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喧嘩の後①

 がたん。

 大きな音で目が覚めた。

 王海が帰って来たんだ。

 どうしてあんなに怒っていたのか考えている内に、ジンは寝台の背もたれに身を寄りかからせたままで眠りに落ちていた。

 すぐには身体を動かせず、心地良い眠気に瞼が下がる……微睡みの中、漂い来る僅かな臭気に気が付く。

 んん……これ……は……!

「血……!」

 ジンは慌てて身を起こし、寝台から足を下ろした。

 夜着のままで慌ただしく寝室を出て、臭いの元――異空間と繋がっていた書斎の扉へと向かう。

 濃くなる血の匂いに歩を速める……書斎へと続く廊下に大きな影が落ちている。

 其処には倒れ伏す男神の姿があった。

 慌てて駆け寄ると、傷だらけの王海が倒れたままで動かない――真っ赤になった口元だけが僅かに動き、小さな呻き声を漏らしている。顔にも幾つか傷があるようで、特に目の下の赤い筋は際立って見えた。

 そっとその身に触れると、びりりと痺れる痛みが走り、ジンは慌てて指を放した。

 雷に侵されて、麻痺してる……龍の雷撃を浴びたんだ。触れると子ども達にも害が及ぶ……触れちゃ、駄目だ。

 何か癒す手立てがないかと、目を閉じる……ジンの意識だけが、薄暗闇の空間へと転移した。

 其処は百目箪笥が無数に存する世界――中心に立つジンをぐるりと囲み、正方形の引出しの沢山(たくさん)付いた箪笥が隙間なく円形に配置されている。上方は歪んで見え、透明な床の下方は底無しに同じ景色が続いて見える。

 それらの引出し一つ一つには、主神の知識、そして本体の知識の全てが詰まっている。

 欲しい知識を念ずると引出しが開く――鍵がかけられて居なければ。

 王海の体から雷撃を取り除くには、どうすれば良い……?

 そう、問いを投げ掛ける……薄暗闇の中、何一つ反応する物は無い。

 しばらく佇む……引出しは開かない……

 代わりに、体の方――乳房の間から、とても温かい力を感じ、ジンは目を開けた。

 あ、そうか。

 新たな知識を得るまでもなく、答えを得たジンは襟元から手を入れ、首に掛けた飾り紐を引いた。ずるずると引っ張って胸元から御神体を取り出し、そっと王海の胸元に垂らして置く。

 その紐に着けられた真白く輝く宝玉――つい先日、タカオ神から贈られた真珠は、同じ質の力――龍神の雷の力を吸い取って行く。

 しばらく光りながらパチパチと小さな火花を散らしていたが、やがて……静かになった。

 そっと指で胸元に触れ、もう雷の気配が無い事を確かめる。

 呻き声が止んだ。

 早く回復させないと。

 王海の口元が血塗れなのにも構わす、口付けで神力を送ろうと顔を近付ける……と、大きな赤い掌に遮られた。

「王海! 気が付きましたか?」

 王海はそのままジンの頬に掌を触れさせ、琥珀色の瞳に安堵の色を浮かばせた。

「ジ、ン……」

「王海、今すぐ癒して……」

 己の手に重ねられた、愛しい者の手の温もりを感じながら、王海は僅かにかぶりを振った。

「ち、からは、使う……な……」

 何かを握っていたもう片方の手を開き、己の子らが宿るジンの腹へと伸ばす。

「……儂、は、放っ……て、おい……ても、治る……ゆ、え……ジン、は、休む、ん、だ……」

 切れ切れに言葉を絞り出すと、ゆっくりと手を下ろし、意識を失した。

「放っておける訳、無いです……」

 眉を顰めてジンは呟く。

 初め、ジンは、王海が怒る理由が分からなかった。

 自分を庇護すると誓ってくれたタカオ神と二神きりで話す――それは何の問題も無い事だ、と、深く考えずに応じた。王海は異空間に居る自分を感知出来ないのだ、と言う所までは考えが及ばないまま。

