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喧嘩の後②

 龍神の弟神――クラオ神は、兄を探してオオノ神の神境を訪れていた。

 〝王海の所へ顔を出してくる。昼には戻る〟と言ったきり、昼を過ぎてもタカオ神が戻らないからだ。

 平生(へいぜい)ならば有り得ない。完璧に日程管理を行い、弟神には報告を欠かさずに、予定が(たが)えば伝達を欠かさない兄である。

 眷属を遣わせようかと思案したが、久々に師匠に会いたいし、少しくらいなら息抜きをしても良かろう、と、贔屓(ひき)に仕事を押し付けて、自ら訪う事にした。

 兄から(おさ)の役目を譲り受け、クラオ神は眷属を率いる立場となった。それまでも兄に付き従いながら職責の半分は請け負って来た為、そうは難しくないだろう、と高を括っていたのだが……いざ(ひと)りで長の立場になってみると、どれだけ兄が厄介な仕事ばかりを請け負ってくれていたのか、身に染みる思いを感じていた。

 兄の為ではなく……正体不明の敵に襲われたとは言え、御神体へと堕とされたが故に長の間(さと)を守れなかった情けない己の為に、クラオ神は一所懸命に役を成そうと発奮する日々を送っていた。

 神境の外で(おとな)いの声を上げて暫し待つが、結界の入り口は開かない。

 ふむ、と呟いて掌を結界の壁に触れさせてみると、水面のように壁面が波打って左右に割れ、扉の形を浮かび上がらせ……開いた。

 己の神気が神境の内から漂う神気と呼応している。

 やはり兄者は此処に居るようじゃ。

 神境の主の許し無く越境すると言う事は、余程の事が無い限り禁忌とされている。

 しかし、クラオ神は躊躇もせずに開いた壁からひょいと中へ入った。

 王海の鷹揚な性格を知っているクラオ神は、叱られる事もあるまい、と軽く歩を進める。

 何時(いつ)もは力強く温かな神気に満たされているこの神境が今は少し澱んで、夕暮れもまだだと言うのにどこか薄暗く、さわさわと吹く風に葉擦れの音だけが弱々しく響く。

 兄者が(つの)を力ある宝玉に変えて師匠に与えた、と言うのも、(あなが)ち嘘では無いかもしれぬ。

 あの戦いの後で、兄から〝王海はあの女神に誑かされていたのだ〟と聞かされた。眷属を失くした心の隙間に付け込まれたのだと。そして、かの女神は〝流星禍の妖〟ではなく、その傀儡(かいらい)に過ぎぬのだ、と言う事も。

 己の腕に落ちてきた柔らかな肢体を、美しい(かんばせ)を、心地好い香を思い起こす――戦いの最中(さなか)、龍体化した己が噛み付かんと襲いかかった間際、微笑んだ女神の瞬間が脳裏に浮かぶ。

 師匠が助けに現れた途端……泣いておった。誑かされたと言うよりは、想い合っていたのでは無かろうか。

 〝流星禍の妖〟に操られ、神々を騙した責を負って自刃した女神を、憎むよりは憐れに思い、神力を奪われ御神体と化したのは己の修行が足りないせいだと猛省する。

 もし、師匠があのように美しい女神と想い合っていたのならば、失ってしまった今はさぞや落ち込んでおるのかもしれぬ。

 つらつらと物思いに耽りながら歩いていると、館の前に着いていた。

 其処でも訪いの声を上げるが、やはり応える者は無い。

 仕方なく館の戸を開け、中へ入る……途端に何処からか漂い来る不穏な気配に、眉を顰めた。

「なんじゃ、この気は……」

 その気を辿って行く……と、浴室の方で、かたり、物音がした。

 銀髪の女が、細い両腕で戸を押さえている……その戸が、不自然にがたがたと音を立てながら、開こうとしている。戸の前に置かれた盛り塩を見ると、何かを封じているようだが、ぼろぼろと崩れ落ちて床に白い光を散らし、封印は解けかけている。

 予想もしなかった状況に首を傾げると、考える間も無く、激しい勢いで戸が開き大きな音が立った。

 中から黒い霧が一気に溢れ出し女を襲う――それは、澱んだ気に群がる魍魎の屑。隙間風のような、言葉にはならぬ音が高く低く絡み合い、その場にくぐもって響く。

 クラオ神は咄嗟に己の神気を放って霧にぶつける――一つ一つは小さい魍魎だが、数が多く、全てを消し去る事は敵わない。

「下がっておれ!」

 魍魎と女の間に割って入ると、クラオ神は両腕を開いて仁王立ちで女を庇う。

 魍魎の群れは、極上の神の気に惹き付けられて、クラオ神の身を包むように大きく広がり襲い来る。

 微塵も怯む事無く、クラオ神は両掌から闇色の神気を放つ――物凄い勢いで突っ込んで来る魍魎の屑を全て逃さず、神気の網で包み込んで捕縛するが、中から突き破らんと激しく暴れる力が網を波立たせる。

