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籠から棄てられた鳥は⑤

 何だか猫に舐められてるみたいだな。

 薄い唇に唇を塞がれながら、柔らかな草の上に押し倒されているジンは呑気(のんき)にそんな事を考えていた。

 王海よりは幾分か細いが、鍛えられた熱持つ体が覆いかぶさっている……水の神気を纏った体が。

 男神の髪越しに見える天井は透きとおる結界の壁であり、その向こうには陽炎のように揺らぐ闇の空間が果てしなく続いている。

 僕が居るのを感じる……もうひとりのぼくが。

 草の上に投げ出した手の、指の先から伸びる見えない糸が結界の壁を抜けて異空間からジンの身体に力を注ぎ続ける――余りの心地良さに思考を放棄しそうになる。

 何処かから聞こえた――きらきらと光る音に、ジンは一つ、瞬きをした。

 笑い声? なんだろう……

 心地良い音に耳をそばだてる……ほんの一瞬の音は消えて、もう、聞こえない。

 不思議に思いながらも、ようやく、ジンは現実へと向き合った。

 此処は異空間――タカオ神に(いざな)われた……この子が作り上げた神境とも言える場。

 けれど、今は僕の力でいっぱいになってしまっている。

 先の戦いで、一度壊れて再生したジンの内に在る核たる部分は未だ傷付き、力を満たせず枯渇していたのだが……ここへ足を踏み入れると同時に、力を欲して、糸が伸びた――かつて〝本体〟と繋がっていた、目には見えぬ糸が。

 その先が結界の壁をを通り抜け異空間へと繋がった途端――鯨飲馬食(げいいんばしょく)たる勢いでジンの身体は力を吸収し始めた。止めどなく呑み込まれる力は一時(いちどき)にジンの核を修復し、身体いっぱいを満たして溢れ出し、濃く甘い香りを振り撒く(おおなみ)となってこの神境を……タカオ神もろとも呑み込んでしまったのだ。

 健やかならばいざ知らず、未だ完全には固まっていない仮の角から侵入したジンの力は、タカオ神の身の内深くにまで入り込んで結び付き……一時的に〝眷属〟と化して魅了の力に囚われてしまい――今に至る。

 まず、上から退いて貰わないと……どうしよう。

 両手を腹へと添えて守りながら、そう、悩んでいると……ようやく唇が離された。

 漆黒の瞳に霧がかかり、正気ではない表情のタカオ神はジンの肩を抱いてそっとその手を引き、身体を起こさせる。

 座り込むジンの前に、(おもむろ)に膝まづくと、静かに……通り名を、明かした。

 王海から、〝龍神族は誰にも通り名を明かさない〟と言う話を聞いていたジンは、戸惑いを顔に浮かべる。

 〝命令を〟と、タカオ神は機械的に言葉を発した。

 元に戻さないと。

 ジンは手を差し伸べると、その頭を――二本の軟らかな角の表面を指で(くすぐ)る。

「……ごめんね。すぐ、元に戻すからね」

 ジンが指を引くと、角の表面から輝く銀の糸が引き出され、宙にふわりと舞った。

 踊らせるように細い両腕を動かし続け、糸を()る――きらきらきらと銀の糸は空間いっぱいに広がり……これ以上ない程に広がり切ると、中心の糸口がくるくると回って形取り始めた。

