10.やせ我慢こそ我が人生
随分と日が長くなってきた。
もう17時は過ぎたというのに、まだまだ明るさが残っている。
夕刻、恋乃丞と陽香は斜陽を浴びながら下校の途に就いていた。
ふたりはただ肩を並べて歩いているだけで、特段これといった話題を口にすることも無い。関係が断絶していた三年間、お互いに住む世界が違い過ぎたのだから、これは仕方の無い話であろう。
時折陽香が、小学生の頃の思い出を口にして、それに対して恋乃丞が相槌を打つといったことが何度かあったが、それもそう長くは続かなかった。
そんな時、陽香がふと何かに気付いた様子で前方を指差した。
「あ、ちょっとコンビニ寄ってかない?」
「暑いし、アイスでも食うて帰るか……」
ふたりは自宅近くのコンビニエンスストアへと立ち寄り、のんびりと店内を見渡す。
「子供の頃は、よく一緒に買い物に来てたっけ」
「今でも十分子供やけどな、俺ら」
などといいながら、飲料コーナーやその周辺をうろうろとしてみる。
しかし陽香がいう様に、小学生の頃はふたりで連れ立ってコンビニに足を運ぶことが珍しくなかった。それがいつからか機会がどんどん減っていき、今ではこうして一緒に入店するのも珍しい。
勿論、あの三年間という溝があったことが一番の要因だが、どうもそれだけではない様な気もする。
「あ、恋君それ好きだね」
「自分かて、ひとのこといえんやろ」
恋乃丞と陽香は、小学生の頃からよく食べていたアイスをそれぞれ手にしてレジへと並んだ。
そして店外のゴミ箱横で早速袋をこじ開け、懐かしの味を賞味する。こうしてふたりでアイスを買い食いするのも何年ぶりだろうか。
それにしても、話題が無い。
高校入学後、恋乃丞はずっとひとりで居続けてきたから、誰に何を語ることも無かった。沈黙に慣れ過ぎていて、こうして自分以外の誰かと同じ時間、同じ空間を共有することなど余りに久し振りだった。
陽香も何かいい出しそうな様子を見せては、ふっと押し黙るという仕草を何度も繰り返している。恐らく彼女もどんな会話をすれば良いのか分からず、迷っているのだろう。
(ほんなら俺の方から陽香の世界にちょっと踏み込んだろか……)
漠然と陽香の横顔をチラ見していた恋乃丞は、腹を括った。
「学校、楽しいか?」
「あは……何それ? 一体どんな質問?」
陽香は虚を衝かれた様に一瞬ぽかんとしてから、小さく笑い出した。まるで親が子に投げかける類の質問だと妙にウケている。
しかし恋乃丞は余り深く考えずに次の台詞を放った。
「彼氏は何人ぐらい居んねん」
「え……?」
何気なく訊いてみた恋乃丞だったが、陽香はどうしてそんなことを訊くのかといわんばかりに訝しげな表情をその美貌に張り付けた。
対する恋乃丞は、そんなに驚くことかと何の気なしに返した。
「お前ぐらいのレベルになったら、別におかしい話ちゃうやろ。エエから、教えといてくれ。またあの時みたいに要らんことして、お前泣かせたぁない」
名前と顔さえ把握しておけば、要らぬちょっかいを出さずに済む。
陽香の学生生活を邪魔しない為には、どの面子から距離を取れば良いのかを知っておく必要があった。
ところが陽香はアイスを口に運ぶ手を止め、ぼんやりと視線を落とした。
「何で……私に彼氏が居るなんて、思うの?」
「いや、そら居るやろ。それがお前らの世界の常識なんとちゃうんか」
今更下らないことを訊くなと恋乃丞は肩を竦めた。
ここで陽香は、どういう訳か大きな溜息を漏らした。
「恋君……私、彼氏なんて居ないよ」
「お前、それ正気でいうてんのか?」
