第五話 黒竜
「アテナ!そろそろ雨が降るから……中に入りなさい」
畑の方から、村人の声が響いた。
金髪の少女――アテナは振り返る。頬に当たる風は冷たく、空は灰色の雲で覆われていた。
「わかったぞ!」
元気よくそう返事をするとそのまま駆け足で、木造の家の中へと飛び込む。
外では、雨が地面を叩く音が次第に強まり、村全体を包み込んでいった。
だがその中に、明らかに異質な音が混ざる――低く、空気を震わせるような風切り音。
そして、地鳴りにも似た魔力の波動。
とてつもない風が、村の屋根を鳴らし、扉を軋ませた。
その瞬間――。
「グオオオオオォォォォォンッ――!!!」
雷鳴のような咆哮が空を裂き、村の者たちは一斉に耳を塞ぐ。
暗雲の下を巨大な影が横切った。
それは、竜――この地に滅多に現れぬはずの、古のドラゴンであった。
――――――――――――――――――――――
「ライト〜! スライムの餌ってある?」
勢いよくドアが開き、部屋の静寂を破った。
俺はベッドの上でゴロゴロしていたが、反射的に顔を上げる。
……まただ。ノックをしてほしいと、何度言ったことか。
だがアスは、聞く気がないのか、覚える気がないのかわからない。
《魔王がベッドでゴロゴロするな》
脳内に響く声。ヴルドの小言が、相変わらずうるさい。
「何食べるんだよ、スライムって……」
俺が呆れながら問い返すと、足元で「ぷるるっ」と音がした。
視線を下げると、スライムが丸い体を震わせ、口のようなものを開く。
「うわぁぁ〜……」
小さく愛らしい声を発したかと思えば――次の瞬間、部屋中のものを吸い込み始めた。
机の上のペン、紙、本、果てはクッションまで。
渦を巻くようにスライムの体内へと消えていく。
「お、おい!!」
俺が立ち上がって叫ぶと同時に、アスは焦った表情を浮かべ、後ずさる。
「うわ! まじか……、ごめんね〜!」
軽い謝罪を残し、アスはドアを閉めて逃げていった。
残された俺の部屋は、嵐の後のように散乱している。
本棚にあったはずの本も何冊か消えており、床はびしょびしょ。
「……え、なに、スライムってなんでも飲み込むのか?」
俺が呆然とつぶやくと、ヴルドが低く笑う。
《あのスライム……特殊だな》
どうやら、ただのスライムではないらしい。
その時だった。
屋上からシドウの声が響く。
外はまだ風が強く、声がかすかに歪んで届く。
俺はため息をついて立ち上がり、屋上へ向かった。
すでにアスもそこにいた。俺と目が合うなり、そっと視線を逸らす。
「僕悪くない……」
「なら、なぜ目を逸らす?」
「…………」
……子供か。
そんなやり取りの最中、シドウが険しい表情で遠くを指さした。
その指の先――森の向こうに、黒煙が立ち上っている。
「あそこは?」
俺が問うと、シドウが短く答える。
「あそこには、獣人族の村がある。何かあったのかもな……」
目を細めて視線を伸ばすと、煙の奥に巨大な影が見えた。
そのシルエット――翼、尾、そしてうねるような胴体。
「ドラゴンか……」
「見えるの!?」
アスが驚きの声を上げ、俺の方を見る。
別に特別なことではない。視力が良いだけだ。
距離にして三キロほど。
ドラゴンって強いのか?
