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●入学式


 ――考え事をしている内に、どうやら僕は眠っていたようだった。


「タカシ! そろそろ到着よ。もう、キリンがどうしたのよ? 寝ぼけちゃって……」


 お母さんが呆れたように、笑いながら僕を起こしてくれた。全く覚えていないが、どうやら僕は、変な寝言を言っていたらしい。照れ隠しにあくびをしながら、窓の外を眺めていると、タクシーはレンガ作りの立派な門を通過し、いかにも学校という形の建物の前に止まる。


 ここが山校か……僕は息を飲んだ。


 比較的最近に校舎を建て替えたらしく、古さは全く感じさせない。新しい綺麗な校舎だ。昇降口の前は広く、まるでちょっとした駅のロータリーのようだった。

 誰かわかない人の銅像も建っている。校舎の正面には満開の桜の木が並んでおり、奥には寮だろうか? いくつか校舎ではない建物がある。


 振り返ると、町が一望できる風景が広がっていた。山ノ上学園という名前だけはある。昇降口の前には、大きな白い立て看板が置いてあり、筆文字で入学式と書かれている。


 いよいよ、本当に山校に来たんだ。覚悟を決めないと! ミキキとの約束だし!


 大きく深呼吸をして、僕だけがタクシーから降りた。


 この学園の入学式は、たとえ親族でも参加出来ないらしい。親元から離れて、完全な集団生活の中での教育がどうとか……。ちょっと怪しい宗教みたいで怖い感じだが、有名な私立高校なので大丈夫だと思う。

 お母さんは入学式で、特待生として紹介される僕を見たがっていたけど……。もし、そんな紹介があるなら親族が参加出来ないってのは、ありがたい事だ。人前に立つなんて考えただけで気を失いそうになる……。


 僕は、ほぼ白いクリーム色のジャケットに白いワイシャツ、ワインレッドのネクタイをしていた。ズボンはグレーだが、よく見ると細かいチェック柄になっている。これが家に送られてきた制服だ。特待生だと制服まで用意してもらえるらしい。


「タカシ! ネクタイ曲っているわよ!」


 そう言って、お母さんはタクシーの窓から身を乗り出して僕のネクタイを直そうとする。


「ありがとう、でも自分で直すよ」


 僕はお母さんの手を振りほどき、自分でネクタイを直す。中学の時は学ランだったのでネクタイなんてした事が無く、まだ上手く結べない。風が強く、ネクタイが手元で暴れる。


 何なんだろうな~ このネクタイって奴は……。


「しっかりね! とりあえず、今日1日を笑顔で終われるように頑張りなさい!」


 お母さんはそう叫んで、手を振りながらタクシーで帰って行った。


 しっかり……か。僕は携帯を取りだして液晶を眺める。圏外みたいだ……本当に隔離されているんだな……。


 時間を見ると、既に9時40分だった。確か入学の案内書には10時半頃までに入学式に参加するようにと、曖昧な書き方がされていた。


 まぁ、充分間に合うだろう。


 受付があると案内書には書いてあるが、そんなものは見当たらない。それに、他の生徒がいないものおかしい……。案内の人も誰もいない……。来るのが早すぎたという事もないと思うけど。


「おはよう! テンくん! 会いたかった!」


 え? 強い風の中、かすかにそんな言葉が聞こえた気がして振り返る。だけど、辺りを見渡しても、桜の花びらが舞い踊っているだけだ。空耳だったのだろうか?


 瞬く佇むも、我に返り校内に走り込む。急がないと。


 たしか、すでに下駄箱の番号が決まっていて、その中に外履きを入れるのだけど……。何番だっけかな~? 僕は入学案内の紙をカバンから取り出した。えっと……32番か。


 スチール製の下駄箱はロッカーのように扉がついている。僕は32番のシールが張られた下駄箱の扉を開き、中に靴をしまい、持参した上履きを履く。


 昇降口から入って下駄箱を抜けると左右に廊下が伸びていて、正面には手洗い場がある。その手洗い場の左右にはトイレの入り口があった。向かって右が男子トイレ。左が女子トイレだ。男子トイレの右には上りの階段がある。


 名門校だから廊下が絨毯だったり、壁が大理石だったりするのかと思っていたけど……思いのほか普通だった。少し拍子抜けする。


 それにしても、入学式の会場はどこだろうか? 体育館だったと思うけど……。


 辺りを見渡しても、やはり案内の人どころか、生徒も誰も居ない……。


 このまま直接会場にいくのかな? 荷物を持ったまま? まだ自分の教室もわからないし、何もわからない。


 僕はトイレの前でオロオロと辺りを見渡す。トイレに向かって右に進むと3年生の教室が並んでいる。左に進むと保健室に職員室だ。


 どちらだろう? 職員室の先は行き止まりに見える。少し考えて、僕は右に進む事にした。


 大体、案内の人も居ないなんて……。いや、生徒だって見ていない……。本当に今日、入学式をやるのだろうか? 


