14.真実を理解した瞬間
恋乃丞は、思い出した。
(あぁ、そうか)
あの時も、同じだった。今と同じ、化け物を見るかの様な恐怖に満ちた眼差しだった。
(俺は、とんでもない勘違いをしとったんやな)
漸く理解した。
自分が、最初から間違えていたことを。
今、恋乃丞の足元には何人もの男達が泡を吹いて気絶している。いずれもH大映画研究同好会を名乗る犯罪紛いのヤリサー連中だった。
ここは駅前商店街から路地裏を進み、夜の工事現場に三方を囲まれたひと気の無い薄闇の中。
陽香と、その陽キャの友人達が危うくクソみたいな奴らに蹂躙され、身も心もずたずたにされるところだったのを、ほんの数分前に恋乃丞が全員助け出した。
恋乃丞は黒いスウェットジャージの上下に、黒の目出しニット帽といういでたち。しかし彼のこの装備を、陽香は知っている筈だ。生徒会室で恋乃丞が丈倫に一式揃えてくれと頼むのを、彼女も聞いていた。
だから今、ヤリサー共を全員叩きのめした者の正体が恋乃丞であることを、陽香が気付かない訳がない。
恋乃丞がこのふざけた連中を始末しなければ、陽香と、そして彼女の友人であるふたりの女子生徒は間違い無くレイプの餌食とされていたことだろう。
そして陽香と一緒に居たふたりの男子生徒は、数人に囲まれて少し殴られた程度で腰砕けとなり、陽香とふたりの女子を救い出そうという気概も見せなかった。
そこへ飛び込んでいったのが、恋乃丞だった。
我天月心流の打撃技を駆使して次々と気絶させ、更には股間に鋭い手刀を打ち込み、茎血衝による地獄の苦痛をひとり残らずその身に刻んでやった。
これでもう、H大映画研究同好会はヤリサーとしては機能しなくなる。性的興奮を覚える度に、死んだ方がましだと思えてしまう程の激痛が襲い掛かることになる。
だから、特命巡回役員としての最初の任務は無事に完了した訳だ。
達成感を覚えて然るべき状況だった。
しかし今、恋乃丞を襲う虚無感と脱力感、そして後悔の渦は一体何なのか。
否、原因は分かっている。
陽香だ。
恋乃丞はたった今、己の手で救出した筈の幼馴染みの美少女から恐怖と嫌悪の視線を叩きつけられていた。
彼女は壁際に尻餅を付き、自身の体を抱きすくめる様な格好で僅かに震えていた。そんな陽香を抱き締め、元気づけてやりたいと思った。
だが、出来ない。
今、陽香が恋乃丞を見る瞳の中にはひたすら拒絶の色しか浮かんでいなかった。
三年前、恋乃丞が彼女に告白した上級生をストーカーだと判断し、完膚なきまでに叩きのめした。
あの時も陽香は今と同じ様に、恐怖と嫌悪の眼差しを恋乃丞に向けてきた。
(同じや……あの時と全く同じや……俺は、何ひとつ分かってへんかった。陽香のことを分かってるつもりで、結局何も理解しとらんかった)
きっと陽香は徹底して暴力を嫌い、憎み、蔑んでいるのだろう。
恋乃丞の力を、誰よりも拒絶しているのだろう。
(幼馴染みやから何でも理解してくれるなんてのは、俺の思い上がりやったんや)
自分を救ってくれた者に対してさえ、これ程の嫌悪に満ちた目を向けてくるということは、つまりはそういうことなのだ。
恋乃丞は陽香という少女を、見誤っていたのだ。
(俺が守ってやるとか、ようそんなこと、気安ぅいえたもんやな……俺どんだけキモい奴やねん)
自分自身に呆れてしまった。
(けど、これでよぅ分かったわ。俺は陽香の前に居ったらあかん奴や)
恋乃丞は踵を返した。
◆ ◇ ◆
大通りに戻り、商店街を抜ける。
目出し帽を脱ぎ、ポケットに突っ込んだ。この時の恋乃丞の目は、いつも以上に感情が無かった。もう何をも考える気になれなかった。
すると、後ろから駆け寄ってくる足音が近づいてきた。
「恋君……待って、恋君!」
陽香だった。
しかし、振り返る気にもなれない。恋乃丞は無視してひたすら歩き続けた。
その恋乃丞の前に、陽香が息を切らせて廻り込んでいた。
「恋君、お願い、待って! 私の……私の話を、聞いて!」
「別に話すことなんてあらへんよ」
涙目になって顔を上気させている陽香の脇をすり抜けて、恋乃丞は尚も前に進み続けた。その恋乃丞の腕を、陽香が掴んできた。
「駄目! 逃げないで!」
「逃げてるんやない。お前が俺を追い払っただけや。手ぇ放せ」
恋乃丞は陽香の手を振り払った。
陽香は愕然とその場に立ち尽くしている。恋乃丞は感情を失った目で振り返り、陽香の後方を指差した。
少し離れた位置に、先程恋乃丞が救出した陽香の友人の男女四人が、戸惑い気味に佇んでいるのが見えた。恋乃丞が指差しているのは、その四人だった。
「あいつらが待っとる。さっさと行け」
「だから、どうして?」
美貌が泣き顔に崩れている。しかし、そんな陽香に恋乃丞は冷たくいい放った。
「ほな達者でな、桜庭さん」
再び陽香に背を向け、上背を丸めて歩き出す恋乃丞。
陽香はその場にしゃがみ込み、低い嗚咽を漏らし始めた。
(もぅエエわ……俺には幼馴染みとか友達とか、そんな奴は最初から居らんかった。単純にそれだけの話や)
奥歯を噛み締めた。
涙が溢れそうになった。しかし、耐えた。
所詮、自分はそういう存在なのだ――あれこれ考えず、そう思うことにした。