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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

生贄にもなれなかった王女

作者: P太郎
掲載日:2026/09/21

一人称視点でお送りします。

目を開く。

木の板で造られた納屋だから寒くて寝入ることが出来なかった。私は、いつも床に敷かれた藁の上に古いシーツを載せて眠っている。目覚めと共に事前に井戸から汲んでいた水で顔を洗うけれど、顔が綺麗になるわけがない。

石鹸を使えるのはこの納屋から出される時だけだった。身を清める湯に浸かれて、脂で固まっていた髪をブラシで梳かして、いい香りの化粧も上質なドレスを着れる時はある。でも、それは今じゃない。

濡れた顔を昨日まで身に着けていた汚れたワンピースで拭う。満足に身奇麗にできないまま、昨日投げ込まれた固いパンを齧る。ふと顔を上げれば、埃でくすんだ窓に映る白い石造りの建物。本来、私が暮らしているはずの宮殿が見えた。


私は王女。だった、ではなく正真正銘の王女。十歳の時、生母である前王妃が病で亡くなった日までは、大陸の端ににある小国唯一の王女らしく暮らしていた。

慈愛に満ちた母性溢れるお母様が亡くなって、悲しさから亡骸に縋っていたときに突然お父様が、国王陛下が私をお母様から引き離した。「もはや枷はなくなった」と、国王陛下は私が身に着けていたドレスを引き裂くと、半裸の私を引き摺って、城内の端にある納屋に投げ入れた。

寡黙で感情も見せなかった国王陛下の変貌に私は恐れて泣き叫んで、必死に縋ろうとした。でも、納屋の扉が閉ざされる前に姿を現した二人の人物に私の体は力を失ってしまった。

彼女達は、お母様の幼馴染で親友の一人だと紹介された伯爵夫人と、その息女。私の友人だった子が国王陛下に寄り添っていた。


「やっとお前達を迎えられる」


父親だった人は嬉しそうに伯爵夫人を抱き寄せて、息女の艶やか髪を撫でる。後に知ったのは、伯爵夫人は国王陛下の愛人であり、その息女は二人の子供だったということ。つまり、当時の幼い私では理解できなかったけれど、彼女は腹違いの妹だった。私と同年で、生まれ月が遅いから妹になるけれど国王陛下は以前から、それこそ新婚時代から伯爵夫人と関係を持っていたという。

何て悍ましいのだろうと思っても、もはや私には抗議をする資格はない。王女というのはただの枠組みでしかなく、私は納屋に閉じ込められた家畜以下の存在になってしまったのだから。

ただ、本当に一時だけ、私が納屋から出るのを許されることがある。宮殿の使用人達の部屋、それも私の侍女だった人の部屋に連れて行かれると、私は王女らしい姿に整えられる。あの優しかった侍女も嫌悪感露わに、荒々しく支度をするけれど、王女の姿になれば黙って頭を垂れた。

その日だけ私が人間として扱われる。古くに交わされた約束のために、私は王女に戻される。

私には婚約者がいた。お母様のもう一人の親友、隣国の帝国にある公爵家の夫人との約束だった。私が生まれる前のことだから実際に聞いたわけではないけれど、「お互いの子が男女だったのなら婚約を結びましょう」という口約束。それは見事に果たされて、私は帝国の次期公爵となるウォルター様の婚約者となれた。

帝国と小国である我が国は貿易によって友好関係が結ばれている。それも質がいいとは言えない銅を買い取ってもらうというもの。力関係は明白であり、その仲介である公爵家に国王陛下ですら逆らえない。

その時の公爵様は妻の願いを叶えたかったのだろう。親友を亡くした心労で伏せった公爵夫人のために、口約束を果たそうとしていた。納屋の中だけか私の世界だったから、全てを知っているわけではなかったけれど、最後まで婚約解消に至らなかったことは公爵様の固い意思が働いていたはず。

だから、薄汚れた私が王女に戻れるのは、ウォルター様のおかげだった。高い魔力を有した優秀な魔法使いで、プラチナブロンドの髪に深い海のような青い瞳を持つ非常に美しい容貌の彼を出迎えることで、私にも人権が発生した。宮殿のホールで開かれる夜会に参加をして、いつかは夫となる高貴なウォルター様の側に控えることができた。

貴人としての礼節は、綻びを見せないためにしっかりと厳しく教育されている。勉学も、教師や官職が用意した本や資料で学び、定期的に行われる試験で及第点をいただけるまで頑張った。

普段の扱い以外では私は完璧な王女になれていたと思う。間違いも不躾な所作も犯さなかった。

ウォルター様と会えることを純粋に喜び、挨拶を交わして、過干渉にはならないように会話を努めた。彼には相応しい妻となると示したつもり、だった。


それなのに、いつの日かウォルター様の関心は腹違いの妹、今や唯一の本当の王女に向かっている。彼女の側に身を寄せて、私など見えないと語らっていた。夜会での社交ダンスも家族か恋人、婚約者であるならば踊れるのに、二人がホールの中央で踊る姿を何度も眺めることになった。

妹は咎められるはずである。ほぼ宗主国である帝国の公爵家との約束を守るために、好意を隠さない妹は責めれるべきだった。

でも、国王陛下は後妻となった現王妃を最愛だとところ構わずに、まるで私に見せびらかすように寵愛している。真に愛した女性との子供だからこそ、妹のことも非常に愛していた。何をするにも咎めず、どんな我儘も許して、いつか王配を迎えてこの国の女王にするという。

その王配が誰になるか。いつかの夜会で庭園に消えたウォルター様を追うことで勘付いてしまった。


「ご存じですか?実は、お姉様は前王妃不義の子。前王妃は顔のいい下男を何人も寝所に引き込んだことで孕んだそうです。だから、あのように気位高くしていても卑しい身分であることが隠せていません。普段のお姉様はお父様がどんなに叱っても国費に手を付けて贅沢三昧をして、男癖の悪さから使用人の殆どがお手付きなのです。性病にもかかっていて、臓腑の一部が腐っていますの」


「・・・左様で」


「あんな方、ウォルター様には相応しくありませんわ!淫乱で不潔で傲慢な王女との結婚なんて死の淵に立たされるよりも酷です!私だったら、もし私がウォルター様の婚約者だったのなら、そのような苦しみを与えませんのに・・・」


あり得ない大嘘を声高に言った妹は、そのままウォルター様の胸元に飛び付いた。私が階段から見ているとも知らずに、彼は縋り付いた妹の肩を抱いて。

・・・ああ、そうよね。どんなに取り繕っても私は王女ではない。両親に愛されて甘やかされて、汚れることなく綺羅びやかな世界に唯一とある妹と比べたら、可愛らしくも美しくもない。

それでも、ウォルター様がいれば私は薄汚れた私ではなくなる。王女以前に人としていられた。だから、絶対に彼を離したくなかった。

目にしたことも聞いたことも心の内に秘めて、物分かりがいいと思ってもらうために気を張って、この死よりも恐ろしい生活から逃げるために従っていた。


それなのに。

ある日、白い竜が宮殿に舞い降りた。私も閉じ込められていた納屋の窓からその姿を目にした。通常よりも小柄で細身な体躯の竜は、バルコニーにしがみついていた。

竜種は私達人間にとっては上位種に当たる。世界を創造したという神も竜種だったと伝わっていて、強靭な肉体と膨大な魔力を有している。殆どが自然発生であり、どのような竜でも神そのものと言えた。その魂は不滅で、例え肉体が滅んでも魂を核としていつかは蘇るという。

宮殿に舞い降りた白い竜はまだ発生して間もないと体躯から分かった。竜の子供だと理解できた。それでも人間には非常に驚異で、絶対的な捕食者でもある。

宮殿は無事だろうか。居住区が近いことから国王陛下と現王妃、妹である王女は無事だろうか。例え私を苦しめている人々だろうとも知った人達であり、国王と王女は血が繋がっている。血の繋がりは重要ではないと今までのことで分かっていても、それでも心配に思って白い竜の背を見つめながら祈った。


それなのに。

白い竜が飛び去ってすぐ。宮殿の騎士達が納屋の扉を破壊して入ってきた。その中心には妹の王女がいて、険しい表情で私を睨んでいた。

何も言われずに引きずり出された私は、宮殿の水場に連れて行かれた。雑に冷水をかけられたあとで妹のドレスを着せられて、白粉を顔に叩き付けられた。


「あんたも竜を見たんでしょ!あの化け物はね、番っていうのを探しているらしいの!馬鹿なあんたでも番って分かるかしら?竜の嫁ってことよ!あいつはこの城に住む高貴な女が自分の番って言っていた!金髪に青い瞳の女が番だって言っていた!金髪に青い瞳の高貴な女って、誰のことか分かる?馬鹿なあんたに分かる?」


妹は頬紅を直に私の頬に押し付けて怒鳴る。


「あたしのことなのよ!お父様から受け継いだ金と青、王女という身分が私だと示している!この国で一番偉いあたしがあんな気持ち悪の悪いトカゲの化け物の嫁にならないといけないわけ!?冗談じゃないわ!!」


妹の王女は捲し立てながら香水を私に浴びせた。一吹きならば甘やかな香りだろうけど、液体をそのままかけられて悪臭として鼻を突く。噎せる私を見下ろしながら、妹は笑っていた。


