは自分のノートを見て答えた。
「正解だ。二問、悪魔に初めて勝利した祓魔師は……ルディ」
「ヴァルティ=マルザイラ」
ルディがチェルシーと離れた席に座っているのを見ると、ジャックは適当に当てているらしい。
「違う、ジュエニー=アルナイルだ。ヴァルティは初代S級キングによって、初めて海外に派遣された祓魔師だ。これは一年生の範囲だ、ちゃんと覚えろ。
三問、一人の祓魔師に初めてバレットが投入された戦いの名前を、ハミル」
「えっ」
完全に上の空だったらしく、ハミルは違うページの教科書とジャックを交互に見る。
「まさかそこの紫坊主みたいに寝てたんじゃないだろうな?」
チェルシーはちらっと後ろを見る。
やはりセヴィスは寝ていた。
いつものことだが、ジャックの授業をまるで聞かず、鼾一つ鳴らさずに寝ている。
これだけ眠っているのを見ると、セヴィスは夜型で授業中が就寝時間なのだろうか。
夜に悪魔の討伐をしてもしなくても寝ている気がするが。
「えっと……マキア鉱山の戦い」
隣の男子のノートを見ながら、ハミルは答えた。
「正解だ。四問、この戦いによって祓魔師はどうなったか……記述だな。これはモルディオに答えてもらうか」
少しでも難しい問題になると、すぐモルディオに当てる。
これはジャックの悪い癖だ。
モルディオがいつも模範解答に近いことを言うからなのかもしれないが、いくらなんでも当てすぎだ。
「何問目ですか」
「聞いてなかったのか?」
「はい、すみません」
「ったく、四問目だ」
チェルシーは首を傾げた。
生徒が教官の話を聞き逃すのは特に珍しいことでもないが、その生徒がモルディオであることは滅多にない。
というより、一度もない。
「マキア鉱山の戦いによって、祓魔師は悪魔を倒す手段として魔力権を得ることを決定し、バレットに改良を加えて全ての候補生に飲ませることを義務化した」
「よし」
ハミルだけではなく、モルディオまで上の空になっていた。
まさか、トーナメントにおける奇策を練っているのか。
彼が授業を聞き逃すという些細な出来事が、チェルシーの頭に大きな蟠りを残した。
大げさな話かもしれないが、チェルシーは家族よりモルディオのことをよく知っている。
ほとんど同じ環境で育ってきたせいか、今でもベルクと呼びそうになる。
チェルシーはモルディオが姉によってグロウに売られたことも知っている。
セヴィスは新生児誘拐事件の生き残りだということすら知らないだろう。
世間が知らず、彼が知っているのは未来予知の能力だけだ。
唯一気がかりなのは、どのような経緯でモルディオが自分の能力を明かしたかということぐらいだ。
だからチェルシーは思う。
今回ハミルはシェイムと組み、チェルシーもグレイと組んだ。
今年は去年と比べると激戦になると誰もが思っているのだ。
モルディオは時々無鉄砲に首を突っ込むことがあるが、基本的に用心深い彼が何も用意しないわけがない。
それは組んだ相手がS級でも変わらない。
そうでもなければ、モルディオが授業を聞き逃すことなどまずありえないのだ。
***
放課後になると、ほとんどの女子が我先にと教室を出て行く。
チェルシーも彼女たちと同様に、教室を出て三階へ赴く。
三階にある生徒会室は広く、固い雰囲気を持つ部屋だ。
だが放課後になると、こうしてグレイを中心とする女子で溢れ出す。
ここがいつの間にかグレイの溜まり場になっていた。
チェルシーは周囲に群がる女子たちをかき分け、ソファーに座るグレイの元へ向かう。
「グレイ様。トーナメントのことなんですが、ちょっと気になることがあって」
とチェルシーが言うと、周囲が静まった。
「作戦会議か? 分かったぜ。子猫ちゃんたち、ちょっとだけ外で待っててくれ」
『はいグレイ様!』
女子たちは全員笑顔で返事すると部屋を出て行った。
しかし扉の窓には大量の影が映っている。
どうせ今頃陰口でも叩いているのだろう、とチェルシーは思った。
「で、どうした?」
「モルディオが、授業中にあたしたちを倒す策を練ってるんです。これはなんとかしないとまずいと思って……」
グレイは興味深そうにうなずいた。
「あー、モルはマジで何考えてるか分かんねーよな。あいつ相手に無防備で行くのは絶対ダメだ」
グレイは口角を上げて言った。
「俺様は、以前からあいつを怪しいと思ってたんだ。だってよ、あんなに頭いいくせに毎日図書館に来てるなんておかしいだろ。ひょっとして、卑怯なことでもしてきたりして?」
それは怪しい理由に入るのだろうか。
だが、モルディオがどんなことをしてくるか分からない人間であることは、チェルシーも分かっている。
彼は表面では決して卑怯なことはしないが、あの能力自体が卑怯だ。
彼の本当の能力を知らない祓魔師たちは無効化だと思い込み、魔力権を使わないからだ。
しかも彼は能力によって、自身が咎められない、最適な未来を選ぶことができる。
それに、どうもグレイの前にいると、グレイを正当化しようとする自分を優先してしまう。
「……あいつなら、やりかねませんね」
「そ。だから、先に手を打つぜ。あいつら用に考えた対策があってな。ぶっちゃけこれでモルに勝つのはムリだ」
と、グレイは自分の頭を指差して言った。
「じゃあどうするんですか?」
「ウナギの方を何とかするんだ。実際ウナギはクソ速えー足とナイフの投擲力以外大したことねーし。てかあいつがS級になれた理由って、速すぎて誰もついていけねーからだろ。
ちょっと廊下に出て、フォルテちゃんを呼んできてくれねーか?」
言われた通り、チェルシーは廊下に出る。
女子の視線が一斉にチェルシーの方を向く。
「フォルテ、ちょっと来て」
チェルシーの声に反応して、短髪の小柄な少女が部屋に入り、扉を閉めた。
彼女がグレイに呼ばれたフォルテ=カーラだ。
フォルテは補助系の一年生で、モルディオがいるせいで学力の成績は常に二番だ。
ここにいるのが不思議なくらい真面目な生徒で、生徒議会では書記を務めている。
グレイはチェルシーとフォルテを傍らに座らせ、そっとささやいた。
「ちょっと一芝居買ってくれねーか?」




