1話 時間を喰らう少年
雨の匂いがした。
放課後の校門前、天城レイは立ち止まって空を見上げた。
どこか遠くで雷鳴が鳴り、灰色の雲がゆっくりと街を覆っていく。
ポケットの中のスマホが震えた。
「……病院から?」
液晶に浮かんだ名前を見て、レイの胸が冷たくなる。
妹・凜の入院している総合病院。
嫌な予感が、体の奥で鳴っていた。
通話ボタンを押すより早く、病院からの声が響いた。
『――天城さんですか!? 妹さんの容体が急変して!』
その瞬間、世界が音を失った。
傘もささず、レイは全力で駆け出した。
濡れたアスファルトを蹴り、息を切らせながら走る。
視界の端が滲んで、鼓動だけがやけにうるさい。
頭の中で、誰かの声が囁いた。
「時間を……欲しいか?」
知らない声だった。
それは、雨音の合間に染みこむように静かで、どこか懐かしい。
「凜を助けられるなら、何だっていい」
自分でも驚くほど迷いのない声が出た。
その瞬間、レイの右手が灼けるように熱くなった。
手の甲に、黒い砂時計の紋章が浮かび上がる。
ガラスの中で、金色の砂が逆流していた。
足元で、通行人の時間が止まった。
雨粒も、車のライトも、世界そのものが凍りつく。
「……なんだ、これ……」
スローモーションの中を歩くように、レイは病院の玄関へ向かった。
中では医師たちが叫び、看護師が懸命に蘇生を試みている。
ベッドの上には――凜。
小さな胸が、もう動いていなかった。
「やめろ……!」
レイは震える手を伸ばした。
その瞬間、時間が逆流する。
時計の針が巻き戻り、心電図の音が一度だけ跳ねた。
凜の指が、かすかに動いた。
光が弾ける。
レイの右手から黒い砂が舞い上がり、部屋の中の誰かの時間を喰らった。
その誰かは、立ったまま静かに崩れ落ちる。
顔も知らない、通りすがりの患者だった。
世界が動き出す。
モニターが再び鳴り、医師が叫ぶ。
「……戻った! 心拍が戻ったぞ!」
レイはその場に崩れ落ちた。
右手の砂時計は、淡く光りながら消えていく。
「凜……よかった……」
だが、その手のひらに残った微かな痛みが告げていた。
――彼は、誰かの時間を喰らったのだ。
その夜、街の片隅でひとりの男が倒れていた。
心臓は止まり、時計は壊れていた。
そして、遠く離れた屋上で、一人の少女が呟く。
「また一人、時間を奪われた」
白鷺ミナト。
その手には、白い砂時計が静かに光っていた。