「でもね、あたしは思い出したの。あんたも金髪に青い瞳の王女だってね!髪は脂まみれ、顔も薄汚れた汚らわしいあんただけど、こうして着飾らせてあげる!!あたしの代わりに竜の番とやらになってきなさい!」


蹲っていた私の体を妹に仕える騎士達が掴む。満足に抵抗できない私を床に引きずりながら進み、荷馬車に放り込んだ。

呆気に取られてしまい、馬の嘶きが聞こえてすぐに荷馬車は走り出す。もはや逃げられなかった。御者台にいる騎士に懇願したけれど、頬に拳を叩き付けられただけだった。床に落ちた私は気を失っていたのか、気が付けば城下町の西にある高原にいた。

高原の緑深い山脈には鍾乳洞がある。この近くに、前王妃だったお母様の静養のための別館が建てられていて、私もお母様に付いて暫く過ごしたことがあった。その時に、好奇心から一人で観光地にもなっている鍾乳洞に向かったことがある。天然洞窟がどのようなものか、ただそれだけだった。

結局、その道中で迷ってしまい、私が発見できたのは珍しい白い小さなトカゲだけ。可愛いからと手の内に潜ませて、来た道を戻った記憶がある。あの時は、迎えに来た従者達に白いトカゲを捨てられて、悲しさから泣いた思い出もあるけれど。その目にしたかった鍾乳洞の前に私は落とされた。


「竜の在所はここでいいんだな?」


「襲撃した竜自身が言っていたそうだ。この天然洞窟で発生した大地の竜らしい」


「どうでもいいな、この汚い女を生贄として差し出せば、王国は無事なんだろう?」


そう言って騎士達は荷馬車で走り去っていった。理解が及ばないと放心して、恐怖で胸が潰されたかのように痛む私を置いていなくなってしまった。

私は竜の番にされた。竜は綺麗な王女を求めていたのに、薄汚い王女を差し出された。怒るだろうか、私も金髪と青い瞳の王女だから番の資格はあるはずだけれど。でも、もし、違うと断じられれば、私は一体どうなるのか。

生贄と騎士達は言っていた。竜は人も捕食する上位種。私が気に入らないと、この身を食い千切るかもしれない。正しく怒りを鎮める生贄として扱われる。

死の恐怖、激痛を想像して身が竦む。でも、それでも、竜には上位種だからこそ知性がある。言葉を交わせば分かってもらえるかもしれない。

もはやウォルター様には頼れない。妹と心を通わせる彼も生贄としてあるべきだと思うだろう。あの方は、物事を俯瞰で見てから判断をする。私が犠牲になることで王国が救われるのなら、適切な判断だと認めるだろう。今までの交流からウォルター様を推し量ることで分かる。

だから、私をこの状況から救ってくれるのは竜しかいない。言葉に耳を傾けてくれることを祈って、僅かでも希望を抱いて、私は鍾乳洞に足を踏み入れた。


暫く歩いていれば、開けた空洞に辿り着いた。白い竜はその中心にいて、夕日の色に似た目を細めている。私は躊躇いつつも語るために近付いたけれど。

華美なドレスを着せられたこの身に、硬くて突き刺さるような棘のあるものが叩き付けられた。吹き飛ばされた私は、地面にあった鍾乳柱を何個も破壊してそのまま地面に落ちた。


「ぁ・・・ぁ、ぐ・・・ぅ・・・」


尾による一撃を受けた。視界がぼやけていても分かった。怒れる竜の体勢から理解できた。

体の前面も背中も関係なく全身が痛い。骨が粉砕されたと内臓に突き刺さる感覚から理解できた。


「臭い!なんて臭い女だ!!鼻が曲がる!!顔を汚していても『あの姫』じゃないと分かる!!嗅覚と視覚を惑わして身代わりを仕立てたのか!!『あの姫』を寄越せば許してやったものを!!」


竜の声は少年のような高い声色だった。はっきりと聞こえた怒気を孕む声に、私は口から血を噴き出すことしかできなかった。

体が掴まれた。宙に掲げられて、爛々とした光の宿る夕日の瞳を目にした瞬間。私の胸に鋭利な刃が突き刺さる。それが竜の鋭い爪だと気付いたときには、胸から勢いよく振り下ろされて。


「あがぁあぁっ・・・」


私の体は引き裂かれた。血が、骨が、内臓が、音を立てて地に落ちていく。

ああ、私は死ぬのね。生贄にもなれずに、私は八つ裂きにされて殺される。

そう思う意識は朦朧としていて、次に気付いたときには宮殿のバルコニーに叩き付けられた。

何故、まだ生きているのか。私には分からなかった。でも、全身に激痛を感じながらも、ぼやけた視界には、戦慄した表情を浮かべた国王陛下と現王妃。そして、そして、縋り付く妹の王女を支えて剣を抜いているウォルター様が映っていた。

白い竜の唸り声が聞こえる。私を差し出した人達を視界から消すように鋭利な爪を持つ足が見えて、私の意識はそこで落ちた。




目を開く。

見慣れた木材の天井。飾りはないものの、あの天井から雨漏りはしない。今は寒くはない。綿の詰まった上掛けに手織りのブランケット、清潔なシーツが敷かれたマットレスに身を預けているから。

そう、今までは夢でのこと。私は夢を見ていた。ただ、定期的に見るその夢は前世で起こったこと。


歴史にさえ残らなかった、生贄にもなれなかった王女サラキア。

それが私の前世。あれから五百年、私は元王国だった地域の、それも全く同じ場所で農民の娘として生まれた。サラという名前に因果を感じながらも、それ以外は何事もなく平穏に過ごしている・・・いえ、近頃は平穏とは言えないわ。

ベッドから身を起こして丈夫な生地のネグリジェを脱ぐ。農作業用のエプロンドレスに着替えると、自室から出た。


「おはよう、サラ」


「お母さん。おはよう」


キッチンで朝食を作っていた今世の母に挨拶をする。何故だがお母さんは、前世のお母様とそっくりな顔だけれど、きっとそれは血縁者から続いた血筋なのだろうと納得している。お母様は王国の侯爵家の出だった。兄妹も多く、そのいずれかの血がここまで続いたのだと思う。

優しくて穏やかな気質も前世のお母様のようで、幼い頃から記憶のある私はすぐに受け入れることができた。


「顔を洗って支度をしていらっしゃいな。お父さんも戻ったら食事になりますからね」


フライパンの上でパチパチと跳ねている目玉焼き。その隣の腸詰めにはこんがりとした焼き目が付いている。

食欲を唆られたようで、私のお腹はギュッと縮んだ感覚があった空腹を訴えるお腹を手で押さえながら洗面所に向かう。


「お父さんはもう畑に?」


「もうすぐ小麦の収穫ですもの。鳥が実を取らないようにしないといけないわ」


「朝から忙しいわ」


「農家なのだから当たり前でしょう」


呆れを含んだ笑みはそれでも優しくて、私の胸は温かくなる。前世もそうだったけれど、今世のお母さんからも愛情を感じた。私のことを娘として愛して、温かく触れてくれている。前世のお母様よりも健康だからか、五百年前から明らかに医学と文明が発達しているからか、病なく過ごしてくれている。

そんなお母さんから愛情を受けて十八年、前世とは違って寂しく思った日はなかった。


朗らかなお母さんに見送られて洗面所に着くと、よく磨かれた壁掛けの鏡の前に立つ。お母さんがお母様に似ていることで、私の顔もほぼ前世と変わらなかった。違いがあるのは、目元に黒子があること。そして、何よりも髪と瞳の色。

私は今世のお父さんからブラウンの髪色とヘーゼルの瞳を受け継いだ。あの鮮やかな色味だったサラキアと違い、私自身も好ましく思う落ち着いた色味になっている。

純粋に良かったと思っている。この元王国の元城下町だった村には、金髪碧眼の貴族の血筋だと思わしき人も多々いるけれど、そういった方々はやっぱり注目を浴びるから。

私は注目を浴びたくはなかった。あの綺羅びやかな空間、国王陛下や王妃、妹に集った方々から受けた眼差しが怖かったから。お前がいるのは場違いだと厳しい眼差しを向けられていて、ウォルター様が側にいなければ、実際に蔑まれていたのだから。

ああ、過去を思い耽るなんて、ただ胸が苦しくなるだけ。もはや過ぎ去った日々のこと。今の私はサラキアではなくサラ。どこにでもいる農家の娘。

手早く顔を洗って、タオルで水気を拭き取る。陽光からの肌の保護のために白粉を塗ろうかと考えたけれど、農家には必要ないと蓋に向けていた手を引っ込める。ブラウンの髪をブラシでよく梳かして、エプロンドレスのポケットから取り出したリボンでポニーテールに結い上げる。後れ毛を気にしながらもキッチンとダイニングが組み合わせられた部屋に戻れば、畑に行っていたお父さんが戻っていた。

あの前世のお父様、不義を働いていた国王陛下と違って精悍な顔立ちをした逞しい体格のお父さんは、タオルで肌に浮かんだ汗を拭いながら椅子に腰を下ろした。私の姿を見ると、雄々しい顔が破顔する。


「おはよう、サラ」


「おはよう、お父さん」


快活な笑顔に私の頬も緩くなる。

お父さんとお母さんは、幼い頃から幼馴染で家も近かったことから、ほぼ婚約者のような関係だったと聞いていた。喧嘩をしたこともあるけれど、農民としてお互いに協力して働き、十八を迎えた年に結婚したと聞いている。

