名を刻むもの、翼を持つ影
世界樹エルディアから生まれた存在――
マナ=エルディアスは、世界と世界の狭間で数多の知識を見てきた“世界の叡智”である。
人間至上主義を掲げ、多種族と魔物を迫害するアウレリア帝国。
秩序と繁栄を謳うその支配は、やがて差別と殺戮を正当化し、世界そのものを静かに蝕み始めていた。
「知ってしまった以上、止めずにはいられない」
世界樹の意思を胸に、マナは行動を選ぶ。
差別に抗う者、追われた魔物、居場所を奪われた種族たち――
彼らと出会い、語り、選択を委ねながら、マナは静かに仲間を集めていく。
これは、剣でも王座でもなく、
知識と意志によって帝国の歪みを正す“不死身の大賢者”の物語。
世界樹の子は問いかける。
――支配とは、誰のためのものなのか。
魔法の森は、静かだった。
世界樹エルディアの内とは異なり、ここには明確な生と死の気配がある。
風は葉を揺らし、土は湿り、魔力は自然に溶け込みながらも、どこか荒々しい。
マナ=エルディアスは、ゆっくりと森の奥へ歩を進めていた。
足取りは慎重だが、迷いはない。
世界樹の内で得た知識が、この森の危険と、同時に可能性を告げていた。
そのとき――
かすれた声が、微かに耳へ届いた。
「……強く……なりたい……」
足が止まる。
マナは周囲を見渡し、気配を探った。
視線の先、木々の根元の影。
そこに、小さな存在がいた。
銀色の、半透明な体。
不安定に形を保つ――スライム。
「……強くなりたいのか?」
マナが声をかけると、銀色の存在は、びくりと震えた。
「……うん……」
か細い返事。
「強くなって……仲間を……助けられる自分に……なりたい……」
その言葉は、願いだった。
恐怖や欲望ではない。
ただ、誰かを守りたいという、純粋な意志。
マナはしばらく沈黙し、その存在を見つめた。
「……わかった」
ゆっくりと、しかし確かに告げる。
「一緒に来て。
ともに……強くなろう」
銀色のスライムは、少し間を置いて、頷いた。
「……うん……」
そして、ためらうように続ける。
「……刻印……ください……」
「刻印……」
マナは小さく呟いた。
そうだ、と知識が呼び起こされる。
刻印とは――名を持たぬ魔物に名前を刻み、魂を繋げる契約。
それは支配ではなく、繋がり。
刻印を受けた魔物は、刻印主に近しい存在となり、魂の形を定められる。
「……そうか」
マナは理解した。
「君には……名前がなかったんだね」
銀色のスライムは、静かに揺れた。
「……うん……」
マナは杖を地面に立て、静かに息を整える。
「……いいよ」
「君は今日から……メルだ」
言葉が、世界に落ちた。
「……メ……ル……?」
銀色の体が、わずかに輝く。
「えぇ。今日から、君はメル」
マナは微笑んだ。
「よろしく」
「……うん……」
次の瞬間――
銀色の光が、弾けた。
形が変わる。
流動していた体は、人の輪郭を取り始め、やがて――一人の少年の姿を成した。
銀色の髪。
幼い顔立ち。
まだ不安定だが、確かな“個”を持つ存在。
「……あれ……?」
少年――メルは、自分の手を見つめる。
「刻印の影響だよ」
マナが静かに説明する。
「刻印を魂に刻むと……人型なら、人型になる」
「……なるほど……」
メルは、ゆっくりと理解したように頷いた。
「……だから……ボクは……」
そのとき――
草が、揺れた。
わずかな音。
だが、マナは即座に気配を察知する。
「……!」
木々の間から、鎧姿の人影が現れた。
「アァ〜ン?」
下卑た声。
「何だぁ〜? ガキが二人いるじゃねぇか」
帝国軍調査部隊。
武装した兵士たちが、ぞろぞろと姿を現す。
「隊長、見てくだせぇよ」
一人が笑いながら言う。
「ありゃ、魔法使いですぜ。
しかも……綺麗で」
「……あぁ」
隊長は、マナを舐め回すように見た。
「そうだな」
「おい、女。そんな銀髪の小僧を置いて、俺たちと来い」
「……?」
マナは首を傾げる。
「私は……女ではないが」
少し考え、
「まぁ……いいだろう」
淡々と続けた。
「帝国の人間についていくつもりはないよ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、怒声が飛ぶ。
「何だと!?
オレたち帝国に逆らうのか!?」
メルが一歩、前に出た。
「……マスター」
静かな声。
「ここは……任せてください」
「……行けるのかい?」
「はい……」
迷いのない返事。
マナは小さく頷いた。
「だったら……頼んだよ」
「はい……」
帝国軍調査部隊隊長が、嗤った。
「いい度胸だな!
お前ら!」
「へへへ……」
「悪く思うなよ、小僧」
「なぶり殺してやる」
「その後に……あの女を……」
その言葉が、最後だった。
「……おしゃべりは……済みましたか?」
メルの声は、静かだった。
「……さようなら」
次の瞬間――
銀色の影が、消えた。
否、速すぎて見えなかっただけだ。
刹那。
鋭い音。
兵士たちの悲鳴。
一人、また一人と倒れ伏し、気づけば――
立っているのは、メルと隊長だけだった。
「なっ……!?」
隊長の顔が、蒼白になる。
「ひ……ひぃ……!」
「……上出来」
マナが、淡々と告げる。
「う……うぁぁぁぁぁ!!」
兵士たちは逃げ出した。
「ま、待て〜!!」
隊長もまた、必死に踵を返す。
森に、静寂が戻る。
「……逃がして……よかったのですか?」
メルが尋ねる。
「えぇ」
マナは頷いた。
「どうせ……放っておいても、報告はしたでしょう」
「……なるほど」
メルは感心したように言った。
「さすが……マスターです」
「……それで」
マナはふと、視線を向ける。
「マスターとは……私のことかい?」
「はい」
メルは即答した。
「魔物と契約した人は……魔物から、マスターと呼ばれます」
「……そうだね」
マナは小さく笑った。
「改めて……よろしくね、メル」
「はい……マスター」
その様子を――
遠く、木の上から見下ろす影があった。
小さな体。
背中には、紺の翼。
「……ふふ」
少女は楽しそうに呟く。
「なにか……面白いこと……起きないかなぁ……?」
翼が、静かに羽ばたいた。
物語は、確かに――
動き始めていた。
第3話では、マナ=エルディアスが初めて「名を与える側」になる瞬間を描きました。
メルとの出会いは、力ではなく“繋がり”によって世界を変えていく物語の始まりでもあります。
そして、静かに物語を見下ろす翼を持つ影――。
世界はもう、彼女たちだけのものではありません。
次回もお楽しみに