俺がそう思うと、ヴルドが答えてくれた
《種類によるが、下から緑、黄、青、赤、黒、そして白だ。青まではAでなんとかなるが、赤はS、黒はSSは欲しいところだな……白はさらに強いな、》
ヴルドの声が頭の中で響く。
なるほど。格付けか。
まぁ、倒せるだろう。
俺は一つ息を整え、空に高く飛び上がる。
屋根を一瞬で越え、空気の壁を突き抜ける。
「速いわ……ライトのやつ」
地上で見送るシドウが呟く。
二人――シドウとアスもすぐに後を追った。
彼らもまた、常人とは比べものにならぬ脚力を持っている。
だから、そう遅れはしないだろう。
――風を切り裂き、雷鳴が轟く中、俺は真っ直ぐ、黒煙の向こうへと飛んでいった。
――――――――――――――――――――――
(あれ……ドラゴン、、なんで辺りが燃えてるの……)
アテナの瞳が、揺れる赤に染まっていた。
小屋に駆け込んだ直後、天を裂くような雷鳴が響き、屋根を貫いた稲妻が木材を燃やした。
轟音とともに雨が炎を叩く。だが火勢は止まらない。村全体が、まるで地獄の釜のように赤く染まっていた。
その中心に――黒き巨影。
巨体のドラゴンが、崩れ落ちた家々の間に立ち尽くしている。
その鱗は夜のように漆黒で、焦げた地面を映してわずかに紫の光を放っていた。
アテナの足元には、重傷を負い動かない村人たち。
焦げた衣服、血の匂い、煙に混じる焼けた木の匂い――その中に、彼女の“家族”の姿もあった。
見間違うはずがない。
「……お母さん……?」
小さく震える声。だが返事はなかった。
息をしていない。
現実が理解できないまま、アテナの喉が詰まる。
「来ないで……」
掠れた声でそう呟き、尻もちをついたまま必死に後ずさる。
土に手をつく指先が、雨と涙と灰で濡れていた。
だが、ドラゴンはその小さな願いを聞き入れない。
黒き瞳が彼女を見据える。
その口内に、紫の電光が収束していく。
バチバチと空気が焦げる音。
空間そのものが震える。
そして、吐き出される。
紫色の雷撃が一直線にアテナへと放たれた――その瞬間。
「危なかった!……」
風が弾けた。
アテナの身体が宙を舞い、視界が一瞬にして切り替わる。
次の瞬間には、彼女は誰かの腕の中にいた。
抱えられている。
それは、自分より背の高い青年――ライトだった。
彼の腕の力強さと、落ち着いた声。
嵐の中でもその存在は静かで、確かに“守る者”としての存在を持っていた。
アスとシドウが、炎と煙を切り裂くように後から到着する。
それと同時にお互いが、一瞬にして黒竜に攻撃をする。
だが、硬い鱗によって効いていないようだ。
「硬いな、」
シドウが声を漏らす。
俺はそんなの関係なく、二人を見つめる。
「おう、意外と早かったな!」
俺が笑顔で言うと、二人は呆れたように口角を上げる。
「……あんたが言うか?」
目でそう語っていた。
「え、誰、?」
アテナはまだ現実を飲み込めないまま、ライトを見上げる。
その瞳に、火の粉が映る。
それと同時に――心臓が跳ねた。
助けられた瞬間、彼女の中で何かが灯った。
まだ十代の少女にとって、命を救われたその青年は、まさに物語の“白馬の王子”そのものだった。
「大丈夫か?」
ライトが優しく声をかける。
その声に、アテナは息をのむ。
「はい、!」
少し高い声で、精一杯に答える。
ライトは彼女をそっと地面に降ろし、辺りを見渡す。
炎、倒壊した家、雷雲。
その中で、一本の木の枝を拾い上げた。
焦げた枝。だが、彼の手の中でそれは光を帯びる。
「二人は、生きてる村人を全て救い出して。俺はこいつを倒す。」
「はいよ、」
シドウが短く答え、すぐに行動に移る。
アスもそれに続き、燃える家々の間へと走った。
「ギャアアアァァァァッ――!!」
ドラゴンが吠えた。
その咆哮だけで、周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。
地を這うような重低音が胸を貫く。
「うるさいな、、武器強化……」
ライトが静かに呟いた瞬間、木の枝に赤い紋様が走った。
まるで金属のように硬化し、熱を帯び、魔力の光を放つ。
《どうする気だ?》
ヴルドの声が響く。
「まぁ、見てろって……一撃で決める。
“□◇“……」
その瞬間、ライトの瞳の奥でオレンジ色のような赤い光が弾けた。
木の枝を握りしめ、空気を切り裂く。
“ゴォォンッ!!”