 結果、再び、王海に自分を探させてしまった――あれ程、孤独に胸を痛めている事を知っていたのに。

 日々、過分に思える程にジンに神力を与え続ける王海は、ここの所、居眠りをする事が多かった。タカオ神が訪れた時も、そうだったんだろうとジンは想像する。

 タカオ神は弱って見えた王海を癒そうとして、香を炊いたんだろうな。回復と……誘眠作用も含まれていたかもしれない。

 それを弁明しなかったのは、〝王海の力を確かめ〟ようと、(わざ)と怒らせる為だったのかもしれない。

 でも、〝怒り〟はタカオ神のせいじゃない。考えなしに王海の側を離れた僕が悪かったんだ。

 僕が王海を傷付けたような物だ……心も、体も。

 涙がじわり、滲んで零れ落ちた。

 僕は王海が好きだ。

 王海は愛をくれたけれど、僕は愛が何か、まだ、良く、分からない。

 神境の管理や術の使い方なんかは分かるけれど、まだまだ分からない事だらけで……自分はなんて未熟なんだろう。

 それでも、と呟いて、ジンは滔々《とうとう》と流れる涙を、頬に付いた血と共に拳でぐいと拭った。

「ぜんぶ、僕が治します」

 毅然とした声で……言葉で心を奮い立たせる。

 神力を使わずに癒せば良い。

 そう、考えてすっくと立ち上がると、ジンは小走りに駆け出した。

 この館が自分の住家(すみか)となった日に、薬籠(やくろう)として与えられた一室へと向かい、治療に必要な薬や道具を両腕いっぱいに持ち出すと、慌ただしく駆け戻る。

 まず、ぼろぼろになった服を剥がすようにして、少しだけ神力を使ってその巨躯を浮かせ、何とか脱がせた。

 火傷……打撲……裂傷……小さい傷、大きい傷……

 布を清水(せいすい)で浸して絞り、そっと拭いながら清めて行く。

 それから、薬液に布を浸すと、傷口の上から軽く触れるように、ゆっくりと、優しく撫でて行く。自然の草花を使い、神力を織り交ぜまながら作った万能薬だ。

 一瞬で傷が癒えるような物では無いが、どんな傷にも効き目があり、回復力を高められる。

 取り零す事無く全ての傷に付け終えるが、一息着く間もなく、横たわる体を浮かせる。この巨躯を細腕で運べる筈も無く、僅かに神力を使い、浴室へと運ぶ。

 先に準備をしておいた湯船――ぬるめの湯に薬草をたっぷりと入れてある、その湯船に全身を浸ける。

 痛そうに呻いてはいるものの、目は覚まさない。

 両腕を湯船の縁へ引っ掛けるようにし、湯の中に落ちてしまわないように神力で固定する。

「ごめんね、王海……」

 顔に付いた血を、濡らした両手で優しく拭い落としてから、ジンは王海の口を開かせた。薬瓶の蓋を開けて自らの口に万能薬を含ませると、口移しで飲ませる。

 王海が飲み下したのを見届けると、立ち上がって再度、書斎へと向かった。

 神境の内とは言え、神の血が流れたままにはしておけない、血に塗れた床を掃除しないと。

 そう考えながら、急いで廊下へと向かう。

 自分の御神体の鏡を床に見つけ、拾い上げて首に掛けながら、視界に入る物に気付く……光る何かがごろりと転がっている。

 それは小さな血肉の塊――(かじ)り取ったように断面は砕かれ、大きな美しい鱗が一つ、張り付いている。

 水の気配を感じる――龍の、鱗だ。

 そうか、タカオ神も無傷でいる筈が無いんだ。

 両手で肉塊をそっと拾い上げると、目の前の空間が揺らいでいる事に気が付いた。

 差す光に目を向けると、異空間への扉が少し開いている――指でつん、と突つくと、音もなく開いた。

 躊躇なく足を踏み入れる。

「うぅ……」

 血の臭いと澱んだ空気に呻き声を上げる。

 ぐちゃぐちゃに潰された小さな世界に、自分の神境の最後を重ねて見、感傷を覚えながら歩いていると、一層、血の臭いが濃くなった。

