第11話 返すための条件
朝の光が、障子の隙間から細く差し込んでいた。
埃が金色に舞い、静かな部屋に時間だけが流れている。
天城レイは、しばらくその光を見つめていた。
昨夜聞いた“黒い砂の声”が、まだ耳の奥に残っている。
奪った時間を、返す道。
それがあると知ってしまった以上、戻ることはできなかった。
「……条件って、何だ」
ぽつりと、レイは言った。
白鷺ミナトは、少しだけ言葉を選ぶように視線を伏せた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「奪った時間を返すにはね……
“誰の時間を、どれだけ返すか”を、あなた自身が選ばなきゃいけない」
「選ぶ……?」
「そう。
時間は均等に戻らない。
あなたが奪った人たち全員を救うことは、ほぼ不可能」
レイの喉が鳴った。
「……じゃあ、どうやって……」
ミナトは、床に置いていた小さな白い砂時計を取り上げる。
中の砂は、ほとんど残っていなかった。
「返すには、“媒介”が必要なの。
奪われた時間を、もう一度世界に流し戻すための器」
「器……?」
ミナトは、まっすぐレイを見る。
「それが――あなた自身」
空気が止まった。
「俺……が?」
「あなたの中には、すでにたくさんの時間が溜まっている。
奪った時間、燃やした時間、固定した時間……
それらを一度、あなたの寿命として“統合”してから、返す」
レイは息を呑む。
「それって……」
「ええ。
返すたびに、あなたの寿命は確実に削れる」
はっきりとした言葉だった。
逃げ道はない。
「……どれくらい、削れる」
ミナトは少し考え、正直に答える。
「返す時間の量による。
一人分かもしれないし、
十人分かもしれない。
最悪――あなたが先に尽きる」
レイは目を閉じた。
凜の顔が浮かぶ。
病室で眠る、あの小さな手。
「……それでも、やる」
迷いはなかった。
ミナトの目が、わずかに揺れた。
「……どうして、そんなに即答できるの」
レイは苦く笑う。
「もう一度、聞いたんだ。
奪った人たちの声を」
拳を握る。
「みんな……自分の時間を、ちゃんと生きてた。
それを奪ったまま、生き続けるなんて……できない」
ミナトは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……あなたは、本当に不器用ね」
彼女は部屋の奥へ歩き、古い戸棚を開けた。
中から取り出したのは、黒くひび割れた砂時計。
「これが、“返還儀式”の核」
レイの刻印が、反応するように熱を持つ。
「でも、条件はそれだけじゃない」
ミナトは、低い声で続けた。
「返す瞬間、必ず“干渉者”が現れる」
「干渉者?」
「時間は、勝手に流れを変えられるのを嫌う。
返還を始めた瞬間、
クロノスだけじゃない……
もっと古い存在が、あなたを止めに来る」
その言葉の重みが、胸に沈んだ。
「……イリスのことか」
ミナトは、驚いたように目を見開く。
「……知ってるの?」
「名前だけ。
でも……あいつは、俺を“後継者”って呼んだ」
部屋の空気が、一段冷えた。
「それなら……なおさら急がなきゃ」
ミナトは砂時計を抱きしめる。
「イリスは、時間を返すことを嫌う。
奪い合い、固定し、停滞させる存在だから」
レイは立ち上がった。
「最初に返すのは……
俺が一番最初に奪った人だ」
ミナトは、静かに頷いた。
「それが一番、危険。
でも……逃げないのね」
「逃げたら、全部無駄になる」
そのとき。
外で、乾いた拍手が響いた。
「いやあ、いい話してんじゃん」
レイとミナトが振り向く。
縁側の影から、ナギ=ファロウが姿を現した。
相変わらず軽い笑み。
だが、その目は真剣だった。
「返す、ねぇ……
まさかそこまで踏み込むとは思わなかった」
レイは身構える。
「聞いてたのか」
「最初から最後まで」
ナギは肩をすくめる。
「止めに来た……って言いたいとこだけどさ」
一瞬、間を置いて。
「今回は、忠告だ」
ミナトが睨む。
「何を?」
ナギは、レイを見つめる。
「返還を始めた瞬間、
お前は“世界の敵”になる。
クロノスも、イリスも、
味方はいなくなる」
レイは静かに答えた。
「……それでも、やる」
ナギは、ふっと笑った。
「だろうな。
だから厄介なんだよ、お前」
彼は背を向け、去り際に言った。
「生き残れたら……
また会おうぜ、“時間の選択者”」
足音が遠ざかる。
静寂の中で、ミナトが小さく息を吐いた。
「……後戻りは、できないね」
レイは頷く。
「最初から、そのつもりだ」
右手の刻印が、静かに、しかし確かに脈打っていた。
奪うための力ではない。
返すための、覚悟として。