その結婚生活では、お父さんは一度も他の女性に目移りしなかった。ひたすらお母さんと一緒に過ごして、毎日働いて、夜の訪れと共に身を寄せ合って過ごしていたという。私が生まれたあとも、その生活は変わらず。常に共に側に在り続ける夫婦だと私の目にも映っている。

それがどれだけ素晴らしいことなのか、当人達は理解していないかもしれない。当たり前だと思っているのだから。

お母さんもお父さんもお互いを愛していて、お互いしか見えていない。苦難というほどのことはなかったけれど、それでも大変なことがあれば支え合っていた。

私を愛して、出来る限り甘やかして、家族として受け入れてくれている。実の親に受け入れられるなんて当然じゃないと分かっているからこそ、私は幸せを感じていた。あの悲惨な前世とは違って、愛情に満ち足りた人生を歩めると思っている。

椅子に座って両親と対面する。お母さんが作ってくれた温かな食事を食べながら、取り留めのない会話をする。それだけでも私は満たされていた。


「そうだ、サラ。今年も頼みたいんだが、明日は収穫の一部を廃城の祭壇に捧げてくれ」


千切ったパンの一欠片を口に収めて、小麦の香りを堪能していたときのこと。お父さんからの頼み事に私は二つ返事が出来なかった。


「また腰痛になってな。あの階段を上るのも一苦労なんだ。だからな、頼むよ」


「そう、ね・・・」


「ほら!お前が欲しがっていた歴史だが、昔話だかの本!買っていいから、な?いいだろ?」


「お父さん、あの傾斜の階段は若くとも大変なのよ。それも小麦を抱えながらでしょう?サラまで腰痛を抱えたら、私一人で家計を支えることはできませんからね」


お母さんは私を慮って会話に入ってきた。それにお父さんは「でもな、しきたりだろ?」と言葉を返している。

私は、廃城に向かう傾斜の鋭い階段を上りたくないわけじゃない。廃城が前世の私が過ごした城、無残な最期を迎えた場所だから行きたくなかっただけ。

嫌な思い出によって、お母様と過ごした穏やかな日々の記憶は塗り替えられていた。帝国の公爵家への体裁を保つためだけに王女に仕立てられて、終われば惨めな生活に戻される。いえ、生活とは言えなかった。食事もままならず、身を清めることもできず、ただ土の地面に膝を突いて、窓から見える僅かな景色を目にしていただけなのだから。

そして、激痛を感じながら事切れた死地でもある。かすれた視界だったから不確かだけれど、宮殿には間違いない。あの白い竜はわざわざ瀕死の私を運んで、ボロボロの体を家族だと思っていた人達の前に晒した。惨めな最期を見せびらかした。

いい気持ちがしないのは当然で、だからこそ近寄りたくはない、けれど。

お父さんは懇願と頭を下げて、願うように重ねた両手をその頭の前に掲げている。


この村では収穫時期の終わりにに収穫祭が開かれる。その祭りまでに収穫物の一部を、廃城の祭壇と言われる石積みの石碑の前に捧げる。石碑の意味は知らない。位置的に謁見の間に積まれているけれど、前世には無かった。廃城となったあとで誰が積み上げたのかも知れないけれど、私には意味するものが何であるか興味はない・・・正しくは興味を持ちたくない。

あれが誰かのお墓に見えたから。それはきっと父だった国王陛下か、愛されていたあの子、私の妹だった王女のものかもしれない・・・いえ、やっぱり感心は寄せない。

首を振ることで脳裏から強制的に振り払うと、懇願するお父さんを見る。


「五百年も続くしきたりですものね、分かったわ。捧げ物をしてきます」


「いいのか!?ありがとう、サラ!」


「あなた、いつまでもサラには頼めないわ。早く腰痛を治してちょうだい。この子には、あまり危ないことはさせたくないの」


「ああ、分かってるよ・・・じゃあ、サラ。安全第一に頼んだぞ。しきたりを蔑ろにすると村長がうるさいからな。来年は二倍にしろとか言ってくるし・・・村長の家柄は貴族様らしくてな。あの城が廃城になる前、この土地が王国だったころは宰相家だったそうだ。決まりを破るのはよろしくないっていう家訓があるらしい」


それはどうかしら。

前世の宰相を思い出しても、彼の一人息子は妹に夢中だった。私を虐げる遊びに興じるときに指示役をさせていた。彼がもし、王国が滅んだときに無事だったとしても、妹の王女も無事だっただろうから側から離れなかったはず。

歴史から読み解ける結末から、彼は妹と結ばれていないと分かる。宰相の息子が別の女性を選んでいない限り、村長の血筋は宰相家ではないはずよ。

私はそう考えるだけ。決して口には出さない。前世の記憶がある人間は貴重とされている。魔法使いによって特殊な観察所に連れて行かれて取り調べを受けるという。それは尋問と言うほど厳しいものだと人伝に聞いた。

それに、村となってしまった城下町の現状と遺跡として残る廃城や街道跡、様々な痕跡から、結局は推測しているに過ぎない。




朝食を終えて、私達が管理する小麦畑の様子見や雑草取りが終わったあとの休憩時間。

土汚れを用水で流して拭うと、石畳の歩道跡を歩く。確証はないけれど、この歩道は城へと続く中央道路だったはず。この脇、煉瓦造りの家屋が立ち並ぶところは馬車が走る車道だった。

郷愁に駆られたのか、胸が詰まる。前世の私も使用した道の有様。様変わりした辺りの様子。五百年も経てば当然かもしれないけれど、この地が帝国に吸収されたことで村まで衰退したわけじゃない。あの怒れる白い竜によって一度滅ぼされたから衰退したという。

前世の私の死後のことだから確かではない。でも、歴史書は勿論、昔話や絵本にされた逸話が物語っていた。

村の中心部、店が立ち並ぶ広場に足を踏み入れる。煉瓦で舗装されたそこは、中心に小さな噴水があって、囲うように店が建っていた。その内の一戸、古書店に向かう。入り口の脇にカウンターがあって、見知ったおじいちゃんの店主が挨拶をしてくれた。私は挨拶を返して、そのまま店の奥に進む。狭い店内、背の高い本棚が立ち並ぶことで人一人がやっと通れる通路を進み、歴史関連の本棚の前に立つ。

明日の件でお小遣いは貰っていた。気になっていた本を二冊を引き抜く。一つは百年間で村の変貌を様々な画家が描いた風景画集。もう一つは好みの絵柄の古い絵本で、王国を滅ぼした竜を倒した騎士と彼の愛した姫の物語。これこそ、私の死後を記した書物に他ならない。


「・・・」


胸に僅かな痛みを感じながら、絵本を開いた。淡い色味の美しい絵柄で描かれている物語は、この土地の人間ならば誰もが知っている。




───・・・昔々、この地が王国だった頃。小高い山の上のお城には美しいお姫様がいました。お姫様は国王と王妃だけではなく、国民全員に愛されていました。美しいお姫様には婚約者がいて、それは隣の国の騎士でした。毎月、二人はお城のパーティーで会い、華麗なダンスで皆を魅了します。お互い愛し合った二人は、結婚式の日を指折りに数えて、愛を育んでいました。

しかし、ある日のこと、恐ろしい竜がお城を襲撃しました。白い竜はお姫様は自分のお嫁さんだと言って、住処に連れてこいと命令しました。強くて恐ろしい竜に大切なお姫様を渡したくなかった国王は、身代わりを用意して捧げましたが、それが竜の怒りを買ったのです。

本物を寄越せ!そう行ってまたお城を襲撃して、鋭い爪でお姫様を捕まえた竜でしたが、婚約者の騎士が助けるために戦いました。激しい戦いは王国を火の海に包み、お城も焼けて崩れてしまいました。

しかし、お姫様は騎士によって救い出されて、二人は倒した竜の目の前で永遠の愛を誓うのでした・・・───。




美しく描かれた金髪のお姫様を指先でなぞりながら、幼児用の簡略な文章を最後まで読んだ。前世の記憶がある私だから、この物語が真実だと分かっている。

誰からも愛されたお姫様は私の妹だった王女。騎士は、彼女を愛したウォルター様。あの白い竜の襲撃からも、ウォルター様は妹を決死と守ったのだろう。永遠の愛を誓ったということは、結婚したということ。王国こそは滅んでしまったけれど、二人は無事で・・・ああ、幸せになったのかもしれない。

私なんて身代わりとしか記載されていない。王女であったことも生死も書かれず、ただの舞台装置として記されているだけ。

でも、それは当然なのだろう。何度も読むことで考え至ることができた。誰からも愛されなかった薄汚れた王女なんて、誰にとってもどうでもいい存在。歴史に残すに値しない。そういうことだと、やっと納得できた。