 しばらくして、ようやく、タカオ神の内に侵入した力の最後の端っこをしゅるりと引っこ抜くと、見上げる――そこには輝く銀色の繭が浮かんでいた。

 その中には居る筈のない〝本体〟の幻影を映してジンの瞳が潤む。

 小さく一つ息を吐く……胸元から御神体の鏡を取り出す――飾り紐には大粒の真珠が揺れる。

「ぜんぶ……此処へ、おいで」

 愛おしげにジンが語りかける……と、銀色の繭が、空間に満たされたジンの力が、瞬時に鏡へと吸い込まれた。

 (しん)と静まり返ると、元通り……タカオ神の力が支配する異空間へと立ち戻った。

「……これでしばらく、力には困らない」

 嬉しそうに呟いて、ジンは鏡を胸元へ仕舞う。

 御神体から神身へ戻ってからと言うもの、朝な夕な、王海が口付けと共に神力を分け与えてくれたのだが、いくら与えられても足りなかった。

 身の内に宿る子らが欲したと言う事もあるが、一度壊れて再生されたジンの核――魂とも言える部分が深く傷付き、回復に多くの力を必要としたからだ。

 異空間の力を得ようにも、不安定なままでは扉を開く事もままならずに困っていたのだが、タカオ神のお陰で今、こうして力に満ち満ちている。

 ありがとう、を言おうとタカオ神を見る――相変わらず、膝まづいたままの姿勢で項垂れている。

「……済まない」

 ぽつり、小声で謝られ、ジンは小首を傾げる。

「貴女に、無礼な事を……」

「……え、と、口付けの事? あれは僕のせいだから……何ひとつ、気にしないで」

 そう言われ、タカオ神は口元に手を当てたままで首を(もた)げる……何故だか悪戯をして叱られているような表情に見え、可愛いな、とジンは思う。

「それより、話したい事が……あるんだよね?」

 しゃがんで目線を同じ高さに合わせ、ジンはにこにこと笑いながら言う――贔屓(ひき)に初めて出会った時のように。

 離した手を立てた己の膝へと置き、静かになった漆黒の瞳でタカオ神は見つめ返す。

「……流星は再び……災禍と成って、現れるか?」

 ほんとうにこの子は、自分の世界を守りたいんだな。未来(さき)の世じゃなく、今も、ずっと前からも、主神として世界を見てるんだ。

 そう、考えながら、ジンは大きく頭を左右に振って断言した。

「〝本体〟はもう、現れない」

 そっとタカオ神の手を取って、笑みかける。

「僕をこの世界に棄てて、何処か別の世界へ行っちゃった。〝本体〟は、この……君の世界には全く興味を失くした……ううん、元から興味なんて無かったんだから」

「ならば、何故……」

 ピキリ。

 小さな音が問声(といごえ)を遮る。

 突然――目の前の空間がひび割れ、ドォンと言う大きな音と共に丸く抉られたかと思うと、割れて硝子のように飛び散った。

 タカオ神は咄嗟に立ち上がってジンの上に覆いかぶさり、割れた空間の欠片からその身を守る。

「離せ! 此奴(こいつ)!!!」

 太い腕を振り上げ現れた影は激しく怒号をぶつける――それにも臆せず、タカオ神はジンの手を取ってそっと立たせる。

「王海?」

 怒りに満ち満ちた様子の王海に、ジンは首を傾げながら声をかける。

 王海は荒々しくタカオ神の体を押し退けると、ジンを軽々と抱き上げた。

「ジン!! 無事か!?」

「王海、僕は大丈夫ですよ?」

「子らにも変わりは無いか!?」

 ジンは驚きながらも腹をさすり、子どもたちにも充分に力満ちている事を確かめ、こくり、頷いた。

「子……と、言ったか?」

 眉間に皺を寄せ、すっかり何時もの様子に立ち戻ったタカオ神は王海に躙り寄る。

「何故、そのような大事な事を話しておかぬのだ、御前は」

「っるさいダマレ! 眠りの香などで眠らせて儂の女に手ぇ出す卑怯者が!!!」

 確かに王海の身体からは香の匂いがする……神力を回復させる香の匂いが。

「王海、この香り……」

「ジンは戻って休んでおいてくれんか」

 怒りを抑え、唇を戦慄(わなな)かせながら、王海はジンをそっと、壊れやすい硝子細工のように、そぉっと下ろす。

 何故かは分からないが、誤解をしている王海の怒りを鎮めたいジンは、躊躇して立ち尽くす。

「頼む……儂はもう、二度と、一族を失いたくは無い」

 顔を歪めて懇願する様子に、ジンは頷いて、王海の開けた空間の穴へと向かう。

 出る間際に振り返る……大きな狼と化した王海と、龍体化したタカオ神が対峙している。

「二度とジンに手ぇ出さんよう……思い知らせてやるわ」

「丁度良い……一度、御前の力を確かめねばならぬと思っていた」

 慌てて再度、駆け寄ろうとするが、タカオ神の目配せと共に、穴は閉じてしまう。

 扉を開けて異空間へと渡る事は出来る……けれど、そうした所で王海を余計に不安がらせてしまうだけで……それに、男同士と言うのは時に、喧嘩をする物らしいし……

 誤解を解くのは、喧嘩の後にしよう。

 そう考えて、ジンは言われた通りに寝台で少し眠り……目が覚めてからから家の中をキレイに掃除して、二神の帰りを待った。

 温かいお茶と薬草の準備をして。

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