1 哀愁の薔薇
眩しい街の一角で、赤いライトが乱舞する。
そのライトは、一つの建物を照らしている。
たった一人の泥棒を捕まえる為に、百台のパトカーが出動した。
その泥棒が狙うのは、ダイヤモンドだ。
予告状でそれを予め知らされた警察は、そのダイヤモンドだけをガラスケースに移し、警備していた。
場違いのように思える一人の少女と共に。
「今のところ外待機班と防犯システムの報告に異常はありません。奴はまだ侵入していないと思われます」
と、若い巡査の男が言った。
それと同時に、場にいる全員の視線が少女に向いた。
「そうですか」
少女は背を向けたまま、顎に手をあてて考え込む。
少女の歳は十五前後程で、二つ縛りの髪が印象的だ。
そしてこの場でたった一人、私服だった。
「もう予告時間です。なのに何もして来ない。獲物もこの通り残っています。そもそもこの厳重な警備から盗み出せと言う方が不可能なんです。かの有名な怪盗フレグランスも、このローズ=ラスターの手に掛かれば年貢の納め時ですね」
ローズは無表情のまま振り返って、部屋の中心にあるダイヤモンドを見た。
照明の光がガラスケースを反射して、ダイヤモンドは一段と輝いている。
「どうやら、奴は諦めたらしいな」
声と共に、顎に髭を生やした男が部屋に入ってきた。
それと同時に、全員が息を呑んだ。
「スレンダ課長、それは……」
ローズが男の左胸を指でさす。
巡査たちが騒然とし始めた。
「どうした? 皆」
男は全員の視線が集まる部分を見る。
すると、『ミスト=スレンダ』と書かれた名札の上に、赤い造花が刺さっていた。
「これは、まさかフレグランスの」
「ええ、フレグランスが『宝石』を盗んだ際に、必ず『宝石』の場所に刺していく造花です」
ミストの震える声に、ローズが補足する。
「こんなもの、いつの間に刺さったんだ?」
「課長、フレグランスと会ったんですか」
「お、オレは知らんぞ。それにダイヤはあるだろう。奴の作戦が失敗したんじゃないか?」
とミストが言うと、期待の声があがる。
無理もない。
もしフレグランスの計画が失敗したのなら、大きな快挙になるからだ。
「まさか」
巡査たちが喜ぶ横で、ローズは一人深刻な表情をしてガラスケースに向かう。
それに合わせて周囲が静まっていく。
「……やっぱり」
ローズはガラスケースを取り、中のダイヤモンドを素手で取る。
「どうしたんだ?」
「やられました」
ミストの問いに、ローズは平然とした表情で答えた。
周囲が再び騒がしくなった。
「これ、僅かですが傷がついています。本物に傷はありません。偽物です」
と、ローズは告げた。
ミストが目を見開く。
「一応待機班に、近くで変わったことや目撃情報がないか聞いてください。多分ないと思いますが」
ローズは既に諦めている。
ほとんどの人間がこの態度に納得がいかないようだが、渋々確認を取っている。
「直ちに追跡部隊を派遣しろと言いたいところですが、今から追跡しようと思っても不可能です。何の報告もないことから、彼はとっくにこの場所を離れていることでしょう。フレグランスがどんな姿か分かっていない以上、どうしようもありません」
「でもこれが偽物かまだ分からないぞ。でたらめを言うな」
ミストはローズに詰め寄り、ダイヤモンドを奪う。
そしてダイヤモンドを凝視する。
しかし、ミストの目では分からない。
「じゃあ証明します」
ローズは懐から『JEWEL-BULLET』というラベルが貼られたビンを取り出す。
そしてビンの蓋を取り、真っ白な液体をダイヤモンドにかける。
この行為が何を意味しているのか分からないミストは首を傾げる。
「確かによく作られていますが、『宝石』はこれをかけると溶けて消えるはずなんです。でもこれは溶けません。だから偽物です。間違いありません」
ミストは唸り声をあげる。
誰もローズを疑わず、彼女が告げたことにただ驚いていた。
「いつの間にすり替わったんだ……? 偽物なんて、今まで一度もなかったぞ」
「課長はフレグランスが毎度同じ手を使ってくるとでも思っているんですか? もしフレグランスが課長の思うような人間なら、今頃獄中ですよ」
そう言ってガラスケースを地面に置くと、ローズは窓際へ向かう。
「神出鬼没で、奇術を使って華麗に盗み出す……みなさんが怪盗と聞いて思い出すのはこんなイメージではないですか?
わたしたちが今追っている怪盗フレグランスですが、この名は俗につけられたものだというのはご存知ですよね。でもわたしが見てきた限り、フレグランスは怪盗ではなく盗賊だと思うんです。おそらくフレグランスは元貧民で、戦闘能力を持っているはずです」
一人の子供の話に、大人たちは耳を傾ける。
様々な難事件を解決してきた少女探偵ローズ=ラスター。
その推理は今まで外れたことがないと言われている。
だから彼女の話に、大人たちは決して耳を離さない。
しかし、そんな彼女の推理を上回る人間がたった一人いた。
それがこの『宝石』泥棒、通称『怪盗フレグランス』だった。
「元貧民でかなりの戦闘能力を持つ人間、そしてわたしの推測ではフレグランスは男の祓魔師。これら全てを併せ持つ人間が一人、いました。わたしも、彼で決まりだと思っていました。でも、彼は悪魔の頭領サキュバスに殺されました。彼が死んでも尚、フレグランスはこうして予告をして、華麗でもない方法で盗み出しています。だからわたしの推理は外れました。すごいですよ。このわたしを出し抜いた挙句、もっと捜査を難航させたんですから。
もちろんわたしはこれからも全力を尽くしてフレグランスを追います。でも、捜査意欲が吸い取られたのも認めざるを得ない事実です。だって……」
ローズは窓から身を乗り出し、三日月を見上げた。
「『セヴィス=ラスケティアの死亡』によって、わたしの推理は全て水の泡になったんです。負け犬が言えるのは、ただそれだけなんです」