第七十三話 素直な天使とそうにはなれない神様
(分かってるよ、、分かってる。)
「アヌビスは、ほんとに力が弱いな。」
「それで神様か?」
石造りの広間に響いた嘲笑。
エジプト神数名が、柱にもたれながらアヌビスを見下ろす。
金細工の装飾に身を包んだ彼らの視線は鋭く、まるで不要な存在を品定めするかのようだった。
アヌビスはただ、何も言わずに黙り込む。
拳を強く握ることも、言い返すこともない。
ただ耳の奥で、過去の自分自身の声がこだましていた。
………うるさい、、分かってる。
一番、自分が……。
―――
アヌビスが目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは木製の梁が等間隔に並ぶ、最近よく見る天井だった。
しばらく瞬きをして、胸の奥に残る重苦しさを押し込める。
ここはエルドレストの城。今はグレモリーやサマエルとともに国王代理として住み込み、しばらくこの城の職務を担当している。
「……また夢か、」
吐息とともにぼそりとこぼす。最近、嫌な夢ばかりが続く。
あの頃、他の神々に馬鹿にされていた時の光景が、夜ごとに蘇ってくるのだ。
「起きましたか? アヌビス、少し書類の整理を手伝ってもらいたいのですが、、」
落ち着いた声とともに扉がノックされる。開けるまでもなく、その気配でサマエルだと分かった。
「わかった。」
アヌビスは短く返し、身体を起こした。
「アヌビス! この後法律に関して改竄する案が国民から出てそれについて………
あ〜!めんどくさい!
人間ってほんとめんどいなぁ、」
少し経って、扉の向こうから聞こえてきたのは、グレモリーの大袈裟な嘆き声だった。廊下の向こうで頭を抱えている姿が容易に想像できる。
行くしかないようだ。
ここではアヌビスは頼られている。
馬鹿にする者もいない。
アヌビスは弱いわけではないのだ。
ただ、エジプトの神々の平均が高すぎるだけ。
「やってらんないなぁ、」
独りそう呟いて、アヌビスはベッドから出て静かに支度を整え、サマエル達のもとへ足を向けた。
ある程度の職務が片付いたころ、外の門が開く音がした。ヴァルヴィス率いる聖騎士たちが城へ帰還したのだ。
鎧のぶつかる金属音と足音が近づいてくる。
「おう、アヌビス!」
汗と土の匂いをまとったロバートが、アヌビスの肩にどんと腕を回す。クタクタの表情からして、どうやらモンスター退治の帰りらしい。
「お疲れ、ゆっくり休んでろ、」
アヌビスが軽く手を振ると、念動力がロバートの身体を包み上げ、ふわりと持ち上げる。ロバートは驚く間もなくベッドへと運ばれ、顔だけ出して大きく息をついた。
幸い、任務は誰も欠けることなく終わったようだ。
「……いつまで、ここに入れるんだろう、」
廊下に戻ったアヌビスは窓の外を眺めながら思い詰める。
この平穏をいつまで維持できるのか。
そして、いつまたあの場所──自分が嘲笑された“故郷”へ戻ることになるのか。
考えれば考えるほど胸が重くなる。
そんなとき、不意に足元に魔法陣が展開した。淡い金色の光が渦を描き、そこから静かに人影が現れる。
特徴的な片翼。頭上には白い光輪。背中から伸びる一枚の羽は、雪のように白く輝き、部屋の暗さを押し返すように周囲を照らした。
現れたのは天使・エルだった。
「よっ!」
片手を軽く上げ、意気揚々とした声で挨拶する。まるで旧友に会ったかのような気楽さだ。
「何しに来た?」
アヌビスは驚いて一瞬固まったが、すぐに平静を装って言葉を返す。
「また昔の夢見てたんでしょ?」
エルは目を細め、アヌビスの内心を見透かすように言う。どうやら完全にお見通しのようだ。
「……まぁな、…」
アヌビスは視線をそらし、額に触れる。自分でも掴みきれない気持ちが胸に残っていた。
「思い詰めない、弱くない、パパにだって頼られてるし、アヌビスにだって適材適所はあるよ?」
暗い寝室に、エルの光輪がふわりと明るさを広げる。
その光の中でエルの表情は、天使らしい柔らかい微笑を宿していた。
「それ、慰めてるのか?」
アヌビスはわざと疑うような顔をするが、その声色はどこか緩んでいた。
「まぁ?」
エルは肩をすくめ、軽く笑った。
「はいはい……」
アヌビスが小さく息を吐くと、エルは満足げに頷く。
「じゃ、帰るね、」
そう言ってエルは窓へ歩いていき、ひょいと開けた。
「え、本当にそれだけ言いにきたの?」
アヌビスは半ば呆れたように眉を上げる。
「うん! 私は、アヌビスが出来る神、いい奴だって知ってるよ。守護するもんね、死者の魂……」
エルは振り返りながら言う。その瞳はまっすぐで、冗談の色は一切なかった。
アヌビスの過去の痛みも、心の穴も、すべて理解した上での言葉だ。
アヌビスは一瞬だけ口を引き結び、目を伏せる。唯一の相談相手──エルには、隠し通せるものなど何もない。
「……帰れ。」
短い言葉だが、声はどこか柔らかかった。
「はいはい、」
エルは軽く手を振り、帰ろうとする。だが、ふと足を止め、ハッとしたようにアヌビスへ視線を向けた。
「冥界が、アヌビスの庭なんでしょ?」
「……まぁ、、いや! お前、うるせぇよ。」
心の奥に残っていた重石が少しだけ外れたような、そんな表情がアヌビスの顔に浮かぶ。
エルは満足したように微笑み、やるべき事が終わったかのように、羽をひらりと揺らしながら城の奥へと消えていった。
なにこれ?




