世界が歪む音
世界樹エルディアから生まれた存在――
マナ=エルディアスは、世界と世界の狭間で数多の知識を見てきた“世界の叡智”である。
人間至上主義を掲げ、多種族と魔物を迫害するアウレリア帝国。
秩序と繁栄を謳うその支配は、やがて差別と殺戮を正当化し、世界そのものを静かに蝕み始めていた。
「知ってしまった以上、止めずにはいられない」
世界樹の意思を胸に、マナは行動を選ぶ。
差別に抗う者、追われた魔物、居場所を奪われた種族たち――
彼らと出会い、語り、選択を委ねながら、マナは静かに仲間を集めていく。
これは、剣でも王座でもなく、
知識と意志によって帝国の歪みを正す“不死身の大賢者”の物語。
世界樹の子は問いかける。
――支配とは、誰のためのものなのか。
この世界はノヴァーズリンガ。
人間、亜人、エルフ、獣人、竜人、人魚、魔物、精霊――
数え切れぬほどの種族が、それぞれの土地で、それぞれの営みを紡ぎ、生きてきた世界である。
アウレリア帝国の街路は、今日も騒がしかった。
石畳を踏み鳴らす重い足音。
鎧に身を包んだ兵士と、酒と暴力の匂いをまとった荒くれ者たちが、通りの中央を占領している。
「オラオラ! ここは人間様の国だ!」
怒号が空気を裂いた。
その先で、耳の長い亜人の少女が地面に膝をついていた。
荷袋を抱え、逃げ場を失った瞳が必死に左右を彷徨う。
「お前ら亜人はなぁ、文句言わず働けばいいんだよ! 人間様に使われるために生まれてきたんだろ?」
嘲るような笑い声。
荒くれ者の靴先が、容赦なく少女の肩を蹴りつけた。
「いやぁ……っ!」
悲鳴は小さく、すぐに街の喧騒に溶けて消える。
誰も止めない。
誰も声を上げない。
それが――この国の「秩序」だった。
人間至上主義を掲げるアウレリア帝国では、亜人や魔物は労働力であり、財産であり、道具でしかない。
痛みも、意思も、尊厳も、そこには存在しないものとして扱われる。
石畳に伏せる少女の影が、夕暮れの光に長く伸びた。
その光景を――
人の目では決して届かぬ場所から、見つめる存在があった。
*
世界樹エルディア。
世界の中心に根を張り、天へと枝を広げる、命と知識の源。
その内側、精霊たちが集う空間では、張り詰めた空気が漂っていた。
「……このままでは」
澄んだ声を持つ上位精霊が、震えるように言葉を紡ぐ。
「帝国に、すべてを支配されてしまう……」
精霊たちの前に広がるのは、世界の各地の光景。
燃える村。
鎖につながれた異種族。
沈黙を強いられる賢者たち。
「は、はわわ……どうしましょう……」
下位精霊が小さく身をすくめる。
精霊たちは知っていた。
帝国の侵食は、すでに国境を越え、世界そのものを蝕み始めていることを。
けれど、彼らには止める力がない。
ざわめく精霊たちの声を、低く、深い響きが包み込んだ。
「……精霊たちよ」
世界樹エルディアの声だった。
「おちつくのです……」
一瞬で、空間が静まり返る。
「せ、世界樹様!」
精霊たちは一斉に頭を垂れた。
世界樹は語る。
悠久の時を生き、数え切れぬ世界を見つめてきた存在の声で。
「私は……この歪みを見過ごすことはできません」
「では……なにか、お考えが……?」
上位精霊が恐る恐る問いかける。
「私に、案があります」
精霊たちの間に、ざわりとした気配が走った。
「私の分身体に魂を与え……世界を正す存在として育てるのです」
「しかし、世界樹様!」
上位精霊が声を荒らげる。
「そんな時間はありません! 帝国の侵攻は、今この瞬間にも……!」
「安心しなさい」
世界樹の声は揺るがない。
「すでにこの計画は進んでいます」
精霊たちは息を呑んだ。
「重要なことゆえ、秘密にしていたのです。
私の分身は――すでに知恵の旅へと送り出されています」
「……!」
「まもなく、その旅を終え……ここへ、帰還するでしょう」
しばしの沈黙ののち、精霊たちの顔に光が戻る。
「さすが……世界樹様……!」
「世界は、まだ……終わっていない……!」
世界樹は何も言わず、ただ静かに枝を揺らした。
*
――知恵の空間。
そこは、形も時間も曖昧な場所だった。
無数の光が流れ、言葉にならない記憶が漂う。
「ねぇ……」
柔らかな声が、空間に響く。
「いつまで、旅をすればいいの?」
「もうじき、旅の終点ですよ」
答えたのは、優しい声だった。
「私は……誰なの?」
「それは、前にも言いましたね。
今は……まだ、言えません」
「……」
しばらくの沈黙。
「終点に着いたら……私は、なにをすればいいの?」
「知恵の空間での旅が終わると……あなたは、世界を変えるのです」
「……世界を?」
「えぇ」
優しい声が微笑むように響いた。
「――もう、着きますよ」
「……!」
光が、弾けた。
*
温かい。
どこか懐かしく、心地よい感覚。
包み込まれるような安らぎの中で、意識がゆっくりと形を得ていく。
「生まれた……!」
「生まれた! 世界を救う者……!」
精霊たちの歓喜の声が聞こえる。
「……ここは……?」
まだ拙い声が、世界に落ちた。
「ここは、世界樹の中ですよ」
「……あなたは、誰?」
「私は……世界樹」
「じゃあ……私は……?」
一瞬の沈黙。
そして、世界樹ははっきりと告げた。
「あなたは――世界を変える者」
名を授ける言葉が、世界に刻まれる。
「マナ=エルディアス」
その名が響いた瞬間、
世界のどこかで――歪みが、確かに軋む音を立てた。
そしてまだ、誰も知らない。
この存在がやがて
不死身の大賢者と呼ばれることを。
世界が変わる、その始まりであることを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1話では、世界が抱える歪みと、その中で静かに生まれた存在を描きました。
まだ物語は動き出したばかりで、マナ=エルディアス自身も、自分が何者なのかを知りません。
この世界がこれからどのように変わっていくのか、
そして「世界を変える者」がどんな選択を重ねていくのか――
次話から、少しずつ描いていければと思います。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。