少し感傷的になってしまっていた。涙がうっすら浮かんでいると気付いたから指先で拭って、風景画集と絵本を胸に抱える。


「これください」


「お、やっとお買い上げかい?来る度にこの絵本を読み耽っていたものなぁ。皆が知っている話だとしても綺麗な絵柄だから気に入っていたんだろ?」


「ええ、とても素敵な絵本ですね。この風景画集と一緒に眺めようかと思っています」


「そうかい、本も買ってもらえて喜んでるよ」


優しい笑顔を浮かべながら、店主は二冊の本をリボンで括ってくれた。代金を支払った私は落とさないようにまた胸に寄せて、店主にお礼を言って古書店をあとにする。

悲しい気持ちになるのは仕方がないこと。この絵本も風景画集と同じくらい素敵な絵柄だから、芸術だと捉えれば。


「サラ!」


思わず、肩が跳ね上がった。

突然に声をかけられたからじゃない。声の主が誰なのか分かったから。

気付かれないように小さく息を吐いて、跳ね上がった心臓を落ち着かせるために呼吸を繰り返して、声のした方角、彼を捉えるために視線を向けた。


「こんにちは。今は畑仕事の最中だと思っていたけど、休憩時間かな?」


「こんにちは、ウィル。そうよ、休憩中なの。お昼を食べたら、また再開するけれど」


背後にある家、出店のために借りているその家から走ってきただろう。少し荒く呼吸をしている。私に気付いたから駆け寄ってきたのね。


「昼食はまだなのか?じゃあさ、提案なんだけど一緒に食べないか?今の酒場は昼食メニューの時間だ。よく焼いた牛肉のサンドが提供されているって聞いてね、気になっているんだ」


人好きのする快活な笑顔を浮かべながら、ウィルは私に歩み寄ってくる。

この人は村の人間じゃない。王国だった土地を統括する帝国の公爵家、つまりはウォルター様の一族が統治する領地から定期的にやって来る商人。

その売り物は、魔除けの魔法を込めたアクセサリーや安価でもいい香りのする香水、傷や手荒れのための軟膏などで、農民の女性達には非常に有難い品々を取り扱っている。品物の補充もあって村に滞在する期間は一ヶ月ほどだけど、彼がいる間は女性達は喜んでいた。それは品揃えだけでなく、ウィルが美形だから。

緩いウェーブを描く茶色の髪に、綺麗な緑色の瞳。優しそうで涼し気な目元と、スッと通った鼻梁。形のいい薄い唇、そこから覗く白い歯。体も、日に焼けた肌は健康的で、この村の誰よりも背が高いと言えるほど高身長。広い背中と逞しい肩をしていて、肌こそ見せない上質の長袖のシャツを着ているけれど、ベストで胴を締めているから引き締まった体躯だと分かる。

このような人に声をかけられて、あわよくば微笑まれたとしたら、目にした女性達は魅了されるだろうと理解できる。共に食事をなんて乞われたら、舞い上がってしまうだろう。気さくで穏やかな美丈夫だもの。


「・・・嬉しい申し出だけど、ごめんなさい。母が昼食の準備をしているの。今すぐに帰らないといけないわ」


「そうか、それは本当に残念だ」


何を思ったのか、はたまた無意識なのか。ウィルが一歩近付いてきた。だから私は一歩下がって、来た道へと顔を向ける。彼には冷めた表情の横顔が見えているでしょうね。


「いつなら空いてる?」


「農家は天候によって予定が変わるから難しいわね。本当にごめんなさい」


貴方のことが、どうしても苦手なの。

思いを内に秘めて、当たり障りのない返事をする。視線だけを向ければ、がっかりとした表情が浮かんでいたけれど、だからと言って心を寄せるつもりはない。この人こそが、私の平穏を乱しているのだから。


「それじゃあ、私はこれで。また機会があれば」


そう言って、私は歩き進もうとした。一歩と足を踏み出した。でも、肩に触れてきた大きな手に驚いて、すぐに二歩目を踏み出せなかった。


「機会が望めるなら、もうすぐ収穫祭だろう?その時にまた君に願うよ・・・今度こそオレの手を取ってほしい」


「まだ先のことは約束できかねるわ。じゃあ、本当にさようなら」


踏み出した二歩目、意識して三歩目を出せば止まらなかった。ウィルの返答なんていらないから、私はそのまま突き進む。

彼に熱を上げている女性達から非難のこもった眼差しを向けられるけれど、私が非難を受ける謂れはない。ウィルのことは苦手。できれば関わりたくない。彼の向けてくる感情なんて私は望んでいないのだから。


彼との出会いは私が十四歳の時。あの時も、腰痛で満足に動けなかったお父さんの代わりに廃城へと捧げ物を運んでいた。過去が付き纏うことで忌避感が凄まじく、今世では初めての登城だった。

早々に役目を終えた私は、ふと思ってしまった。私が生活させられていた納屋はどうなったのか。木製の、しかも薄い板張りだったからすでに無くなっているとは分かっていた。思っていた。でも、どうにも気になってしまって足を運んだのが始まり。

定期的に廃城には清掃と整備の手が入っていたから、私のいた納屋があった場所は背の低い雑草が生えただけだった。建物を支える土台も崩れたか、風化したのかで無くなり、崖下の草原のような様相になっていた。

ただ、そこには一人の男性が立ち尽くしていて、何をするでもなく棒立ちだったから不信感から私は後退った。その足が雑草を踏みしめたことで音が立ってしまい、男性は、ウィルはすぐさま振り返ってきた。

一目で思ったのはウォルター様とまた違った美男子というもの。彼が目を見開いて、大股で近付いてきた時は、その体格も相まって体を跳ね上げてしまった。


『ああ、突然近付かれたから驚いてしまったよね?ごめん・・・君は、この村の住人だよね?』


『え、ええ、はい・・・村の収穫祭が近いので、廃城の祭壇に捧げ物をしたのです。それで、その、廃城に来たのは初めてだったので、散策をしてみようかと思って、こちらに』


『そうなんだ。ここで立ち尽くしているなんて不審だったよね。オレは、ウィル。公爵領で小物や化粧品を販売している商人だ。久し振りに足を運んだこの村で出店しようと思ってね。開店前に当時の思い出に浸りながら散策していたんだが、どうやらオレ達は散策仲間のようだ。仲良くしてくれたら嬉しい』


差し出された手を躊躇いながらも握り締めた。屈託ない笑顔を浮かべるウィルの顔が眩しくて、目をそらしたかったのは苦い思い出。あのまま、目も顔もそらして立ち去れば、彼が私に関わることはなかっただろう。

ウィルの取り扱っている商品の話や、商店として借り受ける建物の場所を聞いて、彼の人となりに触れた。

表情の柔らかさから分かっていたけれど、気さくでコミニケーション能力が高く、抜け目がない。私の小さな変化、階段を踏み外す瞬間すら気付いて、すぐさま体を支えてくれた。僅かに痛みがあると分かると、おぶるポーズまでされた。

流石に断ったけれど、そのまま肩を抱かれて補助されながらウィルの商店に連れて行かれた。


『これを患部に塗れば腫れも痛みも治まる』


『まあ、ありがとう。代金は』


『金はいらないよ。これはオレが使おうとした備品だ。奇跡的に出会えた喜びから君に譲る。だから気にしないで』


戸惑う私に笑みを見せた。それでもと言っても引かなくて、彼の好意を受け取ってしまった。

広場に来るたびにウィルは私に声をかけて、言葉を交わした。彼の趣味も嗜好も知って、私も自分が好ましいものを話した。明るい性格が好ましくて、友人として歩み寄っているつもりだった。

でも、一年経って十五歳の時に私は思い知らされる。


『収穫祭では夜に広場でダンスを踊るんだよね?』


『ええ、そうよ。ここが王国の城下町跡だからか、当時の貴族の習慣が伝わっているの。家族や夫婦、将来を誓った恋人同士で社交ダンスのような踊りをするのよ。まあ、ただ手を取り合ってクルクル回るだけなのだけど、意外に楽しいの』


『・・・そうだね。去年、君が父親と踊っている姿を見たけれど、確かに楽しそうだった。満面の笑みを浮かべていて、とても可愛かったな』


「可愛い」なんてウィルには初めて言われた。表情豊かな彼なのに真顔で見つめられて、私は居心地悪くなっていた。そのまはま適当に話を終わりにして、その場を辞そうと思ったのに。


『今年の収穫祭ではオレと踊ってほしい』


『あのね、ウィル。さっきも言ったけれど、あの踊りは滅んだ王国のしきたりの名残から家族か恋人ではないと踊れないの』


『だから踊ってほしいんだ・・・サラ、オレは君のことが好きだ。どうか、この気持ちを受け入れてほしい』


初めて出会ったときのように手を差し出された。恋心を抱いていると告げられて、受け入れてほしいと乞われた。でも、私はどうしてと疑問に思うだけ。不審に感じただけ。

散策で出会った間柄。彼の商店に足を運ばなければ会わずに、何より彼は村に在住しているわけじゃないから、顔を合わせることは少なかった。

そんな私に恋をする理由が分からない。対面の少なさだけでなく、私は私だからこそあり得ない。あの前世の薄汚い王女サラキアと同じ顔。積極性もなく大人しい性格だとも自負している。秀でた部分は一切なくて、好意を抱かれる要素もない。

それなのに、なぜ、分からない。ウィルがどんなつもりで、どんな感情で告白をしたのか理解できない。


『・・・ごめんなさい。私は家族と踊るつもりなの。あなたは私の家族にはなり得ないわ』


明確に拒否を示した。友人だと思っていたウィルに得体の知れなさを感じながら、嫌だと断った。

その時の彼は悲しそうに「残念だ」と言った。すぐに話題を変えて、次回に持ち込む商品についての話を始めてくれた。私も、居心地は悪かったけれど相槌を打つだけで聞くことに徹していたけれど。