恋乃丞は愕然として、陽香の余りに整った完璧な顔立ちを真正面から凝視した。
「陽香、悪いことはいわん。彼氏のひとりやふたりぐらいは作っとけ。取り敢えずオトコが居るってなったら、変な奴に絡まれたりもせんから」
「だったら……」
この時、陽香はどういう訳か幾分怒った様な顔つきでじっと恋乃丞の目を見つめ返してきた。その瞳の奥に色々な感情が揺れ動いているのが見えた気がした。
「恋君が……私の……彼氏に、なってくれたら良いじゃない」
「お前、何寝ぼけたこというとんねん」
恋乃丞はやれやれとかぶりを振った。今日の陽香は、何かがおかしい。生徒会室での、あの涙の告白が彼女の心に変調を来たしているのかも知れない。
「お前の好みは、あの何とかいうイケメン俳優みたいな顔やって前いうとったやろが。俺がブチのめしたあの時のアイツかて、よう見たらその俳優に似とったぐらいやし」
畳み掛ける恋乃丞。
対する陽香は、妙に辛そうな表情で視線を落とした。
だが、これは事実だった。陽香は自身が相当な美貌の持ち主だけあって、綺麗な顔立ちの男が好みだ。それはかつて恋乃丞が他ならぬ陽香自身から聞き出している。
そして彼女は、こうもいった。
「私、恋君みたいな不細工だけは絶対、彼氏にしたくないから」
あの台詞を耳にして以来、恋乃丞は小さな頃から陽香に対して抱き続けていた淡い感情を一切、封じた。自分が陽香を恋の対象として見ることで、彼女を怖がらせ、傷つけてしまうと考えたからだ。
自分みたいなブサメンは、陽香ほどの美人には似つかわしくない。相応しくない。絶対に釣り合わない。
ならば彼女への想いは一切捨てるべきだ。それが恋乃丞が己に下した結論だった。
それを今更覆せといわれても、納得出来る筈が無い。
「まぁ兎に角や、エエ加減オトコ作っとけ。お前守ってくれる奴が居らんかったら、俺の方が心配で頭おかしゅうなるわ」
真剣な面持ちで説き伏せようとする恋乃丞に対し、陽香は依然として辛そうに面を伏せるばかりだ。
と、その時、恋乃丞は通りの向こうから賑やかな集団が近づいてくるのに気付いた。いつも陽香の周囲に群がっている、同じクラスのイケメンやら美少女やらの陽キャ連中だった。
流石に、自分が陽香と一緒に居るところをあの連中に見られるのは拙い。恋乃丞自身はただの陰気なあぶれ者だから失うものなど何も無いが、陽香には打撃が大き過ぎる。
「陽香、お前の友達がようけ来たわ……俺はもうさっさと帰るけど、さっきいうたことは真剣に考えとけよ」
「あ……恋君……!」
呼び止めようとする陽香の声を振り切って、恋乃丞は足早にコンビニ前から離れた。
すると程無くして、
「あれー? 桜庭じゃん。何してんの? あ、今からカラオケ行かね?」
「陽香ぁ~、何食べてんのそれぇ? アイス?」
などと、教室に居る時と同じ様な騒がしい声が連鎖する。それらの耳障りな喧騒を背中の向こうに聞き流しながら、恋乃丞はひたすら暗がりになる位置を探して歩いた。
(せやけど、思った以上に中々キツいわ、これ)
陽香から距離を取りながら、恋乃丞は奥歯を噛み締めた。
(あいつにああいうたけど、好きな子に彼氏作れなんてな……俺どんだけドMやねん)
恋乃丞、実はまだ陽香への想いを完全には断ち切れていなかった。それだけに、さっきの会話は自分の心臓に刃を衝き立てる様な辛さがあった。
(けど、ここは耐えどころや恋乃丞……ブサメンの人生なんて、我慢してなんぼや。俺ら最底辺には、やせ我慢がお似合いなんや)
大勢の仲間に囲まれて幾分困った様な笑みを浮かべている陽香を遠目に眺めてから、恋乃丞はぎりぎりと奥歯を噛み鳴らしながら家路を急いだ。