 クラオ神が両掌をぐっと握り締めると、網は小さく小さく収縮して見る間に小さな点と化し、呑み込まれた魍魎もろとも消え失せた。

 後にはきらきらと光る塵が浮遊する。

 浄化を終え、すっと両腕を下ろすと、クラオ神は何事も無かったかのように浴室を覗き込む。中にはまだ、澱んだ気の余韻が残っている。

 魍魎どもが引き寄せられた澱んだ気――これは、兄者と、師匠の……血だ。

 女に事情を聞かねば、と振り返る――と、呪縛されたかのように身体が固まった。

 どういう事じゃ?

 落命した筈の、賦神が……女神が、生きて、動いておる。しかも、白い夜着を身に纏ったその姿……腹が僅かにふっくらと膨らみ……恐らくは子を、その身に宿しておる。

「有難うございます。クラオ神様」

 まるで既知の仲と言った風に親しげに歩み寄り、女神は微笑んで(こうべ)を垂れる。

 その胸元に揺れる鏡の(かたわ)らに、白い真珠が輝くのを見て取り、ますますクラオ神は混乱した。

 兄者が女神に、贈り物を? もしや腹の子は兄者の……いやいや、そんな事は有り得ぬ。なら何故、兄者は神力を宝玉に変えて贈ったのじゃ??