また、次の年に告白をされた。


『今年こそオレと踊ってほしい』


断れば、すぐに告白などなかったと話題も表情も変えるのに。


『サラ、愛しているんだ。せめて恋人になりたい。君がオレを好いてくれるようにオレ自身が頑張る。だから、この手を取ってほしい』


どんなに断ってもウィルはめげない。私が距離を置き始めても彼から近付いてきて、収穫祭の前でなくとも告白をするようになっていた。

私が持ち合わせていたのは友情だったから、ウィルのことを煩わしく思ってしまった。流石に嫌悪感は無いけれど、愛を囁く様が嫌で、だから苦手になってしまった。

何より、彼は商人なんて語っているけれど、気品のある雰囲気や所作、身に着けている衣服の上質さから貴族だと思う。商家も家業の一部門ということだろう。だからこそ不信感が増した。

もし、本当に恋愛感情があるとしても、前世の知識から爵位がどの程度であれ、貴族の方と平民では住む世界が違う。結ばれるにはなかなか難しい。それに、私が彼に向ける感情は友情。端から破綻している。

それなのに、執拗に何度も言動で好意を見せてくる。一切隠さなずにいる。何を考えているのか分からなくて、本当に嫌。


ああ、でも、思えばウォルター様も、今の私と同じ感情だったのだろう。前世の私は多弁ではなかったけれど、彼に縋る気持ちが透けていたと思う。何も言わずに側に控えて、離れまいと身を寄せていた。彼がいれば、私は誰にも傷付けられない。執拗に、絡みつくようにウォルター様を追っていた。

ただ親同士の口約束で結ばれた婚約者で、ウォルター様自身の本人の意思は無下にされていたのに。そんな好意を抱かない相手からの気持ちなど煩わしいと思うだろう。

ウィルを通して理解できる。彼自身がどれほど魅力的だろうとも、恋心を抱かない私だから、ただただ迷惑に思うだけ。


人を愛する気持ちなんて、あの時。白い竜に対峙して、妹を守ろうとするウォルター様の姿を見たことで完全に失っていた。今際の際に見た光景だから、心に焼き付いてしまったのだろう。

助けてほしいという感情は愛ではなく、自分本位な悪感情。ウォルター様の感情の機微に気付いておきながら、見て見ぬふりをした邪悪さ。そんな私に誰かを愛する資格なんてない。




次の日。

お父さんとお母さんが協力して刈り取った小麦を縄で縛って纏める。荷台に山のようになるたびに、小麦挽きの風車へと運んだ。

私の家が持つ畑は広くはないものの二箇所ある。残りの一箇所を片付ける前に、昼食となった。


「あ、そうだ。サラ、先に捧げ物を頼む。全て刈り取った後になると、夕方になってしまうからな」


「分かったわ、それじゃあ行ってきます」


お母さんの手作りのサンドイッチを急いで食べて、水筒の水で手を洗った。腰に付けていたタオルで水分を拭いながら、荷台の上にある小麦の一束を抱える。抱きかかえるほどの太さに束ねたから、足元がよく見えない。捧げ物用は事前に括っておけば良かったと後悔してしまう。


「足元に気を付けてね」


心配そうなお母さんに笑顔を向けて答えると、私はあぜ道から出て五百年の歩道跡を歩き進む。

小麦の匂いというか、草の香りを強く感じてやっぱり大きく括りすぎた。すれ違う同じ農民のおじさんから「大荷物だねぇ!階段のところは気を付けなよ!」と言う気遣いの言葉に微笑みでしか返せない。仰け反っているから背中も辛くて、明日には筋肉痛になりそう。

それでも、二回ほど足を止めて休憩しつつ進んだ。人目に晒されながら、特にウィルに好意を寄せる少女達から厳しい眼差しを受けながらも、私は廃城前まで辿り着けた。

一度小麦の束を石畳の上に下ろして一息。かなりの傾斜の階段を見上げて気合を入れると、息を吸い込むと同時に小麦の束を抱えた。

一段一段慎重に、決して焦らずに上る。殆ど坂を上っている状態の中、小麦の束も次第に重く感じて、視界を遮られることからも本当に辛い。


「・・・この半分、ううん。四分の一くらいに括ればよかった」


後悔が口から漏れるけれど、後戻りはできない。階段の坂を上り続ける。次第に高くなっていくことから、心地良い風が肌を撫でた。それでも一歩、一歩、段差を上っていく。


「はあ〜っ・・・あと一息」


頂上、つまりは廃城の前庭が見えてきた。元は城壁に囲まれて、地面に色違いの煉瓦を敷いて紋様を描いていたけれど、今は壁はなく、殆どの煉瓦は剥がれて一部しか残っていない。それでも平らな地面が広がる元前庭に辿り着いたことで、私は小麦の束を一旦置いた。そよぐ風を受けて熱くなった体を冷やそう。


突然、地面すら震える轟音が響き渡る。体勢を崩した私は、瓦礫の一部に捕まって耐えた。次に聞こえたのは、空を引き裂くような音。


「な、何が起きて?それに、この音、何かの叫び声?」


先に謁見の間に捧げ物を届けに来ただろう人が飛び出てきた。辺りを見渡しながらも私とすれ違い、慌てた様子で階段を駆け下りていく。


「っ、私も」


小麦の束を抱えて、早足で崩れた門扉跡に向かう。途中、また叫び声が聞こえたけれど、折角ここまで来たのに戻るわけにはいかない。

何かしらの驚異もなく、山から動物の鳴き声が響いただけなら、結局は小麦の束を捧げなければならない。二度手間になってしまう。

門の上部の丸みを残して半壊した門扉を潜って、崩れた石壁から日の光が差し込む廃城の内部に入る。装飾が砕けた階段を上って二階、壁の中央にある謁見の間の入り口を潜った。

あと少し。国王陛下と王妃の玉座があった段差の上、そこにある誰かのお墓にこの小麦を置けば。

足は重くなっていたけれど、束を落とさないように抱えたまま近付いて、段差を上った。白い石材が積まれたお墓に辿り着くと、他の捧げ物と同様に小麦の束を置く。


「ふー・・・これで、終わった」


一息突いて、天井を見上げた。見えたのは澄み渡った青空と倒壊と風化から免れた石壁の一部、そして、その壁に腰を下ろしている白い人。


「・・・え?」


本当に真っ白な人が、二メートルの高さはある崩れた壁の上部に座っていた。純白のサラサラな髪に色白な白磁の肌、若干サイズの大きい麻の白い衣服を正に羽織っている。唯一橙色、まるで昨日の夕日のような色の瞳で私を見つめていた。

誰だろうか。とても綺麗な少年に見えるけれど、村の人じゃない。一度も見かけたことはないから旅行者だろうか。


「あ、あの・・・」


「ああ、やっとまた君に会えた」


どこか聞き覚えがある声に嬉しそうに微笑む顔。私は彼を知らないのに、知っているかのような言葉を紡いだ。

いくら綺麗な顔をしていても不審で、恐ろしさから体が勝手に後退る。


「あっ、待って!逃げないで!僕は、僕は・・・君を以前見かけたことがある」


壁から飛び降りて綺麗な着地をした少年は、石積みの石碑の前に立った。嬉しそうに私へと微笑みながら、手を差し出してくる。


「僕としては君と初対面じゃないんだ。でも、君は・・・状況から僕を知らない。だから怖いと思っているだろうけれど、安心してほしい。僕は君を傷付けるつもりはないんだ」


「あの、あなたは」


対話を望んでいると分かったけれど、恐れが拭えなくて言葉が詰まってしまう。

それなのに彼は穏やかな顔で待っていた。私の言葉を聞こうとしている。


「どなた、でしょうか?村の人ではないですよね?」


「村、か・・・人気の多さを感じていたけれど、村があるのか。うん、村人じゃないよ。山を越えてこの城に来た。大切なものを探しに来たんだ」


「山を越えて?背後の切り立った岩山をですか?大切な物のために?」


「そうだよ、とても大切だからね。必ず手に入れないといけない」


夕日の色の目が細まる。それは笑みではなく、こちらを窺って観察するような眼差し。


「君、名前は?」


「え?私の、名前?」


「知っておかないといけないから・・・二度と間違えないようにね」


言葉を紡いだあと、僅かな間を空けて何かを呟いた。ただ、小声だったから私には聞こえない。


「あの」


「名前を教えて?君の名前が知りたい」


「わ、私は、サラです」


表情は穏やかななのに、何故か威圧された。得体の知れない少年に逆らってはいけないと、本能が訴えてくる。


「サラ!ああ、とても綺麗な名前だね!君に相応しい、僕の」


近付いてくる。私に手を伸ばしたまま少年が近付いてくる。私の名前を呼んで、うっとりとした表情を浮かべていて、何のつもりか分からない。

逃げなければ。駄目だと本能が警告しているけれど、恐怖が勝ったことで後ろへと振り返り、駆け出した。


「待って、サラ!逃げないで!もう君を傷付けるつもりはないんだ!!」


慌てた声が後ろから聞こえても振り返らない。異常なまでに白い彼から逃げないと、捕まったらどうなるか、怖いとしか思えなかった。

息が上がって苦しいけれど、足を止めることはできない。段差を踏み外さないように注意はして、素早く階段を駆け下りて、崩れた門扉を潜る。

威圧感を背に受けていた。もしかしたら少年が追ってきていると思って、足は止まらない。


「はぁっ、はぁ!はぁっ・・・う、はぁっ!」


前庭跡に辿り着いても全速力で駆け抜ける。小高い丘にあるからこそ涼しい風が肌に当たるけれど、心臓が飛び出しそうなほど強く鼓動を繰り返すことで熱は高まり、熱くて苦しくて堪らなかった。