枝が放たれた瞬間、音そのものが歪んだ。
爆風が走り、空が閃光に包まれる。
地面が抉れ、衝撃波が村を貫いた。
炎が吹き飛び、煙が逆流する。
世界が一瞬だけ無音になり――
次に聞こえたのは、自分の咳だった。
「ゴホッ、ゴホッ……けむいな……」
ライトは煙の中から歩み出てくる。
服の裾を払いつつ、眉をしかめる。
周囲は静寂に包まれていた。
ドラゴンの姿は見えない。
木の枝も、灰すら残さず消え去っていた。
どうやら、やり過ぎたらしい。
俺の瞳は、オレンジのような赤から元のシアン色に戻る。
黒いドラゴンは、地面に大の字になって倒れ込んでいた。
その巨大な翼は焼け焦げ、鱗の隙間からは紫の火花が漏れ出している。
焦げた匂いと血の匂いが混じり合い、夜気の中で生々しく漂っていた。
《やりすぎだ。というか、、お前の能力って……》
ヴルドの声が、煙の奥から静かに響く。
「内緒な、」
俺は指を唇に当てて、ヴルドを軽く睨む。
その目の奥には、何か確信めいた光があった。
俺は倒れた黒竜へと歩み寄る。
その足元には、焦げた地面がまだじりじりと音を立てている。
目の前でドラゴンが苦しげに息を吐くたび、地面に紫電が走った。
「……ゴ……ロ……ロ……」
嘆くような低い声。
それでも、その瞳の奥には怯えと痛みが滲んでいた。
俺は静かに右手を伸ばし、ドラゴンの鼻に触れる。
バフォメットが狼を連れていた。なら、俺はこのドラゴンを、配下にする。
「……小さくなってもらおうかな、」
そう命じると、ドラゴンの身体が眩い光に包まれ、急速に縮んでいく。
骨の軋む音とともに、巨体がみるみるうちに小さくなり――
次の瞬間、そこにいたのは、手のひらサイズのかわいらしい2等身キャラになった。
微かにドラゴンの面影がある。
「……なんか、ゆるキャラだな。」
俺が呆れたように呟くと、その小さなドラゴンは翼をぱたぱたさせながら、何やら喋り出した。
高く甲高い声で、意味不明な言葉を連ねている。
《ドラゴンの声に耳を傾けろ。音というか、波長を読む形でな、、》
ヴルドの助言が脳裏をよぎる。
俺は目を閉じ、波長を感じ取るように意識を集中させた。
音が、空気の揺れが形を持ち始める。
――そして、聞こえた。
「我が主人……名前!つけて!!」
「……名前、か。」
思わず頬を掻く。
まさか、こんな懐かれ方をされるとは。
「クロでいいか?」
安直すぎる気がするが、
「クロ!? クロ!クロ!いい!」
小さなドラゴン――クロは嬉しそうに翼を広げ、俺の周りを旋回した。
くるくると宙を舞い、尻尾を振りながら笑っている。
その姿を見て、自然と頬が緩んだ。
「俺の配下として、魔王の仲間としてやってけるか?」
クロは真剣な顔で、空中で一度静止し、こくりと頷いた。
「ドラゴンは負けた人の配下になるのは、全然構わない!魔王なら尚更、強い人が好きだからな!」
「……可愛いドラゴンだな、さっきとは大違いだ。」
《こいつ、ニーズヘッグじゃないか?》
ヴルドの声が一瞬だけ低く響く。
ニーズヘッグ――世界樹を蝕む黒龍。
その名を知って、俺は一瞬息を呑んだが、すぐに肩を竦めた。
「クロでいいだろ。」
そんなやり取りの最中、背後から聞き慣れた声がした。
「主人!おわった?」
アスが駆け寄ってくる。その後ろには、シドウもいた。
2人とも汚れた顔で、息を切らしている。
村は瓦礫と炎の残骸に包まれながらも、静けさを取り戻しつつあった。
俺はクロのことを伝えこの場を去ろうとしたその時、
地面に倒れていた少女が立ち上がる。
「待って!あのさ、、行く宛が無くて……あと恩返ししたい」
少女――アテナが俺の腕に抱きついた。
その瞬間、アスが目を見開き、こちらに突進してくる。
「離せ!シドウ!」
「待て待て……」
シドウが両腕でアスを押さえる。
そんな混乱の中、村の奥から次々と人々が現れ始めた。
焼け跡の煙の向こうで、すすだらけの顔が並ぶ。
「……あの、助けてくれてありがとうございます。よかったら、恩返しさせてください、」
俺は頭をかきながら、曖昧に笑った。
「おっと、、ああ……ハハ、」
気づけば、周囲には人だかりができていた。
クロが胸を張り、誇らしげに言う。
「さすが主人様!どんどん人だかりができてますね!」
「どうするの、?主人、」
「こりゃ、世界滅ぼすどころか、少し救っち待ったんじゃねぇか?」
シドウが頭を押さえてため息をつく。
俺は額を指で押さえ、空を見上げた。
――曇り空の隙間から、わずかに陽光が差す。
「……まいったな、」
そう思う俺であった...