 何も言わないクラオ神に困惑の表情を浮かべながら、女神――ジンは口を開く。

「あの……お茶でも如何ですか?」

「茶……いや、それより……」

 くるり。

 ジンに背を向け、クラオ神は項垂れる。

「衣を身に着けてくれぬか」

 夜着のままの女神と話すなど、とてもでは無いが落ち着いては居られず、クラオ神は言う。

「わしは外に出ている故」

 はい、と応えるジンの声を背にし、クラオ神はそそくさと館の外に出た。

 やがて玄関の戸が開き、どうぞ、と声が掛けられる。

 藍鼠色の上衣に、白緑の裳裾を身に着け、簡単に結い上げた髪を翡翠の簪で纏めた姿に、クラオ神は、見蕩れるよりも安堵した。

 こうして見ると、腰高な位置からふわりと広がる裳裾が体の線を隠し、身重には全く見えない。

 こちらへ、と招く声に付き従って進む……客間へと通され、促されるままに椅子に掛けた。

 目の前に供された茶からは、安らぐ甘い香が立ち上る。クラオ神は茶には手を付けず、立ったまま控えているジンに声を掛けた。

「身重の身では辛いじゃろう。掛けると良い」

 驚いたように少し目を見開いてから、何故だか嬉しそうに微笑んで、ジンは素直に、はい、と腰掛けた。

 何から聞こうかと悩んで、クラオ神は詮索をするのは止めておこうと、本来の目的を口に出す。

「……わしは兄者を探しに来た。この館に居るじゃろう?」

 ジンは困り顔で、はい、と応える。

「僕のせいで、喧嘩してしまって……」

「喧嘩、じゃと? 兄者は何処におる?」

「二神とも傷付いて、まだ眠っていますが……お会いになりますか?」

「何? 眠っておると……」

 状況が読めず、ひとまず兄に会おう、とクラオ神はがたり、立ち上がる。

 ジンの先導で寝室へと向かい、どうぞ、と開かれた戸から中へ入る。

 広い寝台の上に、裸のままの男神が二神、並んで心地良さそうに眠っている。胸元から掛け布団が掛けられていた。

「確かに……眠っておるな……」

 見たままの状況を口に出しながら、クラオ神は兄の傍らに近寄り、上から覗き込む。

 本来、神と言う存在は眠る必要が無い。

 健やかであれば神気の流れを上手く調整し、眠る事無く己の神境を見守り続ける事が出来る。

 幼い時は兄弟共に寄り添って眠ったが、成神(せいじん)してからは互いに眠る事無く神境を守護して来た為、寝顔を見る事も無かった。

 先だっての戦の前、兄より先に目覚めはしたが、憤怒に任せ出陣を()いた為に、このようにゆるりと兄の寝顔を眺めるのは初めてであった。

 指先で少し掛け布団を下げ、胸元を見る……顕現したままの逆鱗の周りが深く濃い線となって残っているものの、傷は癒えかけている。

 その他にもまだ赤い筋が残ってはいるが、丁寧な治療が施されているようで、殆どの傷は癒えかけている。

「お主が手当てしたのか?」

 ジンは、こくんと頷いた。

「神力を使わぬように、と王海に言われたので……傷を洗って薬を塗りました」

 師匠の通り名を知っている、そして師匠が我らにも通り名を明かしている事までも知らされている。

「……腹の子は、師匠の子であるな」

 はい、と慈愛を含んだ笑みを浮かべ、ジンは腹に手を添えた。

 確かに自ら命を落とした女神が、どのように復活を遂げたのかは分からないが、その笑みを眺め、クラオ神は、良かったな、と自然に嬉しく感じる。

 そして、再び立たせてしまっている事に気付き、座るように促す。

 ジンは寝台の、王海の側へ腰掛け、微笑みながらその顔を眺めている。

 クラオ神は兄の手を握り、神力を送ってみるが、傷が余程、深いようで、反応は無い。

「起きぬのう。このまま連れ帰る訳にもいかんし……お主の治療の腕は確かなようじゃから、兄者が目覚めるまで任せて良いか?」

「そのつもりです。僕のせいで……」

「それは違うぞ」

 笑んでクラオ神は言う。

「兄者は常々、師匠と本気の手合わせをしたいと語っておった故、お主が気に病む事は無かろう」

 快活に笑むクラオ神の顔を見て、ジンは、はい、と晴れやかに笑った。

 やはり美しいな、とその笑顔に見蕩れ、クラオ神は兄が贈り物をした気持ちが分かるような気がした。

「そうじゃ、これを」

 着物の袂を探り、目的の物を取り出すと、クラオ神はジンに手を伸ばす。

 広げた両手の上に乗せられたのは、桃色の小さな巾着袋であった。

「開けてみい」

 ジンは巾着袋の赤い紐を解いて中身を取り出す――手のひらに、じゃらり、一つ乗せると、嬉しそうに、わぁ、と声を出し頬を綻ばせた。

「可愛い……これは、飾り物ですか?」

「知らぬのか。それはお手玉と言うての。順にこちらへ投げてみい」

 巾着袋の口を大きく開くと、五つの俵型のお手玉を出して眺め、それから言われた通りにクラオ神の方へ投げた。

 赤、青、黄、桃色、水色、一つ投げられるごとに左手で受け止め、一つずつ上へと投げ上げる。

 器用に五つのお手玉を左手で投げ上げては右手で受け、左手へ渡し、投げ上げては受け取りを繰り返すクラオ神の手捌きを楽しそうに眺め、ジンは子どものように無邪気に笑う。

 その、余りに無邪気で愛らしい様子に思わず目を奪われ、クラオ神の手からお手玉が溢れ落ちてタカオ神の上に雨と降った。

 小さな音を五回、とん、とん、じゃら、とん、じゃら、と立てて顔の上に落ちるお手玉に、タカオ神の眉がぴくりと動く。

「わ、スマン、兄者」

 慌ててお手玉を拾い上げる。

 五つ全てを左手に収め、手渡そうとジンを見ると、口元に手を当てて、くすくすと楽しそうに笑っている。

 愛らしいのう……

 思わずその笑顔に魅入ってしまった己に気付き、これはいかんとクラオ神は頭を左右に振った。

 師匠の奥方に見惚れるとは……いかんいかんいかん。これはわしよりうんと年若い……そうじゃ、子どもじゃ、子ども。幼子だと思う事にせねば。

 気を取り直し、左腕を伸ばすと、お手玉をジンに手渡した。

「神力を使わずに、まずは一個から、二個、三個と増やして行くと良い」

 はい、と言ってにこにこ笑いながら、ジンは手のひらの上に乗せたお手玉を眺め、軽く投げて、じゃら、じゃら、と小豆(あずき)の音を立てて遊んでいる。

「では、わしは郷へ帰る。御身、大事に、の」

 寝室を出ようと背を向け、立ち去ろうとした所に、あの、と声を掛けられ、クラオ神は振り返る。

「僕の存在を、許してくれるのですか?」

「……許すも何も、その子はこの神界の子。その母もこの神界の存在であるのは当然であろう」

 微笑んでそう告げると、クラオ神は感謝の声を背に受けながら、館を後にした。

 もうすぐ夕陽が落ちようと言う時刻、何処からかは分からないが、まだ少し、魍魎の気配を感じる。

 む、と一つ唸ってから、クラオ神は黒龍と化し、空へと舞い上がった。

 優美な体を長く伸ばしたままで神境の上空をゆるりと一巡りすると、さぁさぁと霧雨が降り始める――それは滅びでは無く慈悲の雨。

 神境の中を雨で満たして黒龍は更に高い御天(みそら)へと飛翔した。

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