49.謎のスーパールーキー
ライトブラウンのウィッグを被り、サングラスで目元を隠した恋乃丞は、メイクアップアーティストの魔術師の様な手捌きによって一気に別人へと変貌していった。
その間、上谷マネージャーが契約書を手にして口早に説明を加えてゆく。
そして大方の準備が整ったところで、恋乃丞は署名欄に自らのサインを書き加えた。
「親御さんには僕の方から、事後承諾という形でひと言お詫びを添えた上で御連絡させて頂くよ」
「いやまぁ、俺の方からも後で一報入れときますから」
指定の水着に履き替えて仮設更衣スペースから出た恋乃丞に、大勢の注目が集まった。
誰もが息を呑んでいる。
完璧な肉体美に加え、スタイリストやメイクアップアーティストらによる渾身のスタイルアップが、これ以上は無いという程の男性の美をそこに現出させていた。
その場に居合わせた他の男性モデル達でさえ、敗北感に近しい称賛の視線を送ってきている。
「では、始めようか。今日は陽香とのプールサイドレジャーコーデという装いで、ペアでいくよ」
上谷マネージャーからGOサインが出た。
するとほんのり頬を上気させた陽香が、遠慮がちな微笑を浮かべてそっと歩を寄せてきた。
「宜しくお願いします……恋君、とっても、格好良いよ……」
「俺素人やし、リード頼むで」
小声で応じた恋乃丞に、陽香は本当に嬉しそうな笑みを返した。
この後、ふたりはカメラマンや撮影ディレクターからの注文に応じ、様々なポーズ、様々な表情で次々とフラッシュを焚かれてゆく。
陽香は明るい笑みを湛える女神の如く、そして恋乃丞はポーカーフェイスでほとんど表情を変えないクールな男神の如く。
その空間、その場面だけがひとつの異世界として、煌びやかな空気に包まれていた。
撮影はおよそ三十分程かけて行われたが、その間、見学のひとだかりからは一切の声が聞こえてこない。皆、恋乃丞と陽香の美しさに息を呑んでいるといった様子だった。
そうして最後のポーズ、最後のフラッシュが決まったところで、撮影スタッフや他のモデル達の間から自然と拍手が沸き起こった。
恋乃丞はこんな場面で称賛されるなど全く経験が無かった為にどう反応して良いか分からず、取り敢えず会釈を返すだけにとどめていたのだが、陽香は感極まった様子で嬉し涙を滲ませていた。
「いや、素晴らしい……完璧だったよ、ふたりとも。正直、ここまで見事な出来栄えになるなんて、僕ですら予想出来なかった……ありがとう、笠貫君、陽香」
「もう、ホントに凄かった……本当なら嫉妬しなきゃいけないとこなんだけど、ふたりの姿見てたら、何だか涙出てきちゃった」
上谷マネージャーとMayが揃って、ふたりの仕事ぶりを最大限に褒めちぎった。
他のモデル達からも称賛の声がやまず、次々と握手攻勢に呑まれてしまった恋乃丞。
先程、まるで陽香の恋人でもあるかの様な態度で彼女の腰に手を廻していたイケメン男性モデルも、完敗だとばかりに苦笑を浮かべて、これからも頑張れとエールを贈ってきた。
(何か、エラいところに入り込んでしもうたかな……)
恋乃丞はこういう業界での作法が分からず、ひたすらぺこぺことお辞儀を繰り返すばかりだったが、その時ふと、見物のひとだかりの中から笠貫組の面々の姿が視界に飛び込んできた。
彼ら彼女らは一様に感激した様子でガッツポーズを浮かべていたり、サムズアップを掲げていたり、或いは感涙の笑みを浮かべたりしている。
(いや、でもな、俺顔出しNGやから。雑誌に載っても、謎の読モAやからな)
そんなことを内心でぼやきつつ、恋乃丞はスタッフ用の休憩テーブルへと引き返していった。
するとそこに、陽香が心から幸せそうな笑顔を浮かべて恋乃丞の腕にそっとしがみついてきた。
「恋君……ありがとう……それから、御免なさい」
潤んだ瞳で熱っぽい視線を間近から送ってくる陽香。今まで見たことも無い様な情熱的な眼差しに、恋乃丞は思わず息を呑んだ。
「私、ちょっと脇が甘いとか、距離感がおかしいってよくいわれてたけど、正直よく分かってなかった……でも今日、何をしなくちゃいけないのか、何をしちゃ駄目なのか、はっきり分かったよ」
「ふぅん……まぁ、そうなんか」
恋乃丞は矢張りここでも、陽香がいわんとしていることがよく分からなかった。
しかし陽香は、それでも構わないといった様子でただ穏やかに微笑むばかりである。
「でも……それもあんまり、必要無くなっちゃうかもね。だって恋君、もう私なんかが足元にも及ばない様な、とんでもなく凄いスーパーモデルとして認められたんだもん……まさに彗星の如く現れたって表現がぴったりじゃない?」
「いやいや、顔出しNGの時点でスーパーもクソも無いやろて」
恋乃丞は驚きの表情で、うっとりと見つめてくる陽香に視線を返した。
陽香は依然として恋乃丞の腕にしがみつき、柔らかくて大きな胸を押し付けてくる。更に彼女は、上気した頬を恋乃丞の肩口にそっと触れさせてきた。
流石にここで、これ程に密着するのは拙かろう――恋乃丞はもうちょっと周りを見ろと小声で諫めたが、しかし陽香は気にしなくて良いとかぶりを振った。
「もう、ここじゃ恋君がナンバーワンなんだから……私も堂々と、いちゃいちゃ出来ちゃうんだよ」
「ちょい待ってくれ。それどんな理屈やねん」
恋乃丞はすっかり困り果ててしまったが、そこへ上谷マネージャーが苦笑を浮かべながら歩を寄せてきた。
「陽香……もう早速べったりかい?」
「はい。だってもう、恋君の方がグレードは上なんですよね? だったら私の方はもう、周りの目とかそういうの、あんまり気にしなくて良くなったってことですから」
確かにそりゃそうだと頷く上谷マネージャー。曰く、他の男性モデルに対しても、陽香はもう予約済みだから変な色目は使うなと釘を刺してきたらしい。
「予約済みて……何の話ですか、それ」
「ははは……まぁ後のことは君達に任せるよ」
上谷マネージャーは紙コップに汲んだお茶を飲み干してから、撮影スタッフとの打ち合わせに戻っていった。一方の恋乃丞、未だにべったりとくっついたままの陽香に、何ともいえぬ視線を戻した。
「あのぅ陽香さん。俺トイレ行きたいんですけど」
「あ……あ~、あははは……ご、御免ね、気付かなくて」
慌てて跳び退き、照れ笑いを浮かべながら頭を掻く陽香。
恋乃丞は小さくかぶりを振ってから、トイレへと逃げ込んでいった。




