私には
「そっか。元気なんだ。うん…うん…わかった。ありがとう深白、結さんにもよろしくね」
私は電話を切ると、スマホを椅子の上の鞄にしまい込み、テーブルの上の紙コップに手を伸ばした。
こぶ茶を一杯、身体にグッと流し込む。冷たいそれが身体に染みわたり、今どのあたりを流れているのかが容易に分かると、自然と気持ちも切り替わるようだった。ふっ、と短い息をひとつついて深く息を吸い込み、心をごまかす。そしてそれを元あった場所に戻すと、私は楽屋を後にした。
紙コップの淵には、真っ赤に擦れたそれが滲みだしていた。
──科木さん入りまーす!
昼でも夜でも関係なく業界で飛び交う馴染みの挨拶を両脇に受けながら、ひとりひとりとはいかないものの、私もそれに応えるように軽く会釈を並べる。そして白ホリゾントの前に立つと、よしっ、とちいさく拳を握って勢いよく振り向いた。
「お願いします」
シャッター音に合わせて、踊るように次々とポーズを変えて。眩しいフラッシュの光にも、もうずいぶんと慣れたものだった。
途中、カットがかかるとカメラマンの横からポーチをいくつもぶら下げた女性が私めがけてズカズカと足を鳴らした。
「春さん、またですよー」
「あっ…ごめんね?」
「もう、そんな風にかわいい顔されたら誰もなにもいえませんよ」
「えー、だめ?」
「だめです」
彼女は犬にお手をするように手のひらを私の前に出すと、それを外せと催促してきた。私は渋々それに従い、右耳によく馴染んだピアスを壊れないようにそっと外して手渡す。
「子どもじゃないんですから…」
「ふふっ、大事に持ってて」
「はいはい、耳にタコができるくらい聞いてますソレ。撮影中はだめですよ、さっきの分使えないじゃないですか」
──すみませーん!大丈夫でーす!
そう右手をあげて彼女が離れていくと、私は再び眩い光の中に包まれた──。
「はい、どーぞっ」
「ありがとう」
撮影が終わると、すぐにチーフマネージャーの夕季ちゃんが先ほど預けたそれを返しにきてくれた。
「そんな顔しちゃって…大事なものなんですか?それ」
「うん、とっても」
やっと私のもとに戻ってきたそれを右耳のちいさな穴にそっと通して、そこにあるのを確かめるようにその形を指でなぞる。
「でも旦那さんからじゃないんでしょ?」
「──うん。」
「はぁ…来週の結婚式、だめですよ?それで出たら」
「だめかな?」
「冬さんがでーっかい綺麗なの用意してるんですから」
「…そっか。」
あと何回、私はこれを外さなければいけないのだろう。
あと何回、これを外せば。
私は大人になれるのだろう。
「これから式の打ち合わせですからね、着替えたらすぐ出ますよー」
「はーい」
どんなに衣装の数が増えても、どんなに表紙を飾っても。たとえ、結婚式を来週に控えていても。
心はいつまでもあのころに置いて行かれたまま。
私には、忘れらない人がいる──。