「ふ、はぁ・・・はぁっ・・・はぁっ」


下り坂になった階段も駆け下りる。眼下に広がる村の様子。今まさに捧げ物を運ぼうとしていた人がいたけれど、私の様子か、それ以前に聞こえた轟音と叫び声で不審に思ったのか、慌てて踵を返すのが見えた。それ以外も、家の中から顔を出していたり、歩道跡で立ち止まっている人が見える。


「一体、何が」


横切る背中に聞こえた言葉。廃城を見上げている二人の男性は、不安だと表情を曇らせていた。ただ、私は自身が感じただけの恐怖に突き動かされているから何も言えずに走り続ける。

ああ、もう少しで広場だわ。家も近い。すぐに帰ってお母さん達に怖い人と会ったと言って。


「サラ!」


「きゃあっ!」


広場を過ぎ去る瞬間、服の袖に隠れていても太いと分かる男の人の腕が私を止めた。そのまま引き寄せられて、分厚い筋肉があると分かる胸に抱き寄せられていた。


「え、ぁ、はぁっ・・・ぁ、ウィル?」


見上げれば、ウィルが覗き込んでいた。心配そうに顔を曇らせて、荒い呼吸を繰り返す私の背中を、大きな手で撫でている。


「大丈夫か?君が捧げ物を持って廃城に向かったと聞いたあとで白い竜が出現したんだ。岩山の向こうから咆哮を上げながら、君のいた廃城に向かって行ったんだ」


「し、白い、竜?」


それは五百年に王国を滅ぼした竜だろうか。

竜は魂が不滅だからこそ、肉体が滅んでも復活する。魂を核として新たな肉体を構成するまで自身の性質に合った土地で眠るという。もしそうであるならば、白い竜は大地の竜。人が寄り付かない岩山の中で眠りについて、今しがた目覚めたのかもしれない。


「五百年前の白い竜と同じなら、かなり凶暴性のある個体だ。襲われなかった?」


「わ、私は、竜には会ってないわ。何かが崩れる音と叫び声が聞こえただけ。それだけで・・・廃城の謁見の間で、怖い人に会ったの。にこやかだったけれど威圧感があって、とても怖かったから逃げてきただけよ」


首を横に振って、声が震えてしまったけれど答えた。それなのにウィルの顔は強張ってしまう。


「怖い人?そいつに襲われたのか?」


「お、襲われてはいないの。一方的に怖がっただけで、雰囲気が怖くて・・・はぁ、今思えば、逃げ出すなんて失礼だったわ。まだ少年だったけれど、大切な物を探しに来たって言っていた。旅行者かもしれないのに・・・でも」


「でも?」


「岩山の向こうから来たとも言っていたわ。こちら側には山道なんてないから、どうやって降りてきたのかしら?」


「・・・」


やっぱり、あの少年は得体が知れない。まだ子供なのに大人でも成し得ないことをしたようだし、もしそれが嘘だったのなら、嘘つきの時点で信用に値しない。

ふと気付く。いつもよりウィルの顔が近くて気付いた。体を包む温もりも自覚して、私は逞しい胸を両手で押す。


「あの、抱き留めて落ち着かせてくれたとは分かるのだけれど、離してちょうだい。人の目があるし、私はあなたとそういった関係ではないのだから」


「他の村人は廃城に降りた白い竜を探っている。オレ達のことなんて見えていない。なあ、サラ」


背中に回されていた腕がきつく締めてきた。私を離さないという強い意思を感じる。


「あれが復活した五百年前の竜とは分からない。でも、確かに間違いなく白い竜が出現した。この村は危険だ、すぐに離れよう。君が竜の餌食になるなんて二度とごめんなんだ。オレと一緒に今すぐ逃げよう。公爵領の領都まで逃げて、領主に報告すれば竜を討伐してくれる。強力な魔法使いと竜殺しの騎士が何人もいるからな。もう二度と奴の爪が君に届くことはない」


「あの、ウィル」


何を言っているのか、未だに動揺しているから理解ができなかった。

凶暴な竜が出現したことで村が危険だとは分かる。私も、前世のことから上位種の竜にとって取るに足らない存在として餌食になりうるとも分かる。でも、どうして、なぜ、ウィルと一緒に逃げないといけないのか。

ああ、もしかして、恋心を向けている私が惜しいから、手を差し伸べようとしているのだろうか。助けられて、どうなるの。助けたらどうするつもりなの。

苦手に思う相手に、愛してほしいと願われたら私はどうすればいいの。


「離して」


「サラ、すぐに逃げよう。すぐに馬車の用意をするから」


「離して!!」


胸を力一杯押した。それに体を締め付ける腕の力が僅かに緩んで、私は身を捻ってウィルから離れた。そのままお母さんとお父さんがいる家へと向かう。走り出す。

白い竜の姿なんて私は見ていないけれど、ウィルと周りの人達の様子から嘘ではないと分かるし、急いでお母さん達と合流をしなければ。


「サラ!!」


捕まえようとしたのか、ウィルの声と駆け寄る足音が聞こえた。待ってほしいと願う声は近付いてきて、すぐにでも捕まってしまいそうで。


「ひ、ぁっ!?」


もはや叫び声ではない、空を切り裂くような凄まじい咆哮が聞こえた。地面を振動させるほどで、よろけてしまい、私は後ろを振り返る。

間近まで迫っていたウィルも振り返っていた。彼の茶色の髪の後頭部が視界に映っていて、その奥。青空の中、翼を動かして滞空をする白い竜がいた。体表を覆う純白の艶やかな鱗に太陽の光が当たることで、全身が輝いている。光の反射を受けた私は思わず、目を細めた。

あの大きさは子供の竜だろう。私を殺した竜と、いえ、間違いなく私を引き裂いて殺した白い竜だ。五百年前、あの竜は伝説によればウォルター様に倒された。どのように討伐されたのかは知らないけれど、この元王国の土地で肉体を失て、そのまま休眠に入った。その凶暴さかさ、目覚めと共に村を襲撃しようとしている。


ふと考え込んでいたら、再び白い竜は咆哮をした。見えないけれど、衝撃が伝わって体が痺れる。膝を突いて落ちれば、砂利が宙に浮くほど大地が揺れている。

悲鳴が聞こえる。何かが破壊される音が聞こえる。私は衝撃に耐えようとして、地面に両手を突いて、白い竜を見上げた。

ああ、ウィル。私を助けようとしたのか手を伸ばして、捕まえようとして。彼は後ろを見せていたから気付かない。夕日の色の目を鋭くさせた白い竜が、滑空で近付いてきたことを。風の音か、身を切るような風圧かでウィルは振り返ったけれど、私の目の前で竜の前足に薙ぎ払われた。彼の苦痛の声が聞こえたのは一瞬。私の視界外、右の方に衝突音が聞こえて、顔を向けようとした。


「サラ」


誰の声・・・いえ、知ってる。私を殺した白い竜の声。それに、廃城で会った白い人とも声質が似ているようで。


「大丈夫だよ、君は番なんだ。僕は大切な君を迎えに来ただけ」


何を言っているのか、本当に理解できなくて。

気付いた時には、私は白い竜に捕まっていた。鋭い爪のある前足が私の胴を掴み上げて宙に運んでいる。


「いやぁっ!」


怖い。非力な人間では到底敵わない、圧倒的な力を持つ竜に捕まった。人間の中でも極端に弱い私では対抗なんてできない。魔法なんて使えないし、武器があっても扱えない。

だから、このままでは白い竜に殺される。番なんて言っていたもの。私はまた殺される。

竜の番は前世の妹。私じゃない。私じゃないと竜が気付いたら、また怒り狂って私を殺すのだから。


「離してぇ!私はっ、あなたの」


「飛行中に口を開いたら危ないよ。今はしっかり閉じてね?あの男もいたから、ここは安全じゃない。すぐに僕達の住処に戻ろう」


「い、ゃ」


風が身に叩き付けられる。白い竜がかなりの速度を出したからだろう。彼の言う通り口を開いてはいけない。両手で覆って目も閉ざした。今は上空。何よりも風圧の凄まじさから従うことしかできなかった。

風を切る音を聞き、風圧に耐えていれば、白い竜の動きは止まった。身に受けていた苦痛が無くなったことで目を開けば、映ったのは鍾乳石、白化した地面。ひんやりとした空気から、あの鍾乳洞だと分かった。


「ここは」


前世で体を引き裂かされた激痛を思い出して震えてしまう。あの耐え難い痛みを再び受けることになるのか。


「ここは僕が発生した場所、生まれた場所なんだ。僕は大地の魔力が集まって竜となった。まだ成長途中だし、一度肉体を破壊されたことで休眠に入ってしまい、満足に成長できていない。竜として未熟なままだけど、やっと君を迎えることができた。番を得た僕は、この土地の支配者となるんだ」


