旅立ちと、世界の鼓動
世界樹エルディアから生まれた存在――
マナ=エルディアスは、世界と世界の狭間で数多の知識を見てきた“世界の叡智”である。
人間至上主義を掲げ、多種族と魔物を迫害するアウレリア帝国。
秩序と繁栄を謳うその支配は、やがて差別と殺戮を正当化し、世界そのものを静かに蝕み始めていた。
「知ってしまった以上、止めずにはいられない」
世界樹の意思を胸に、マナは行動を選ぶ。
差別に抗う者、追われた魔物、居場所を奪われた種族たち――
彼らと出会い、語り、選択を委ねながら、マナは静かに仲間を集めていく。
これは、剣でも王座でもなく、
知識と意志によって帝国の歪みを正す“不死身の大賢者”の物語。
世界樹の子は問いかける。
――支配とは、誰のためのものなのか。
マナ=エルディアスが誕生してから、一ヶ月と少し。
世界樹エルディアの内部――
そこでは時間の流れさえ、外界とは異なっていた。
昼も夜も曖昧な、常に柔らかな光に満ちた空間で、マナは静かに息を吐いた。
「…………ふぅ……」
吐息は、白くも曇らず、ただ溶けるように消えていく。
この一ヶ月。
マナは世界樹の内で、言葉を学び、感情を知り、世界の断片を見せられてきた。
帝国の街。
泣き叫ぶ子ども。
鎖に繋がれた魔物。
沈黙を強いられた賢者たち。
知れば知るほど、胸の奥に重いものが溜まっていく。
その背後から、弾んだ声が響いた。
「マナ〜! 服ができたよ〜?」
振り返ると、小さな光の塊――下位精霊が、嬉しそうに漂っている。
「本当かい……?」
差し出されたそれを、マナはそっと受け取った。
「……これは……」
紺色の魔女帽子。
つばはやや広く、頂はとがりすぎず、どこか柔らかな印象を与える。
ローブは深い藍に近い色合いで、裾や袖には金色の模様が繊細に織り込まれていた。
それは装飾でありながら、魔力の流れを補助する術式でもある。
「よく……似合っている」
マナの声は、どこか照れたようでもあった。
「えへへ〜! 世界樹様の枝からとれた糸も使ってるんだよ〜!」
そこへ、落ち着いた気配とともに上位精霊が現れる。
「それだけではありません」
精霊の手には、一本の杖があった。
杖の軸は、世界樹エルディアの樹から削り出されたもの。
先端には、淡く輝く刃が取り付けられている。
神の金属とオリハルコンを混ぜ込んだ、剣付きの杖。
「あなたの要望通りです。
“戦うための杖であり、守るための剣”」
マナは静かにそれを受け取り、重さを確かめる。
「……ありがとう」
短い言葉だったが、そこには確かな感謝が込められていた。
その時、空間全体がわずかに揺れた。
「マナ……」
世界樹エルディアの声が、優しく響く。
「旅立つのですね……」
「えぇ」
マナは頷いた。
「少し……寂しくなりますね。
こうしている間にも、時間はあっという間に過ぎてしまう……」
世界樹の声には、ほんのわずかな――母のような感情が滲んでいた。
「ですが」
マナは、まっすぐに答える。
「世界を……放っておけません」
沈黙。
それから、世界樹は静かに語った。
「……えぇ。
必ず、帝国を打倒してください」
それは命令ではなかった。
願いだった。
「えぇ。必ず」
短い言葉。
しかし、その中に迷いはなかった。
「世界樹様〜! マナ様〜!」
下位精霊たちが一斉に声を上げる。
「転送陣の準備が整ったよ〜!」
「えぇ、すぐ向かいます……」
マナは一度、振り返った。
「それでは……必ずや、勝利を」
「えぇ……祈っています」
光が集まり、巨大な魔法陣が展開される。
その中心へ、マナ=エルディアスは静かに足を踏み出した。
世界樹の内から、世界へ。
*
――魔法の森。
「…………ついた……のかな……?」
足元には、柔らかな苔。
頭上には、重なり合う木々の葉。
濃密な魔力が、空気そのものに溶け込んでいる。
「……ここは……森か」
世界樹の内とは違う。
生き物の気配。
風の冷たさ。
遠くで鳴く獣の声。
マナは一歩、踏み出した。
世界は――動いている。
*
その頃、アウレリア帝国。
重厚な玉座の間に、慌ただしい足音が響く。
「陛下!」
家臣が跪き、声を張り上げた。
「どうした?」
玉座に座る皇帝は、退屈そうに顎杖をついている。
「世界樹エルディアに……微弱ながら、魔力の変動を感知しました!」
「……微弱、だと?」
皇帝の目が、わずかに細まる。
「はっ! 確かに感知しております。
調査部隊を派遣すべきかと!」
沈黙。
皇帝はしばらく考え込むように目を閉じ……やがて、口元を歪めた。
「……ふむ」
「許可する」
「ははっ!」
家臣が下がると、皇帝は玉座から立ち上がった。
「……世界樹の精霊どもを……」
低く、愉悦を孕んだ声。
「我が帝国の支柱に収めることができれば……」
笑い声が、玉座の間に響き渡る。
「ははは……ハハハハハハハ!!」
*
再び、魔法の森。
木々の陰、ひっそりとした場所で、奇妙な存在が蠢いていた。
銀色の、半透明な身体。
小さく、不安定な形。
「…………強く……なりたい……」
かすれた声。
誰にも聞かれぬ願いが、森に溶ける。
その存在が、これから――
マナ=エルディアスと出会うことを、まだ知らない。
世界は、静かに――
しかし確実に、動き始めていた。
第2話までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、マナ=エルディアスが「生まれた存在」から「歩き出す存在」へと変わる回でした。
同時に、帝国側の動きや、新たな存在の伏線も静かに置いています。
次回から、物語は実際に“世界とぶつかり始めます”。
この旅路を、どうか最後まで見届けていただければ幸いです。




