25.内閣官房直属護衛士候補生
一冊読むと、他も気になる。
帰宅後、恋乃丞はラニー・レイニーの出版社のホームページを開き、バックナンバー購入の手続きを取った。それも過去一年分に遡って。
凝り性の気があることは自覚していたが、ここまでだとは恋乃丞自身、全く思っても見なかった。
が、気になるものは仕方が無い。
これまでに陽香がどの様な仕事ぶりを見せていたのか、雑誌の上での彼女は日常とどれ程に異なる表情を見せてきたのかという点に、凄まじく興味を惹かれた。
幼馴染みではあるが、彼女にこんな知られざる一面があったとは――といっても、知らなかったのは恋乃丞ばかりで、周りは知っていたということだから、少し情けない気がしないでもなかったが。
そして最近の通販は恐ろしく対応が早いということを以前からちらほら聞いていたが、ラニー・レイニーのバックナンバーが十二冊、その翌日には届いていたものだから、仕事が早いと密かに感心してしまった。
(まぁ新しく作るモンやのぅて、既にあるモンを発送するだけやから、そら早いか)
そんなことを思いながら自身の部屋に放り込まれていた厚手の小包を開封すると、そこで思わず手が止まってしまった。
最初に出てきた一冊の表紙に、いきなり陽香の極上の笑顔が躍っていたからだ。
(うわマジか……そらぁ有名にもなるか)
テレビやネットで全国的に名が売れている芸能人ではなくとも、雑誌の表紙を飾ったとなれば、M高内で有名になるのは当然の話だった。
そしてその事実を知らなかったのだから、己のあぶれ者レベルが段違いに酷かったことを今更ながら痛感せざるを得ない。
(まぁ陽香本人とも三年、ずっと疎遠やったし……)
それでも矢張り、何となく後ろめたい気分が強烈に込み上げてきた。心が離れていても、知ってさえいれば応援ぐらいはしてやれたものを、という後悔だった。
(今からでも、推す様にしとくか……)
己の情けなさにがっくり項垂れつつも、まずは隣人として、幼馴染みとして陽香を応援してやろうと改めて思い直した。
と、その時だ。
玄関先に一台の黒塗りの高級車が停まるのが窓越しに見えた。陽香を送ってきた雑誌社のマネージャーか何かかと思ったが、しかし停車したのは恋乃丞の自宅前だ。
ということは笠貫家への来客だろうか。
いや、間違い無さそうだ。
車内から出てきたスーツ姿の男性四人は、当たり前の様に笠貫家の呼び鈴を鳴らし、そして当たり前の様に父の天善が応対に出ていった。
(オトンの仕事関係のひとやろか)
この時点では全く他人事として考えていた恋乃丞だが、それから数分後に、天善が二階に上がってきて恋乃丞をリビングに呼んだ。
「お前にお客さんや」
まさかと息を呑んだ恋乃丞。
先程来訪してきた四人の目的が、まさか自分だったとは夢にも思っていなかった。
しかし天善は全く緊張した素振りも見せていない。元々豪胆な父だからというのもあるが、どうやら顔見知りらしい。
ともあれ、恋乃丞は天善に連れられて一階リビングへと向かい、そこで総立ちになった四人のスーツ姿から丁寧な挨拶を受けた。
そして恋乃丞がダイニングテーブルの一席に就くと、代表者と思われる品の良い中年男性が名刺を差し出してきた。
「私、こういう者で御座います」
そこには小堺直樹という名と、内閣官房付特殊人事調整担当という役職名だけがシンプルに記されていた。
つまり、この四人は政府の高級役人という訳だ。
そういえば天善は、我天月心流の継承は総理官邸主導の国策のひとつだといっていた。だから父は、政府の役人を相手に廻しても然程に緊張した様子を見せていないのだろうか。
様々な疑惑が一気に湧き起こってきた恋乃丞だが、そんな彼に対し小堺担当官は穏やかに問いかけてきた。
「恋乃丞君、君は将来、国の為に働く意思はありますか?」
いきなりのストレートな声に、恋乃丞はすぐには言葉が出て来ない。
過日天善が、恋乃丞の将来は総理官邸にあるかも知れないなどと嘯いていたが、それがいきなり、こんな形で迫ってくることになるとは。
しかし、興味が無いといえば嘘になる。己の技が、肉体が、経験が大きな場面で活かせるというのであれば、是非その世界に飛び込んでみたいという想いがあるのも事実だった。
「……はい、可能であれば」
恋乃丞は素直に頷き返した。
「それは良かった。君の学力なら公立、いや、国立だって狙える。学業上での箔をつけた上で、一流の護衛士として我々の仲間になって頂けるなら、大変心強く感じます」
すると小堺担当官は傍らの年若い部下と思しき男性に、一枚の書類を差し出させた。
内閣官房直属護衛士候補生承諾書と記されたその書類は、既にほとんどの事項が記入済みとなっている。
後は、恋乃丞が自筆で己の名を記入するだけで良い段階にまで纏められていた。
手に取った恋乃丞は、幾らかの驚きを交えつつ、その文面にじっと見入った。
「官邸及び議会の承諾無しに戦闘技能の行使を可能とする……これ、さらっと書いてますけど、恐ろしい一文ですね……」
「その意味が分かって貰えただけでも、十分な収穫です」
小堺担当官はいう。
恋乃丞が私利私欲の為ではなく、そして公序良俗に反しない意思を持って行動するのであれば、官邸は多少の人権侵害には目を瞑るというのである。
「君が本当の意味で悪に対処する為に力を行使する限りは、警察や司法は、君の邪魔をしません」
ごくりと喉が鳴った。これはとんでもなく恐ろしい免罪符だ。一歩間違えれば、恋乃丞は歯止めの利かない独善の怪物へと堕ちてしまう。
そんな恋乃丞の危機感を察したのか、小堺担当官は、飽くまでも人道上の正義に力を行使する場合に限ると念を押してきた。
「その権限は万能ではありません。また警察や司法が目を瞑るといっても、それは飽くまでも、彼らの目の見えないところで君が力を行使する場合に於いて、です。公衆の面前で堂々と不要な攻撃力を発揮してしまえば、彼らは容赦無く君を断罪します」
「……それで十分です」
恋乃丞には、自信があった。
我天月心流は暗殺術だ。
痕跡を残さずに標的を始末することなど、彼にとっては遊びの様なものであった。