「あ、あの、私」


番ではないと伝えなければならない。もし間違いだと分かった瞬間、掴まれた胴に鋭い爪が食い込むなんて分かりきっている。

だから、自分から誤解を解いて、誠心誠意謝って解放してもらわないと。


「私は、あ、なたの」


「ああ、声が震えているね。竜は人よりも遥かに強いから、君が怖がっているって分かるよ。でも、大丈夫。番の君を痛め付けたり、殺したりしない。君は僕の本能が定めた唯一の存在だからね。僕の可愛いサラ」


「ひっ!?」


もう一つの前足が動いて、私の頬を爪でなぞった。その硬さ、鋭さに喉が引き攣る。指の動作次第で、私の柔らかい肉は簡単に裂けてしまうのだから。


「あ、あの、離し、はなして、くださ、こ、こわい、こわいです!」


だから、懸命に訴える。喉が震えて言葉にならないし、浮かび上がってきた涙に視界は滲んでいるけれど、まだ対話ができる状態だから訴えた。


「あっ、そうだね。片手で掴み上げるなんて、奥さんにするべきことじゃない、よね?他の竜に会ったことはないから知らないけれど、竜でも人でも番を掴むなんて駄目なんだよね?」


そう言いながら竜は地面に下ろしてくれた。そっとした動作だったけれど、震えた私は立ってることができなくて、そのまま座り込んでしまう。


「大丈夫!?どこか怪我でもしてしまった!?」


心配だと慌てた声色で発する。その声は鍾乳洞に反響して、不気味に響いていた。

大丈夫じゃない。番と勘違いをされて連れ込まれた。すぐに誤解を解かないと、前世と同じく殺されてしまう。あのような最期は二度とごめんだわ。

振動するほどの重い一歩で踏み込んできた白い竜へと振り返る。腰を捻って上体を向ければ、竜の鼻先が間近にあった。その下にある顎まで裂けた口からは無数の牙が覗いている。

ああ、真実を告げた瞬間に、この牙が全身に食い込むかもしれない。それでも。


「おは、お話が、あります。落ち着いて、最後まで聞いてください」


「お話?聞く、聞くよ!怪我のこと?それとも」


「聞いて、ください」


言葉を発するために僅かに口が開かれる。その中の牙の数、濡れた大きな舌が見えてて恐怖を煽られたけれど、私自身が落ち着いていなければならない。だから静かに告げて、彼の夕日の色の目を、何故か廃城で会った白い人と同じ瞳の色の目を見つめる。


「私は、あなたの番ではありません」


「へえっ?何を言っているの?」


「あなたは勘違いしています。私には、前世の記憶があるのです。前世では、あなたの番の身代わりとして捧げられて、あなたに殺されました。覚えていませんか?五百年前、いえ、遠い昔のこと。あなたが倒される前のこと。この鍾乳洞に現れた臭い女こそ、私の前世です。本来の番である妹の身代わりとして」


「ああ!前世の記憶を持っていたんだ!だから僕のことを必要以上に怖がったんだね!自分をズタズタして殺した男だもの、怖がって当然だよ!」


「え・・・?」


告白の最中、白い竜は大口を上げて声を張り上げた。鍾乳洞に響き渡る言葉に困惑してしまう。呆気に取られてしまって、言葉が出ない。


「君は間違いなく僕が求めた番だ。僕が勘違いから殺してしまったからね。ああ、あれから五百年経っていたんだ。あの時は殺してしまってごめんね?君の様相も体臭も汚れと妙な匂いで変えられていたから分からなくて、身代わりを寄越したと勘違いしたんだ」


笑ったのか、夕日の色の目が細まる。


「あのあと、怒りのまま城を襲撃したんだ。君の死体をバルコニーに投げ付けて、約束を違えた連中に見せびらかした。そうしたら別の金髪で青い瞳の女がいて、姉は役立たずだったと言っていた。あの城の姫とおぼしき女が、君を姉だと言っていたから君も姫だと分かって・・・他に金髪で青い瞳の女はいなかった。だから、殺した君が僕の番だってやっと分かったんだ」


鼻先が私の胸に当たる。擦り付けるように動かされた。不快な感触だけれど、言われたことがすぐに理解できなくて、脳裏で反芻させるだけ。


「ごめんね・・・ごめんね?さっきも宣言したけれど、もう一度言うよ。君を傷付けることは二度としない。君は僕の大切な番。大事な大事な奥さん、可愛いサラなんだ・・・」


理解し難いことだらけなのに、竜は更に、いえ、先程も言っていた。何故か私の名前を知っているの。


「なぜ、私の名前を」


「うん?あの城の中で聞いたじゃないか。五百年前のように間違えないためにも、名前を知っておかないといけなかったからね」


城の中でと言われても、私が教えたのは得体の知れない白い人で。

そう思った時に、竜の体は光を帯びた。全身が発光して、ただの光が竜の形を取っているようになる。それは瞬く間に縮み、形を変えて人のようになった。ゆっくりと発光は収まって。

眼前に佇んでいたのは、あの白い人だった。サラサラの白髪と夕日の色の目。優しい微笑みを浮かべた顔に、清らさな白い、肌・・・裸だった。


「いやっ!」


子供とはいえ男性の裸なんて見たことがなかった。生々しさと目にしてしまった自分の体との違いに、急いで両手で顔を覆う。

な、なんてものを見せてくるのだろう。でも、確かにあの白い人だった。生まれから高い魔力があると分かるし、この竜は人間に姿を変えることができるのね。


「あっ、人間は裸を晒しちゃ駄目なんだよね。怖がらせてごめんね・・・休眠から目覚めてすぐだったから空腹でね、近くにいた人間を食った時に、その人間から服を貰ったんだ。君と再会したときに着ていたけれど、竜の姿になるときに破けてしまって・・・君のためにも調達しないとね。また人間を襲うか。腹は満たせるし、何かしら身に着けているから便利だよね」


恐ろしいことを言っている。もうすでに一人犠牲になっているし、この竜は人を襲うことに躊躇いがない。やっぱり、世界の頂点だという上位種とは価値観が違い過ぎる。


「サラ」


「い、やぁ!」


両手の手首が掴まれて、覆っていた顔から離された。私の視界には綺麗な少年の顔しか映っていない。


「前世の記憶がある君が僕を恐れるのは分かる。理解している。だけどね、僕は間違いに気付いて、本当の番である君を探した。間違いないように魂を見て、君を見つけ出した。やっと手に入れることができたんだ」


「で、でも・・・私は、あなたの、つ、番には」


怖い。白い竜とは相容れない。価値観が違い過ぎる。だから、番なんてものにはなりたくない。それなのに恐怖が抑えきれなくて、体も声が震えてしまって。


「君は番だよ、だから絶対に離さない。でも、そうだな・・・君が怖がるから二人で過ごす時は人間の姿でいよう。子作りするにも竜の姿だと、また君を殺してしまうからね」


「え、ぇ?」


何を言っているのか、こればかりは理解はできた。番、奥さん、前世の妹の発言を借りればお嫁さん。つまりは、私はこの竜の繁殖相手。子供を産ませるための女。

でも、まさか、すぐにでもそんなことをするわけがない。そう思いたいのに、掴まれた両手は地面に付けられた。私の上体も彼の体のせいで落ちて、背中に冷たさを感じる。


「僕と君じゃ種族の違いから寿命も違う。一度生まれれば永遠に生きる僕と、瞬く間に死んでしまう君。また君の魂を探すのも、生まれ変わるまで待つのも苦痛だ。だからね」


彼の頭が動いて、私のエプロンドレスの胸元の布地を歯で噛んだ。強い力で引かれると、背中に突っ張りを感じた瞬間、布地は引き裂かれる。


「あぁっ!いやぁ!!」


剥き出しになった胸に竜の男が頭を載せた。自分でも血の気が引いたと分かる私の顔を、笑いながら見上げている。


「僕の体液を沢山注いで君の体を変える。竜の体液には多種族を変異させる力があるんだ。そう遠くない未来で、君は人の姿をした竜になる。所謂、眷属っていうものだけれど安心して。奴隷とか召使いにするつもりはないよ。無限の時を君と生きるための処置だからね?」


「やめ、やめて!いやぁ!」


抵抗しようにも両手は掴まれたまま。体を起こそうにも竜が伸し掛かっていてどうにもできない。

このまま私は竜の男の・・・ああ、今、胸を食べようと口を開いて。

絶望だった。この薄暗い鍾乳洞で種族の違いから話が通じない男に強姦される。そう思って、せめて視界から消そうと頭を動かした。

そうすれば、私に覆い被さる竜の背後に誰かが、あれはウィルだわ。険しい顔のウィルが立っていて、無骨な長剣を振り上げていた。

びっくりして目が離せなくて、それは僅かな時間だったのだろう。振り下ろされた剣が竜の男の背に当たり、弾かれた。


「くっ!」


「・・・あぁ、誰か近付いて来ていると思ってたらさ、またお前かぁぁあっ!!」


竜の男は振り返った瞬間、体が膨張する。手足も曲がって形を変えて、グロテスクに変貌を遂げた。


「ぁ・・・あ、ぁ・・・」


人の姿から白い竜に戻った。

長い尾をくねらせながら反転すると、険しい表情のウィルに向き直る。


「お前のことも分かっている!魂が同じだからな!!許さない!!許さないよ!下等な人間の分際で僕に牙を剥くなんて、許すものかぁあぁぁあ、がぁあぁぁぁあっ!!」


咆哮が轟く。地面を揺らして、天井から垂れる鍾乳石を揺らした。衝撃にヒビが入ってもげ落ちた鍾乳石がウィルに振り注ぐ。

彼は飛び退いて避けるけれど、白い竜の前足が地面を殴打して槍のように尖った地面を差し迫らせる。僅かに身を削ったようだけれど、彼は体を動かすことで致命傷を免れたようだった。