 折れた木々の間から視界に飛び込んで来たのは、血みどろの龍が地に落ちた姿であった。

「ああ、やっぱり……」

 龍は長い身をうねらせ、横たえたまま意識が無いように見える。

 ジンは一瞬、どうしようかと悩んでから、一旦、館へと足早に戻る。

 急いで、木桶や清潔な布、薬液、薬草の束を準備して来ると、龍の治療を始めた。

 幸い、泉は潰されずに清いままであったので、木桶いっぱいに清水を汲み、急いで龍に駆け寄る。

 胸元に大きな傷がある……逆鱗のある場所だ……

 少し手を震わせながら、ジンは思い切って清水をかけた。

 長い龍の体がびくりと震える――だが、タカオ神自身が生み出した泉の水は、傷を清め、癒して行く。

 ジンは次に、肉塊を綺麗に洗い清めると、ぽっかりと空いた胸元の傷へ、ゆっくりと埋め込んだ。

 肉と肉の触れ合う嫌な音に眉を顰めながらも、きっちりと嵌るまで、無理矢理、押し込む……龍は咆哮を上げながら、痛そうに大きく全身を波立たせた。

 慌てて逃げるようにして少し離れ、様子を窺っていると、やがて、龍は再びぐったりと身を横たえた。

 間近に近付いて胸元を良く見ると、肉塊は龍の傷を塞いで結合したようだ。

 一息つく暇もなく、ジンは木桶を持って何度も泉と龍の間を往復し、全身余す所なく水をかけ続け、傷を清めた。

 それから、王海に使った物と同じ万能薬で、傷を拭い始める。

 どんな戦いだったんだろう……とジンは眉を顰める。硬い筈の龍の鱗が何ヶ所も切り裂かれ、抉られていた。

 何とか全身に薬を塗り終えると、見覚えのある物が落ちている事に気付く。

 長い蛇のような物――龍の髭が、凄い力でねじ切られたような断面を晒して落ちていた。

 我が身を貫いた武器に、少し恐れを為しながらも、ジンは近付いて清水をかけ、清める。

 そっと指で触れてみると、戦った時のような鋭さは失われ、傷付けられる事は無さそうに思えた。

 ジンは両手で髭を持ち上げ、折れた根元に密着させて固定してみると、すぐに元通りに、結合した。

 次は万能薬を飲ませようと考えるが、龍体化したままでは飲ませられない。

 どうしようかと思案していると、うっすらと龍の目が開いた。

「タカオ神……神身に、なれない……?」

 ジンは優しい手付きで立派な(たてがみ)を撫でながら囁く。

 二度、三度、瞬きをしてから確かにジンの方を見ると、タカオ神は神身に変化した。

 ジンはその肩を何とか抱き起こして木に凭れ掛けさせると、小瓶の蓋を開け、口元へ添えた。

 意識が朦朧としているせいか、飲んで、と懇願すると、言われるままに飲み下し、そのまま、力尽きて目を閉じてしまった。

 少し安堵しながらも、ジンは泉に向かうと、そこに持ってきた薬草を全部入れた。

 神力を使ってタカオ神を運び、泉に体を浸けると、今度は館へと戻る――王海を湯船から出すと、床へ横たえさせて水気を拭った。

 指で傷という傷に万能薬の軟膏を塗って行く。

 全ての傷に塗り終えると、寝台へと運んで行き、そっと寝かせた。

 その顔を眺める事無く、慌ただしく今度は異空間へと戻る。

 タカオ神の体を泉から出して横たえさせ、王海と同じように、水気を拭い、軟膏を塗り込む治療を施すと、館へと連れ帰り、王海の隣に寝かせた。

 大きい大きい息を一つ吐いて、二神を眺める――少しは楽そうな表情で眠り込んでいる様子に安堵する。

 何となく、二神が並んで眠る姿に可笑しみを感じて小さく笑い、ちょっとおやつでも摘むように王海に軽く口付けると、ジンは後片付けに戻った。

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