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第九十七話 ヴェノム

「比べさせてもらうよ。」


 ミカエルは静かに宣言すると、次の瞬間には風そのものになった。

 俺が踏み込むより早く、その身体は滑らかに傾き、拳の軌跡を正確に読み切って避けていく。

 かするどころか、風圧すら触れない。胸の奥がざわついた。


 水星を纏い、筋肉がしなる。視界が伸び、世界が遅く見える。

 火星を重ねて一撃に灼熱の推進力を加える。

 拳は閃光となり――だが。


「自分の力を無闇に使い過ぎるな。

 ちとせは、魔法に頼らなかったよ。」


 ミカエルは一歩も動かず、まるでそこが天界の中心であるかのように立ち尽くしていた。

 その周囲の空気だけ密度が違う。触れられない“何か”がある。


 《当たらないな。結界か……》

 ヴルドが冷静に告げる。

 確かに、俺の拳が滑っていく感触がある。僅かな軋みが壁を打つような。


 アスタロトの言葉が脳裏をよぎる。

 ――天界にはこの世界の魔法が通じない。


 もしそうなら、星界律で魔法を操作しても結界は揺れない。

 なら…破壊しかない。無理矢理でも。


 息を吸い、拳を振り上げた。

 血が逆流する感覚。ヴルドの能力を宿し、血液そのものを媒介に肉体を強化する。

 骨が鳴り、皮膚の内で何かが燃えた。


「ハイルさんは、ルシファーの力を無闇に使わなかった。お前はどうだ?」


 問いが矢のように突き刺さる。

 直後、俺の拳は容易く弾かれた。まるで赤子の攻撃を受け止めるように。


 地面を何度も転がり、体を起こす。

 呼吸が荒い。だが痛みより先に、心が追いついていない。


 どうしたら勝てる。

 何をすれば届く。

 わからない。まるで霧の中で手探りをしているようだった。


 ミカエルは俺の迷いを見切ったように口を開く。


「……広樹は自分を犠牲に、ワイアットを生かし、

 レゼも自分を犠牲に次の者に意思を託した。

 リリーは自分のできることを最善でやった。

 お前はどうだ? それが、、今やっていることが次に繋がるのか?

 やりたかった事はそれか?」


 その眼差しは氷のように冷たく、だが内に燃える光があった。

 俺の曖昧さを断ち切るための視線。


 俺の手は、無意識に蒼白星の柄を握っていた。

 だが、抜かなかった。

 刃を抜けば何かが終わる。

 そうではないと、ようやく気づいた。


「気づいたか?」


「……俺は、全てを捨てたかったのかも、、」


 背中に蒼白星を移す。

 そこに重みを感じても、不思議と肩は軽い。


 《何をする気だ?》

 ヴルドの声がやや強まる。

 自分でも、わからなかった。

 だが、胸の奥で何かが形になり始めていた。


 俺は、自由を選ぶ。

 そう思った瞬間、体内のざわつきが静まる。


「………視点を変えたらね。

 やめるわ、前とはまた違った自由に生きる。 これが俺の中の自由だ、」


 口にした瞬間、自分の名を宣告するように呟いた。


 ――俺は、、ヴェノムだ。


覇星開闢(はせいかいびゃく)。」


 ミカエルがわずかに目を見開く。


「お前………」


 その一言が落ちると同時に、

 世界は音を失い、静寂が森のように降りた。


まぁ、一旦これで

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