魔法の詠唱。呟いているのはウィルで、真っ赤な炎の玉が何弾も白い竜に向かっていく。それを尻尾で薙ぎ払うけれど、距離を詰めてきたウィルにその尻尾の先を寸断されていた。

私の目の前で、竜とウィルが戦っている。ウィルの目的は分からない、分かりたくないけれど・・・私を助けようとしている。私なんかのために命懸けで戦っている。

どうして、それほどまでに、私を・・・私は皆に不要とされた薄暗い王女の生まれ変わり。何もない農民の女なのに、どうして。


考えに耽っていたことで視線が落ちていた。白化した地面にはうっすらと私の影が落ちていて、今は自分の形すら認識したくないから顔を上げる。

白い竜とウィルは戦い続けている。お互いに身が裂かれて血が噴き出していても止まらずに、倒れずに戦っていた。素早い動きでウィルが竜の懐に潜り込む。彼は声を荒げて剣を一閃と動かした。竜の絶叫と共に人のものではない赤黒い血が吹き出して、ウィルの姿を血に染める。

そうしたら、それを瞬きできずに見ていたら、彼の容貌が変わっていって。


「ウォルター、様?」


髪の質感はストレートに変わっていた。血のせいで色は分からないけど、あれは茶色の髪じゃない。何より、血染めの顔にある爛々とした目の色は青くて。

前世の私の婚約者だったウォルター様が、いつの間にか白い竜と戦っていた。これは錯覚だろうか。過去の人に執着した気持ちが見せた幻だろうか。

呆然としていたら凄まじい叫び声が聞こえた。その声に意識を戻せば、ウォルター様は竜の胸に深々と剣を刺して、掻き回すように動かしている。暴れる竜が爪で体を傷付けても我かんせずに、見開いた目で胸を抉り続けて、何かを引き摺り出した。あれは、竜の心臓だろうか。


「あ゛、ぁあ、また、お前にぃ!!」


「私のサラキアを再び奪おうなど許されると思うな」


あの声は間違いなくウォルター様で、前世の名前を呼んでいて。どういうことなの、理解が追いつかない。

竜の心臓にウォルター様は剣を突き立てた。何度も、何度も突き立ててぐちゃぐちゃの肉片に変えていく。


「ぁ、が・・・ぁ・・・サ、サラァ、ぼくの・・・」


苦しむ竜が私に手を伸ばす。生気が失われつつある顔も向けて、裂けた口から大量の血を吐いて、私を呼んだ。

何故か手を伸ばしてしまった。でも、白い竜の腕は切り飛ばされてしまう。ただ見ていただけの私に近付いてきたウォルター様の剣によって、寸断された。


「サラ、無事で良かった」


その声はウィルだけど、姿はウォルター様そのもので。


「ウォルター様、なぜ?」


混乱しているからそのまま名前を呼んでしまった。そうすれば、彼は驚いて目を丸くしたけれど、すぐに場にそぐわない笑みを浮かべる。


「ああ、私のサラキア。思い出してくれたのか。そうだ、ウォルターだ。良かった、やっと君を真の意味でこの手に取り戻すことができる」


ウォルター様の声に戻っていた。

凄まじい血の匂いの中、不気味に笑うウォルター様が怖くて、白い竜の死に様も恐ろしくて、耐えられなかった。

意識が落ちそうになる。そう思った時には遅かった。






目を開く。

反射的な動作から見えたのは見知らぬ天井だった。美しい紋様が金色で描かれた黒い天井。身を包む温もりもいつもより温かくて、手のひらを動かせば肌触りがいい。それが全て不可解だから上体を起こす。

私は白い竜に拐われて鍾乳洞に連れて行かれた。そこで竜に番だからと迫られて、何故か、ウィルが、いえ、ウォルター様が助けに来てくれて、白い竜を残忍に倒していた。


「あ・・・やだ・・・」


身を起こして考え事に耽っていたけれど、身に着けている服に羞恥心が芽生える。肩も腕も、胸の谷間さえ覗いた薄いネグリジェを着ていた。それに、左の薬指には綺麗な青い宝石の指輪が填まっている。

寝ていたベッドも上質な材質で、キングサイズといった広さのもの。ここが私の家でなく、誰かの家の寝室に運ばれたのだと分かって血の気が引いた。誰の家なのかは、怖いから考えたくない。とにかくベッドからは降りて。


「えっ?」


右足を動かした瞬間、足首に冷たい金属が填められていると気付いた。次いで金属の擦れる音。

胸の奥の心臓の鼓動が強くなっていく。冷や汗も浮かんで、額から落ちていった。それでも、怖くても状況を確認しなければならないから、私はかけられていたブランケットを剥ぎ取った。


「あぁ・・・」


丈の短さから剥き出しになっているふくらはぎ、その下の足首に足枷が填められていて、足枷から伸びる鎖がベッドの柱に繋げられている。

誰かに監禁されている。その誰かが脳裏に浮かんだ瞬間、部屋の扉が開いた。


「サラキア、目が覚めたのか」


私の様子に気付いて微笑みを浮かべるウォルター様。五百年前の人が、何故か現代にいて、私に歩み寄ってくる。


「あの後、君は気を失ってしまったのでね。体に異常があるのかと全身隈なく調べたが、特に問題はなかった。本当に無事で良かった」


手が伸ばされる。私に触れようとしてか、ウォルター様の大きな節くれだった手が近付いてくる。


「あ、あの、私、私はどうして、ここに?」


「ここは私の家だ。公爵家から譲られた土地に立てた塔の中になる。五百年前、竜の返り血を浴びたせいか体が変異していてな。不死は確かめていないから分からないが、不老となったのだ。今の私は、竜殺しの功績から元王国の土地の観察、白い竜が目覚めた際には討伐の役目を与えられている」


手が、私の剥き出しの肩を掴む。横に腰を下ろしたウォルター様に引き寄せられて、シャツの開けた逞しい胸板に頬が触れた。


「そ、そうでしたか・・・それは分かりましたけれど、なぜ、私をこの塔に?」


見上げてみれば、瞬きなく見下ろしている青い瞳。身動ぎすら許されないといった圧を感じる。


「何を言っているのだ、君は私の婚約者だろう?半月も経たずに結婚をするのだから、家に招くのは当たり前のこと」


「ぇ、何を、あなたは妹と」


絵本にすらなった伝説では、私の妹と結ばれたはず。永遠の愛を誓ったと伝わっているのに。


「妹?何を言っている。今の君はサラで、今生では妹などいない。もしや、白い竜とのことで混乱をきたし、前世と混同してしまっているのかな?」


背中に腕を回されて抱き締められる。でも、その動きに足枷と鎖が音を立てて、剥き出しの肌を撫でる手を生々しく感じてしまう。びっくりして視線を落とせば、私の髪が梳かされるように撫でられる。


「ああ、サラキア。やっと君と結ばれることができる。長かった、本当に長かった・・・五百年、竜に命を奪われた君だけを想って生きてきた。あの竜の血を受けたことで眷属のようになっていてな。私は人の魂も見ることが出来る。色んな人間から君を探し続けた。ある日、あの城下町跡の村に惹かれる感覚があったから見に行ってみれば、君がいた。サラとして生まれ変わっていた。五百年の苦痛が癒えた瞬間だった」


唇が額に当たる。吸いつかれた感覚があった。


「ウォルターの姿では、万が一に君に記憶があった場合、不審に思われると思ってな、魔法で姿を変えていたのだ。また君と結ばれたくて何度か求愛したが、すげなくされて悲しかった。君が欲しくて堪らないのに堪え凌ぐのは辛かったものだ。何度誘拐しようかと考えたか、何度も純潔を奪って逃げられないようにしようと考えたか。だが、その苦悩ももはや過去のこと。やっと愛しい君を取り戻すことができた。これからは私が君を守ろう・・・誰からも危害を受けず、誰にも奪われないように、誰の目にも止まらないように私が守り続けよう」


ぞっとするような声色で囁かれて、私は恐る恐る顔を上げた。爛々とした光を宿す青い瞳。その瞳孔は縦に細くなっていて。


「愛している、サラキア。もう二度と誰にも渡さない」


・・・ああ、私は檻の中に閉じ込められたのね。五百年もの年月で歪んでしまった婚約者に囚われて、死ぬまで逃げることはできない。いえ、私は死ぬことができるのだろうか。

何も分からない。分からないけれど、私を離せまいと抱き締める温もりから逃げられないことだけは分かった。

ウォルター視点も書こうと思いましたが、全てを晒すのはちょっと違うかと思いました。自重です。

補足するならば、内心サラキアを想っていたウォルターは城下町に被害が出るほど白い竜との激戦の末、竜の肉体を破壊して眠らせたあと、今までサラキアを虐げていた者達を惨殺して、怒りのままに城を破壊。城下町も火の海に変えました。つまりは王国を滅ぼしたのはウォルターです。怖いね。

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