第10話 黒い砂の声
夜明け前。
レイとミナトは、街外れの古い一軒家に身を潜めていた。
誰も住んでいないはずの家。
ミナトが「安全な場所」とだけ言った場所だった。
畳の上に座らされ、レイはしばらく動けずにいた。
腕の中で、ミナトが静かに眠っている。
浅い呼吸。
胸の上下が、あまりにも弱々しい。
「……ごめん」
思わず、呟いていた。
彼女がここまで削ってまで守ったのは、自分だ。
そのとき――
レイの右手が、勝手に脈打った。
黒い砂時計の刻印。
昨夜よりもはっきりと、熱を持っている。
「……また、か」
レイは歯を食いしばり、拳を握る。
だが抑えきれなかった。
視界が、暗転する。
気づくと、レイは白い空間に立っていた。
上下も、遠近も分からない。
ただ、無数の砂時計が宙に浮かんでいる。
黒。
灰色。
ひび割れたもの。
ほとんど空になったもの。
「……なんだ、ここ……」
足元で、砂が鳴った。
――やっと、気づいたか。
声。
複数の声が、重なって響く。
「誰だ……!」
――俺たちだ。
――お前が、喰らった時間。
心臓が跳ね上がる。
レイは後ずさった。
「……そんなはずない。
俺は……俺は、助けるために……」
――分かってる。
――だから、恨んじゃいない。
一つの砂時計が、レイの前に降りてくる。
中身は、ほとんど残っていない。
――家に帰る途中だった。
――娘の誕生日でな。
映像が流れ込む。
笑う子ども。
ケーキ。
父親の手。
レイは膝をついた。
「……やめろ……」
――でもな。
――お前が奪わなきゃ、
――あの子は、もっと早く父親を失ってた。
別の声が重なる。
――俺は事故だった。
――どうせ、時間は長くなかった。
――だから、気にすんな。
声。
声。
声。
数えきれない“誰か”の人生が、
一気に胸に流れ込んでくる。
「……俺は……」
息が、できない。
――選んだのは、お前だ。
――だから、背負え。
――逃げるな。
――忘れるな。
黒い砂が、レイの足元から噴き上がる。
――そして、
――同じ過ちを、繰り返すな。
レイは叫んだ。
「分かってる!!
だから……だから俺は……!」
言葉が、続かなかった。
守りたい。
救いたい。
でも、そのたびに誰かが消える。
「……俺は、どうすればいい……」
沈黙。
やがて、ひとつの声が、静かに告げた。
――選べ。
――奪い続ける“化け物”になるか。
――奪った時間を、返す存在になるか。
「……返す?」
――可能性はある。
――だが、それは――
――お前自身の“時間”を、削る道だ。
視界が、白く弾けた。
「――レイくん!」
ミナトの声で、現実に引き戻される。
レイは畳の上に倒れていた。
額に冷たい感触。
ミナトが、濡れた布を当てている。
「うなされてた……すごく」
レイは息を整え、ゆっくりと起き上がった。
「……ミナト。
俺、奪った時間の……声を聞いた」
ミナトの手が、止まる。
「……やっぱり」
「知ってたのか?」
ミナトは、ゆっくり頷いた。
「“喰らう者”が一定を超えると、必ず通る段階。
自分が奪った命と、向き合わされる」
レイは拳を見つめる。
「……俺は、化け物になるのか」
ミナトは首を振った。
「違う。
あなたは、まだ“選べる”」
ミナトは、そっと自分の胸に手を当てた。
「私は、奪われた時間を返す道を選んだ。
あなたは……どうする?」
レイは目を閉じる。
凜の顔。
ミナトの手の温もり。
そして、声にならなかった“時間たち”。
ゆっくりと、目を開く。
「……俺は」
右手の刻印が、静かに脈打つ。
「奪ったものを、返す方法を探す。
それで俺の時間が削れても……構わない」
ミナトの目に、涙が滲んだ。
「……それは、とても辛い道よ」
「分かってる。
でも……それでも、生きたい」
外で、朝の光が差し始めていた。
新しい一日。
しかし、もう“普通”には戻れない。
レイは立ち上がる。
「行こう、ミナト。
俺たちで……答えを見つけよう」
ミナトは、強く頷いた。




