6.スクールカースト最頂点からの使者
怜奈を足場崩落事故から救出した後、特に何事も無く半月程が経過した。
朝の登校時間になると、怜奈が恋乃丞自宅前まで足を運んできて呼び鈴を鳴らすというのが、毎日の様に続いている。
もうそんなに気を遣わなくても良いからと恋乃丞は何度も諫めたが、怜奈は嫌だ、やめたくないと突っ撥ね、まるでこちらのいうことを聞いてくれそうにない。
(もうエエわ……勝手にしてよ)
恋乃丞のいい分に全く耳を貸そうとしない怜奈は、もしかすると意地になっているのかも知れない。
最初は軽い気持ちで一緒に登校しようなどと考えたのだろうが、恐らく引っ込みがつかなくなっているのだろう。であれば、本人の気の済むまで好きにやらせるしかない。
(ま、どうせそのうち飽きるわ……)
聞いた話では、怜奈の本来の通学時間は電車で片道三十分程度はかかる筈だという。その最寄り駅から恋乃丞宅までわざわざ遠回りする分、起床時間は劇的に早くなっている筈だ。
であればいずれガス欠を起こし、諦めるだろう。
後は彼女が音を上げて恋乃丞に見切りをつけてくれれば、それで良い。
(俺なんか相手にしたかて、何もエエことあらへんで……)
そんなことを思いながら今日も肩を並べて登校したふたり。
最初のうちこそ、学内でもトップクラスの美少女が凡庸な外観のぱっとしない陰気野郎と一緒になって通学している姿に驚きの視線が数多く集まったものの、最近では外野も慣れてきたのか、余り注目しない様になっていた。
だがその一方で、クラス内では不穏な空気が流れ始めている。
これだけ毎日一緒に登校していると、そろそろ噂も立ってくるというものだ。校門を過ぎて校舎玄関口内に入るまでには、多くの生徒がふたりの並んで歩いている姿を目撃する。
ならば当然二年A組の生徒らの中にも、ふたりが並んで歩いている姿を目に焼き付ける者も出てくるだろう。そうなると、嫉妬の炎が燃え広がるのは早い。
クラスメイトの男子らは恋乃丞が教室に入ると、一斉に敵意に満ちた視線を送ってくる様になっていた。
(そらまぁ、こうなるよな……)
クラスのほぼ全員は、怜奈を事故から救ったのが恋乃丞であるという事実を知らない。他の学年、或いは他のクラスの勇敢な誰かが怜奈を救ったということになっているのだろう。
実際恋乃丞は、あの事故のことについてはあまり公にしない様にと教職員や工事担当者らに申し入れていたのだから、これは当然の結果だった。
そんな恋乃丞の申し入れに対し、怜奈だけは大いに反対していたのだが、恋乃丞としては陽香と接点が出来てしまいそうな事案はなるべく潰しておきたかった。
「んもう、どうして笠貫君、そんなに謙虚過ぎるの? 奥ゆかしいにも程があるよ!」
「いや、そういう訳でもないんやけどな……俺には俺の都合があんねん」
クラスの男子連中からの恋乃丞に対する態度が余りにも悪過ぎると、憤懣やるかた無しな怜奈。そんな彼女に恋乃丞は、兎に角静かにしてくれと頼み込む毎日だった。
怜奈としては今すぐにでも事実を公表し、恋乃丞の偉大な功績を皆に知らしめたいという思いだったらしいのだが、それをされてしまうと己の存在が陽香の視界に飛び込んで行ってしまう。
それだけはどうしても避けたい恋乃丞は、警察からの感謝状も密かに受け取るだけで、公式には何も無かったことにして欲しいと頼み込んだぐらいであった。
勿論、補修工事を担当していた業者には相応の処分が下されたが、それも事故に関しては色々と情報を隠した上で措置を進めて貰っていた。
そんな訳だから、クラスの男子ほぼ全員から敵視されるのは当然の流れだった。
「ホント、うちの男子ってば見る目無さ過ぎ……どうしてあたしの命の恩人が、こんないわれも無い侮辱を受けなきゃなんないの?」
「せやからそれは、俺が望んだことやから……」
もう何日も、こんな問答が続いている。
良い加減恋乃丞も辟易し始めていたが、これも結局は怜奈が毎朝恋乃丞と一緒に登校するのをやめてくれれば済む話である。
後は彼女が早々に音を上げて諦めてしまえば、万事OKだった。
ところが、そんな恋乃丞の願いとはまるで逆行する様な事態が生じた。
いつもの様にふたりが肩を並べて登校すると、教室内が妙にざわついていることがあった。
何事かと思いながら室内を覗き込んでみると、謎のイケメンと美女がクラスの連中に対して、何やら問いかけている。
いずれも三年生らしいのだが、名前についてはよく分からない。
するとその時、陽香が登校してきた恋乃丞に気付いたらしく、
「あ、今そこに居ます」
などと、よく分からない台詞を放った。
すると謎のイケメンとクールビューティーな美女が揃って、恋乃丞と怜奈のふたりに振り向いた。
(あれ? どっかで会うたかな?)
美女の方はよく知らないが、イケメンの方には何となく見覚えがあった。
「やぁ、会いたかったよ笠貫君。俺のこと、覚えているかな?」
憎い程に爽やかな笑みを浮かべて、イケメン三年生の男子生徒が足早に近づいてきた。恋乃丞も、その声を聞いて漸く、思い出した。
「あぁ、あの時の……」
そうだ、間違い無い。
怜奈を事故から救出した時、脳震盪を起こして意識が朦朧となっていた恋乃丞を救護してくれた、あの男子生徒だった。
何とか立ち上がろうとする恋乃丞に、じっとしていろと必死に呼びかけてくれたのを今でも覚えている。
「おっと失礼、自己紹介がまだだったね……俺は三年の近本隆太郎、君が入院している最中の生徒総会で選出されたばかりだけど、生徒会長をやらせて貰っている」
「同じく、星野美夏……生徒会副会長よ」
生徒会のツートップで、しかもイケメンとクールビューティーのペア。どう見ても、M高内でも最強といって良いスクールカースト頂点だ。
そんなふたりがわざわざ、陰気なあぶれ者の恋乃丞を訪ねてきた。これは確かに大事件であろう。
「笠貫君……君がどういう意思を持っているのかは大体何となくだが、察しはついた。その上で、君に是非お願いしたいことがある。どうか今日の放課後、少し時間を貰えないか」
隆太郎の妙に熱っぽい視線に恋乃丞は何となく嫌な予感を覚えたが、しかしあの時、彼が手助けしてくれなければどの様な大事になっていたかも分からない。
恩人からの頼みを無下に断る程、恋乃丞は面の皮が厚くなかった。
「あ、はぁ……俺で宜しければ」
そんな訳で恋乃丞、この日の放課後は生徒会室へと招待される運びとなった。