懸想の影・掌編『それが愛のつとめ』
「栗沢由仁ちゃん」
初めて訪れた東京。羽田空港の到着ロビーで、見慣れない男が自分の名前を呼びながら近寄って来た。
「…誰アンタ。不審者なら保安の人に突き出すよ」
これが、墨田千歳との初めての出会い。
第一印象は不審者以外の何物でもなかった。
「由仁、おいで」
「なんで私がアンタの言うこと聞かなきゃいけないのよ」
「とか言って、僕の言うこと聞いてくれるじゃない」
「うっざ」
逃げるように東京に来た。一応、大学に受かったからという大義名分は立っていた。『実家』にいたくなくて、『戸籍上かつ血のつながりが生物学上』存在している母親ごっこの女に持たされた金を使うのは非常に癪だったが、背に腹はかえられなかったから黙って受け取った。金がないと、生活ができない。とにかく東京に出て、家を探して拠点を探そうと思ってほとんど身一つで上京した瞬間に見計らったかのように現れたこの男は、自分の身の回りの世話だけでなく金銭的なものも一切合切請け負った。
見ず知らずのおっさんにこんなことをされて不信感しかなかったが、失うものも別にない。特に損をする訳でもない。
だからこれも、黙って受け取ることにした。
そして拠点が決まって数日。
生活に必要なものをいくつか買いに行こうと誘われるが、面倒でしかなかったが大事なパトロンみたいなものなので仕方なくついていく。
道行く人々は、私たちのことをどう見るのだろうか。
親子?援助交際?
「…ねぇ、アンタさ」
「由仁、僕の名前また忘れたの?」
────面倒臭い。
この男と数日過ごして思った。こういうところが非常に面倒臭い。
ふう、とわざとらしくため息を漏らしてぶっきらぼうに「ちとせ」と名前を呼ぶと、子供みたいに笑顔を向けて来たので一層面倒さに似た何かが増した。
「で?なにかな由仁」
「…なんで私の世話焼くの?うちの戸籍上の母親になにか頼まれたの?」
戸籍上の父にあたる栗沢栄が、自分のために何かするとは到底思えない。ならば消去法でこの男を差し向けたのは栗沢由良しか浮かばない。
「由良の差金でもなんでもないよ、どっちかというと逆」
「……逆?」
「そ、僕が由良に、君を東京に寄越すように『命令』したんだから。まあ、僕が由良に頼み事をする前に由仁は東京に逃げてくるつもりだったみたいだけどね」
「は」
この男は、一体何を。
考えようとするのに、考えたい気持ちが拒否する。本能でこの男が誰なのか、知っているような、そんな気が────
「僕は君のパパだからね」
可愛い可愛い、最愛の娘。




