14 未完全の媚薬
「彼は当然拒んだけど、その檻自体が拷問器具のようなものだったから、女たちも仕方なく従った。もちろん最初は嫌がってた。でも彼が一回したら、それだけで女の方から彼の口付けを求めるようになってしまったんだ。
彼の意識とは裏腹に、檻の中は一種のハーレムと化した。男二人が発狂したけど、無意味だった。クロエはすぐに彼と女三人をそれぞれ別室に隔離して、様子を観察した。男二人は狂いだして、彼は罪悪感に苛まれてほとんど放心状態。女二人はすぐ普通に戻ったんだけど、彼の恋人はまだ口付けを渇望していた。つまり、彼がその人間をどう思ってるかで、効果が変わってくる。
クロエはこの結果に満足して、アフター・ヘヴン所持者を『未完全の媚薬』っていう異名をつけてからかったんだ」
『未完全の媚薬』。
それは自分を指す言葉でもある。
足が震えて、今にも崩れそうだった。
だが、モルディオはこの話を止めようとしない。
ミルフィは、モルディオがこれからもっと残酷な真実を突きつけてくるような気がした。
「問題はここからなんだ。実は、これもクロエの資料に書かれてたんだけど……この奇妙な現象は、サキュバスによってだいぶ前から起きてるんだ。しかもこれよりもっと強力なやつをね。だから、この資料の最後は、『アフター・ヘヴン所持者はサキュバスと人間の男の間に産まれたハーフ』って締めくくられてるんだ」
「そんな、あたしの母親がサキュバスってこと?」
「それはまだ分からないよ」
モルディオは語気を強めて言った。
「だって、あたしには母さんがいた。母さんはあたしと同じ髪の色をしてた」
「そんなの、染色剤でいくらでも誤魔化せるよ。クロフォード=ラスケティア……セビの父親も、紫の髪を染めて、死に際まで息子を欺いたんだ」
「……っ」
「この実験が書いてあった資料には、サキュバスに魅了された男は皆、あまりいい結末を迎えないって書いてあるんだ。だからこんなこと言いたくないけど……君が本当に彼を好きなら、彼にそういった行為はしないでほしいんだ。彼が自分からするとは思えないしね」
ミルフィの頭に駆け巡ったのは、大きな後悔だった。
するなと言われても、もうしてしまった。
あたしはうぬぼれていた。
セヴィスが抵抗しなかった理由が、これだった。
それでも話を聞く限り、実験台にされた恋人の女性は所持者の『彼』と隔離された後は苦しんでいるように思える。
あれから何週間も経ったが、セヴィスはそういった素振りは一切見せていない。
嘘だと信じたいからそう思っているだけなのかもしれないが。
「泣きたくなる気持ちも分かるけど、君はもうクロエの監禁から解放されたんだ。今まで通り過ごしていれば、何の問題もないよ。約束を守ってくれればトーナメントにも来ていいから」
「でも、あたしにそんな変な性質があるんだったら目立つよ」
「そうだよ、わざと目立たせるんだ。そうすればグロウが姿を現すかもしれないし」
ミルフィは一瞬、目の前の男が何を言っているのかと疑った。
ミルフィが目立つことによってグロウが出てくる、つまり自分を捕らえに来るのだ。
結局モルディオはグロウを調べる為なら、ミルフィ一人の犠牲などどうでもいいのだろう。
「何か不服そうな顔してるけど、別に心配しなくていいよ」
まるで心を読み取ったかのように、モルディオは言った。
「あそこはこの国の祓魔師全員が集まるんだ。そう簡単に身動きは取れないし、それに万が一何かあってもセビが助けてくれるよ」
「え?」
「最近、何かと君を心配するような発言が多いから……ってそんなことはいっか。
僕は副館長に隙ができたら、もう少し館長室を調べようと思う。それを調べれば、グロウの『イノセント・スティール』に辿り着けるかもしれない」
「やっぱり『イノセント・スティール』を止めるんだ」
「僕が潰したいのはグロウであって、『イノセント・スティール』を破綻させようとは思ってないよ。でも利用しようとは思ってる。それじゃ」
そう言ってモルディオはファイルをバッグにしまって踵を返す。
「待って」
ミルフィはすぐにモルディオを呼び止める。
「何?」
モルディオは早く済ませてくれと言うように、顔だけ振り返った。
「あたしがそんな性質を持ってるんだったら、そっちもあたしに近づかない方がいいんじゃないの?」
「確かにハミルはそうだったけど、僕には不思議と効いてないんだ。元々僕はグロウによって育てられた人間だし、何か施されているのかもしれない。でももし僕がそうなら、セビも同じかもしれない。生き残りの中で男は僕だけだから確証は持てないけど」
この偽善者に任せていいのだろうか。
あたしは所持者、未完全の媚薬。
助けたいと思った彼にはむしろ迷惑。
普通に過ごすこともできないのだろうか。
去っていくモルディオを見ながらそう思った時、身体中を電撃のような感覚が襲った。
この感覚。
操られる。
身体を、男の悪魔が乗っ取ろうとしている。
「やめて」
「うるせぇ黙ってろ」
自分の声で、自分と悪魔が争う。
頭をおさえて膝から崩れ落ちるとすぐに、意識は飛んだ。
***
「えっ……火傷……どうってことないよ」
意識を取り戻した時、最初に途切れて聞こえたのはモルディオの声だった。
どこだか分からないが、自分が横たわっていることは分かる。
「生前はS級だったって言ってた。全く、クロエはこんな男の『宝石』を彼女に食べさせてたんだね」
重い瞼を開けてみると、見慣れたクリムゾン・スターの自室の天井があった。
視界はまだぼやけている。
いつもシンクが座っている椅子には、シンクと同じ色の髪をした人間がいる。
この人間がモルディオであることは自然に理解できた。
「よかった、目が覚めて」
視界がやっとはっきりしてきた。
よかったと言っているが、モルディオの左手には小さな火傷の痕が残っている。
あれは、先程乗っ取った悪魔が使った魔力権のせいだろうか。
ミルフィはただ申し訳なくなった。
「セビ、タオル持ってきてくれない? すごい汗掻いてるから」
「分かった」
はっとして声のした方に視線を向けると、白いタオルを持ったセヴィスがいた。
「……何で、いるの」
ミルフィは思ったことをそのまま口に出した。