Space,Space,Space.........
百六十九日間連続で敵が現れない。
今までにないパターンだ。
ガトラからの補給も途絶えている。
僕は相変わらず伏せ撃ちの姿勢のままだ。
実はどのような姿勢であろうと関係ないのだが、名目上は狙撃手なのだから一応それらしくしてみただけなのだ。
彼の、ケイレス・コウダのアイデアである。
………………………。
世界がまるで停止したようだ。
思えば僕の世界を動かしていたのは戦闘だ。
僕は銃弾を打ち出す度に弾薬の残りを数えた。
戦闘が僕の世界の時間だとするならば、
補給日は僕の世界の時計だった。
六十日の間隔を刻む。
戦闘を越えてリズムを刻む。
その二つが僕の世界から消えた。
時計を失くした。
時間は止まった。
どちらが先に起こったのか判断はつかない。
時間がなくなったから、時計が必要なくなったのだろうか。
時計を失くしたから、時間が止まってしまったのだろうか。
時計がなくなっても時間はあるだろうと誰かは思うだろう。
違う。
僕は今活動していない。
僕の世界に変化はない。
リズムがなければ時は動かず。
時間というのは必要だから生まれ、必要なければ消える。
時計も同じだ。
問題は、どちらが先かだ。
時計が在って時間がある。
時間に因って時計がある。
僕はどちらを取り戻せばいいのだろうか。
時計と時間、求めるべきはどちらなのだろうか。
世界よ、動け。
そう念じることしか僕にできることはない。
存続とは、活動しなければならない。
停滞ですら存続だ。
シーケンス。
僕の世界は停止している。
停止は存続ではない。
一瞬ですらない。
ゼロなのだ。
全てがない。
僕も世界もない。
時間も時計もない世界には何もない。
空虚であり無だ。
例え地平に夕日が踊ろうと、僕の心は躍らない。
例え地上を風音が巡ろうと、僕の心は巡らない。
■■もないのだ。
実感する。
僕には何もない。
かつてなかったとしても不思議じゃないだろう。
僕には最初から何もなかったのだ。
それが自然解だ。
僕はもはや存続していない。
任務を達成する必要もない。
ならば眠っていいだろう。
止まった世界で永久というのも妙だが、永遠の眠りだ。
僕は思考を手放す。
次に起動することはないだろう。
切りがいいので二、三か月ほど投稿に間をあけます。