90 JEWEL of MEMORIES
ハミルは嵐のように去って行った。
そんな彼と夕日を見て、セヴィスはしばらく呆然としていた。
ハミルが忘れていったのか、わざと置いていったのか、手元には怪盗フローラルの予告状が残っている。
予告状の右側に印刷された紫色の花は、フレグランスのそれと全く同じだ。
裏返すとハミルの字で、『ラスト・ギャンビット』とその著者をどう思うか、と書いてあった。
何かのメモか、それとも自分に聞きたかったことなのか、よく分からない。
***
「せっかく怪盗フレグランスって名前がついたんだ。予告状も花柄にしたら、警察の連中が怒り狂いそうで面白そうだな!」
「今までと同じでいいだろ。面倒くさい」
「警察を煽るのって一度やってみたかったんだよ。俺は悪魔だから、下手に煽ったら祓魔師を呼ばれて処刑されるからな。よし、お前今度から『宝石』盗ったら造花も置けよ。徹底的に煽ってやろうぜ」
「二度手間だ。ただでさえ速く終わらせないといけないのに、そんな無駄なことしてたら捕まる」
「やれよ。やらねえと戦闘訓練してやらねえぞ」
***
もう二度と手にしないと思っていた花柄のカードが、シンクとの思い出を蘇らせた。
彼のレストラン『クリムゾン・スター』はクレアラッツの本店に留まらず、支店もセレーネ邸の一階を借りて引き継がれている。
セヴィスは予告状を半分、さらに半分、跡形なくなるまで千切り、夕焼けの空に解き放つ。
首に巻かれた水色の紐が、そよ風になびく。
紙片は風と共に空を舞い、見えなくなった。
紙片が飛んでいくのを見届けてから、セヴィスは家の扉を開ける。
家に帰ってきたのは一週間ぶりだ。
客は三人、本店と比べると空席が目立つ。
これから日が暮れると、もう少し増えそうだ。
「あ、帰ってきましたね!」
「おっセビ兄さん久しぶりー」
マリと客が自分を歓迎してくれている。
家に帰ると自分を待っている人がいる、という環境は本当に良いものだと思った。
ただ『セビ兄さん』というあだ名には未だに慣れない。
『電気ウナギ』の方が反応が早いのは、自分でも悔しいことだ。
「あれ、ハミルは?」
ミルフィが振り返った。
右手だけで卵を割ろうとしている。
どうやらシンクの真似をしているらしいが、綺麗に割れる気がしない。
「帰った。また来そうだけどな」
「そうなんだ。久しぶりに会ったのに、もう帰っちゃったんだね」
片手で割るのを諦めたらしく、ミルフィは両手で卵を割った。
それからはレシピを見ずに料理を作っていく。
調味料を量ってから入れているあたり、毎回量が違っていたシンクと比べると丁寧だ。
「おまたせ」
ミルフィは、三人の客にクリムゾン・スターの看板料理『マジデウメーゾ』を出した。
彼女の作る料理はシンクより薄味だ。
嫌いなわけではないが、叶うならもう一度店長の作った料理を食べたい。
シンクの料理を一番近く再現できるのはアルジオだが、それでも何か違うと感じてしまう。
「俺は上に行くか」
そう言って階段に足を掛けると、後ろからミルフィがついてきた。
店番はマリに任せたようだ。
「少しくらい話を聞かせてよ。一週間もいなかったんだから」
「……そうだな」
何を話そうか考えながら、部屋に入ってベッドに腰掛ける。
横にミルフィが座った時、一人で過ごした一週間なんかより、別の話をしたいと思えた。
「毎日遅くまで待たせてすまなかったな。これからは帰ってくるから」
「あたしのことは全然気にしなくていいよ。それより、何か考え事してる?」
「……さっきハミルが置いていった予告状に、『ラスト・ギャンビット』とモルディオをどう思うかって書いてあったんだ」
「だからそんな思いつめた顔してたんだ」
ミルフィは壁に掛かった時計を見上げ、微笑を浮かべた。
「あたしはモルディオが正しかったと思うよ。モルディオがサキュバスのことを知らせなかったから、みんなが総攻撃と同じだって思い込んだんだ。もしサキュバスが来るとか言ったら、もっと不安になってたと思う」
「そうか。お前はそういう風に考えるんだな」
「セヴィスは、『ラスト・ギャンビット』についてどう思ってるの?」
と、ミルフィがたずねてきた。
「俺は『ラスト・ギャンビット』が正しいとは思わない。あれは、俺のやったことまでモルディオのせいになってるからな。悪い気分しかしない」
思い出すだけで、胸が締めつけられる。
自分の代わりに、彼は多くの非難を浴びた。
あれだけの罪悪感に苛まれたのは初めてだった。
「五年前の俺は、自分のしたいことが分からなくて、迷ってばかりだった。モルディオのやっていることが正しいことなのか、正しくないことなのか、判断できなかった。ただ、お前が死ぬのが嫌で、あいつに従ったんだ」
「そんなこと、思ってくれてたんだ」
「でも、モルディオに協力してよかったと思う。あの時俺が逃げたら、今頃死んでたか、サキュバスの奴隷になってたかもしれない。少なくともこんな未来はなかった。悪魔を全滅させたことに、後悔なんかしない。……後悔しないって、悪魔だけじゃなくて、みんなが口を揃えて言う言葉だな」
「そう言ってくれなきゃ困るよ。あたしはそのおかげで今も生きてるんだから」
彼女の手が、自分の手に触れる。
答えを返すように、その手を繋いだ。
「一度は死ぬことだって考えた。でも今は、すごく幸せだって感じる。自分のやりたいことを見つけることができたし、お前がここにいて、本当の家族になってくれたから。俺の願いは、叶ったのかもしれないな」
首から下がる水色の紐に視線を向ける。
自然に、笑みが零れた。
「……初めて、笑ってくれた気がする」
「何度でも笑うさ。死んでいった悪魔たちと、あいつが切り開いた未来を、これからも俺が守れるなら」
自分を見つめる柔和な瞳に誘われて、これからの自分に誓うように、唇を重ねる。
少しの間の抱擁を交わす。
離れた後、自分が言った言葉に思わず苦笑した。
「なんて、らしくないな」
***
人間は『宝石』にならない。
だが、生きた証を残すことはできる。
かけがえのない思い出が、人間にとっての『宝石』だ。
一生を賭けて、誰にも盗めない思い出の『宝石』を磨くこと。
それが、後悔しない生き方というものだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
First、After、Lastと三年間書いてきましたが、これでこのシリーズは終わりです。
当初七章で終わらせる予定だった話をここまで長引かせてしまったことに関しては反省しています。
この話を読んでくださった全ての方に感謝いたします。
それでは!




