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57.闇黒の職人

 恋乃丞は、と或る大病院の集中治療室前に佇んでいた。

 ガラス越しに見えるのは、ひとりの少女の痛ましい姿だった。


「恋兄さん……御免……」


 傍らで、凛三郎が涙目で俯いている。

 今、恋乃丞が凝視している意識不明の重体の少女は、怜奈だった。

 半日程前、彼女は『ヴァーミリオン』と名乗る半グレ集団に暴行を受け、瀕死の重体でこの病院に担ぎ込まれてきたのである。

 原因は、凛三郎にあった。彼は繁華街でたまたま、怜奈と顔を合わせた。

 ふたりは適当に駄弁りながら夜の街を歩いていたのだが、その道中、凛三郎はヴァーミリオンの連中が他の半グレの若い衆を路地裏に連れ込むのを目撃した。


「オイラの前で堂々とやってくれちゃって……ちょっとあいつら、軽くシメてくるよ」

「え……危ないよ、凛君! やめときなって!」


 凛三郎は怜奈の制止を振り切ってヴァーミリオンの後を追い、路地裏で彼らを簡単に叩きのめした。そこまでは、凛三郎の思惑通りだった。

 問題は、ここからだ。

 何と怜奈が、凛三郎を心配して後を追いかけてきたのである。そこで彼女はヴァーミリオンの他のメンバーに見つかってしまい、激しい暴行を受けた。

 怜奈の悲鳴に気付いた凛三郎が慌ててその現場に駆け付けると、ヴァーミリオンの連中は挑発するかの様な笑い声を残して四散していった。

 凛三郎は後悔した。何て馬鹿なことをしてしまったのだろうかと。

 そうして兎にも角にも怜奈を救わなければと、救急車を要請した。

 ここまでが、凛三郎が恋乃丞に白状した内容だった。


「オイラが……オイラが、余計なこと、しなければ……怜奈センパイが、こんな目に遭うことも、無かったんだ……」


 凛三郎は集中治療室内で昏々と眠り続ける怜奈の傷だらけの顔を、涙を流しながらじっと凝視していた。

 彼の面には激しい後悔の念が滲んでいる。

 自分の所為で、怜奈があんな目に遭ってしまった――そのどうしようもない悔いが、涙となって溢れ出ているのだろう。

 恋乃丞は凛三郎に向き直り、こっちを向けと低い声を搾り出した。

 凛三郎は涙を流したまま、表情を引き締めて恋乃丞と真正面から向き合った。

 直後、恋乃丞は凛三郎の頬を軽く張った。

 そこに怒りは無い。泣くな、気合を入れろという無言のメッセージだった。


「ヴァーミリオンは執念深い連中や。関係者全員を容赦無く潰しにかかる。このまま放っておいたら、綾坂さんの親御さんや友人知人、皆が巻き添えになる」


 恋乃丞は直ぐ近くの待合ベンチで、疲れた様にぐったりしている怜奈の両親の姿をちらりと見遣った。

 それから再び、涙を拭って強い眼差しを返してくる凛三郎に視線を戻した。


「分かっとるやろな、凛。こっからは戦争や。俺らで、あいつらを潰すぞ」

「……うん」


 この時、凛三郎の目には薙楽法忍道の使い手としての、戦士の意志が宿っていた。

 同時に恋乃丞の瞳からも、一切の感情が消えていた。今の彼を支配しているのは、我天月心流の拳士としての暗殺者の精神である。


「厳さんと小堺担当官には俺から連絡を入れる。お前は警察に手ぇ廻せ」


 この後、恋乃丞と凛三郎は病院を出た。


◆ ◇ ◆


 深夜、遠くに大通りの賑わいを聞きながら、恋乃丞はほとんど闇に近しい狭い空間をひとり歩いていた。


「笠貫君はあたしの命、助けてくれたんだもん」


 入院を余儀なくされた恋乃丞の前で、はにかんだ笑みを浮かべていた怜奈。


「迎えに来たに決まってるじゃない。さ、ガッコ行こ?」


 退院後の最初の登校日の朝、恋乃丞の自宅にまで押しかけてきて、一緒に登校しようと笑ってくれた怜奈。


「あたしさ、初めて見たよ……コントローラーの取説と仕様書貸して下さいなんていうひと」


 久々に訪れたカラオケの帰り道、可笑しそうに肩を揺らしながら振り向いた怜奈。

 彼女はいつでも、不愛想で渋い顔ばかりを浮かべている恋乃丞に、極上の笑みを向けてくれていた。

 その怜奈の笑顔が、一夜にして失われた。

 怜奈は、恋乃丞が陽香と三年ぶりの邂逅を果たす切っ掛けを作ってくれた恩人だ。今や彼女は、恋乃丞の中では最も大切な友人のひとりとして、無くてはならない存在となっていた。

 その怜奈にどんな非があったというのか。

 彼女は何も、悪いことはしていない。ただ凛三郎が心配になって、後を追いかけてきただけの話だ。全ては彼女の優しさから出た行動だ。

 それなのに、何故あんな目に遭わなければならなかったのか。

 ヴァーミリオンの報告は、以前から聞いていた。

 今のところは無関係だが、遠からず恋乃丞周辺で何か事を起こすのではないかという漠然とした不安は常にどこかで付き纏っていた。

 しかし、直接何か関りがあった訳ではなかったから、何もせずに放置してきた。

 その結果が、これだ。

 奴らの存在を、軽く見過ぎていた。

 これは恋乃丞の、予見の甘さが招いたことでもある。だから、凛三郎だけを責める訳にはいかない。

 ヴァーミリオンの始末は、恋乃丞自身の落とし前だ。

 失敗は許されない。

 この時、恋乃丞は一切の感情を捨てた。怒りも、憎しみも、後悔も、全てだ。

 ここに居るのは古式殺闘術『我天月心流』の皆伝級に達したひとりの暗殺者、殺戮マシーン。

 そして、ふと頭上を見上げた。

 黒いシルエット見せるビルとビルの屋上を、軽快に飛び越えてゆく小柄な姿があった。

 凛三郎だ。

 彼もまた、今は同じく古式殺闘術『薙楽法忍道』を駆使する闇の戦士として動いている。その動きの中には欠片程も感情の動きは感じられない。

 今宵、恋乃丞と凛三郎は標的をひとり残らず始末する闇黒の職人と化していた。

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