42.残党
オフ会開始から、小一時間が経過した頃。
恋乃丞はトイレに行くと断ってから席を立った。
ここは渋谷某所の、小洒落たカフェレストラン内。
今回、智佐が所属する文芸クラスタはこの店をオフ会の会場に指定し、創作系の話題で大いに盛り上がっていた。
そんな中、恋乃丞は別テーブルに陣取る一団が余りにも露骨にこちらの様子を伺っている為、良い加減見かねてしまったという次第。
「自分ら、何してんの……」
トイレに足を運ぶ前に、たまたま知人がたむろしているテーブルを発見したという体を装って歩を寄せた。
その席には眼鏡や帽子などで中途半端に別人と見せかけている陽香、怜奈、浩太、俊之、優卯の五人が素知らぬ顔を見せながらカップを手に取っていたり、軽食に手を出すなどしていた。
が、会話らしい会話はほとんど無く、件のオフ会テーブルを監視するのに必死だった模様。
そこへ恋乃丞が心底呆れた表情で顔を覗かせたものだから、一斉に慌てて変な作り笑いを返してくる始末だった。
「あはは……恋君、楽しんでる?」
「んな訳ないやろ……公衆の面前でブサマッチョ、ブサマッチョって連呼されて、気分エエ訳ないやんけ」
乾いた笑いを向けてきた陽香に、恋乃丞は渋い表情を返した。
一方、浩太は今も尚必死な様子でオフ会テーブルを遠目に覗き込んでいる。麻奈美が語った様に、矢張り彼は智佐のことが気になって仕方が無いのだろうか。
その智佐は、ふたりの男性小説家と心底楽しそうな笑顔を浮かべて会話を弾ませている。あの様子ならば、もうすっかり打ち解けたのだろう。
智佐の人見知り対策要員として同伴した恋乃丞だが、その役割はもう終わりを告げたと見て良い。
「カサヌキ、今日も筋肉バッキバキにアピってるね……この後、アタシと遊びに行かない?」
優卯がアンニュイな表情で艶然と笑った。
陽香と怜奈が一瞬、休戦を忘れたかの如く鋭い眼光を彼女に飛ばしているが、優卯はまるでどこ吹く風だ。
「っていうか、見ててオモロイか? 同じ席に居った俺がいうのも何やけど、フッツゥ~のお食事会やで」
「でもさぁ、永山があんなに楽しそうにしてんのって、ガッコじゃ中々見ねぇよな」
俊之が素直な感想を口にした時、一瞬だけ浩太が居心地の悪そうな顔を見せた。
その浩太の変化に、陽香と怜奈、そして優卯も気付いた様子。しかし浩太は何も語らず、依然として智佐の居る方に目を向けるばかりである。
「二次会とかは無さそうやから、多分もうあと一時間ぐらいしたらお開きやろな」
それだけいい残して、恋乃丞はトイレを目指した。
◆ ◇ ◆
そしてオフ会もいよいよ終わりの時を迎えようとしていた。
恋乃丞は麻奈美に自身の支払い分である紙幣を数枚託してから再度、トイレへと足を運んだ。するとそこに、浩太の姿があった。
「笠貫君……永山さん、どんな感じだった?」
「いや、どんなも何も、自分あっこからじぃーっと見とったやんか」
用を足して手を洗いながら、不思議そうに浩太の顔を見つめる恋乃丞。対する浩太は、苦しげな表情で溜息を漏らした。
「ガッコに居る時は、あんなに楽しそうな顔、見せたこと無かったよね」
「永山さん? うん、まぁ、そらぁそうやな。自分の趣味を語れる相手が居ったら、そらぁ楽しゅうてしゃあないやろ」
その恋乃丞の応えに、浩太はやっぱりそうだよね、と更に盛大な溜息を吐き出した。
そんな浩太の反応を見て、恋乃丞は麻奈美の言葉をここで再び思い出していた。矢張り浩太は、智佐に気があるのだろうか。そう考えれば、彼の反応にも合点が行く。
「そないに気になるんやったら、自分で直接、訊いてきたらエエんとちゃう?」
「そんな、無理だよ……僕なんかじゃ、あのひと達には全然、太刀打ち出来ないって」
無力感を漂わせながら視線を落とす浩太。
恋乃丞はその姿に、奇妙なデジャヴを覚えた。そう、少し前に自身が陽香との間に感じていた、埋め難い距離感だ。
それを今、浩太が痛感している――恋乃丞には、その様に思えた。
「まぁ……自分が納得してるんやったら、俺もこれ以上はいわんけど」
恋乃丞はペーパータオルで手を拭ってから店内へと引き返した。
オフ会テーブルは既に片付けが始まっている。文芸クラスタと麻奈美は既に、店の外へ出た様だ。恋乃丞も慌てて店の扉をくぐった。
路上ではオフ会参加メンバーが輪を作り、解散の挨拶を進めていた。が、どうにも雰囲気がおかしい。
よくよく見ると、智佐の姿が無い。否、彼女だけではない。どういう訳か、男性小説家のうちのひとりもどこかへ消えていた。
聞けば、智佐が急に気分が悪くなったからということで、その男性小説家が彼女を駅まで送っていったというのである。
恋乃丞は眉間に皺を寄せた。余りに、不自然だ。智佐が頼るとすれば麻奈美や恋乃丞であって、今日初めて会ったばかりの、然程親しくもない年上男性に身を委ねる様な真似はしないだろう。
麻奈美も相当な不信感を抱いているらしく、怪訝な表情を恋乃丞に向けてきた。
(くそ……嫌な予感が、変な方向に当たってしもたか)
この時、恋乃丞は他のオフ会メンバーに気付かれぬ位置で自身のスマートフォンを見た。
実はこの日、恋乃丞はもしもの場合に備えて、今回オフ会に参加する初対面の相手全てに対して、強制ペアリングを実行していた。
何も無ければ、初対面五人のデータは全て破毀するつもりだったが、最早そんなこともいっていられない状況になりつつあった。
「まぁ、後で連絡取っときます。今日はありがとうございました」
尚も戸惑う文芸クラスタの面々に対し、恋乃丞は表面上は何事も無い風を装って挨拶だけを述べ、すぐにその場から離れた。
恋乃丞の後に、麻奈美も慌ててついてくる。ふたりは、たった今店を出てきたばかりの笠貫組と合流した。
「小倉、一緒に来い。緊急事態や」
浩太は何が何だか分からず、ただ戸惑うのみ。
しかし他の面々は恋乃丞が見せる緊張感に何かを察したのか、一斉に表情を硬くした。
(まさか、こんなところに残党が居ったなんてな)
恋乃丞が己のスマートフォンで確認した、強制ペアリングによる抜き出しデータのひとつ。それは余りに危険で、緊急を要する内容だった。
智佐を介護して送っていったという男性小説家は、以前恋乃丞が叩き潰した、H大映画研究同好会の元メンバーだったのである。
そして現在、智佐とその男性小説家は、同じ位置を示しながら一緒になって移動している。
その行く先はラブホテル街だった。