 僕は、不安になりながらも長い廊下を歩いて体育館へ向かう。左手には3年生の教室が1組から5組まで続いている。


 たしか上級生は1週間遅れて始業式だと案内の紙に書かれていた。なので今日は校内には、入学式に参加する1年生しか居ないとの事なのだが……。


 それにしても人が居なさすぎる! ひょっとして時間を間違えたのかな?


 もう一度、案内の紙を取り出して時間を確認するが、やっぱり10時半頃に来てくれと書かれている。「頃」ってのが曖昧だけど……。


 3年生の教室を通り過ぎると目の前に上りの階段があり、廊下は左に直角に曲がっている。階段を塞ぐように立て看板が置いてあり、体育館はここを左と書いてあった。


 良かった! こっちで合っていたみたいだ。左に曲がると、またしばらく廊下が続いて理科室や音楽室などが並んでいる。しかし、本当に誰も居ない……。


 僕はいよいよ不安になって立ち止った。すると、後からドタバタと足音が聞こえてくる。振り向くと同時に、廊下の角から女子が飛び出してきてぶつかりそうになった。


「うわ!」僕は思わず声を上げた。

「きゃっ、ごめんあそばせ!」


 そう言って僕の横を、髪の長い女子が走り抜けていく。


「ま、待ってください~! アヤお嬢様ぁ!」


 さらに後から叫び声に近い女の子の声が聞こえた。再度振り向くと、眼鏡を掛けた女子が、僕に向かって飛びかかってくる。


「え? え? う、うわっ!」


 その子は僕の腰に両手を回し、いきなり抱きついてきた。その状況に僕は完全に固まる。


「ハァハァハァ……」


 眼鏡の子は肩くらいの長さの髪を弾ませながら、僕にしがみつき息を切らせている。やわらかな感触に押しつぶされそうになり、僕は後ろに倒れそうになるのを我慢する。


「つ、捕まえましたよ! アヤお嬢さ……え? あれ?」


 ここでやっと眼鏡の子と目があった。


「あ、あの……」


 僕が喋る前に悲鳴が鳴り響く。


「きゃ! きゃ~!!」

「う、うわ~」


 僕は思いっきり突き飛ばされて後頭部を廊下に打ちつけた。


「い、痛たた~!」


 後頭部をさすりながら目を開けると、さらに僕はパニックになった。


「え? し、白? うわっ!」


 仰向けで倒れている僕の視界の中に、突然スカートの中身が飛び込んで来たのだ。どうやら、先ほど横切って行った女子が歩み寄って来たらしい。


「ちょっと! アヤお嬢様のどこを見ているのよ! 変態!」


 先ほど、僕の事を突き飛ばした眼鏡の子が、僕に覆い被さり、バチッと頬をひっぱたいた。


「痛っ! え?」


 もう、よくわからないが散々だ……。


「ちょっとマリ! 何をやっていますの?」

「アヤお嬢様! だって、この変態が……」

「私には、貴方の方がよっぽど変態に見えますわよ……」

「え?」


 マリと呼ばれた眼鏡の子は、僕に馬乗りになっている事に気が付いてハッと頬を赤らめ立ち上がる。涙目で僕を猛烈に睨んでいるが、何が何やら……。


 アヤお嬢様と呼ばれていた女子は、少し目つきが鋭い感じだけど可愛い子だ。

スラっとしたスレンダーなスタイルに黒く長い髪が似合っている。眼鏡の子は……まだ息を切らせつつ僕を睨んでいる。


 僕は後頭部をさすりながら立ち上がり、アヤお嬢様と呼ばれた子の方をチラッと見る。


「あら? 貴方も白い制服ですのね」


 僕の視線に気づいたのか、彼女は独り言のように呟いた。そう言われれば、眼鏡の子は、スカートはグレーで同じだけど、上着は深い緑色の制服を着ている。一方、アヤお嬢様と呼ばれた子は、僕と同じ白い上着だ。学科の違いだろうか?


「ふ~ん……」


 アヤお嬢様と呼ばれた子は、うつむいている僕の顔を、黒く大きな瞳で不思議そうに覗き込んできた。思わず目が合ってしまった。お母さん以外の女の人の顔をこんなに間近に見たのは初めてだった。

しかも、こんなに可愛い子と……。


 僕は自分の顔が真っ赤になっていくのを感じながら、何とか目を背ける。


「私の名前は、琴葉野コトハノ アヤよろしくね」


 琴葉野さんは、そう言うとニコッと微笑む。やっぱり凄く可愛い……。


「あ、あの僕は……」


 僕の言葉を遮るように、眼鏡の子が琴葉野さんと僕の間に割って入ってきた。


「アヤお嬢様! もう急がないと! こんな変態に構っている時間ないです!」

「そ、そうね……面倒だけど、行かなければいけないわね」

「そうですよ! もうギリッギリですっ!!」

「そもそも、貴方が眼鏡を探してモタモタしていたからじゃないの」

「あ、あれは……アヤお嬢様が、すぐに私の頭に眼鏡が乗っている事を教えてくれないからじゃないですかっ!」


 そういって眼鏡の子は恥ずかしそうに下を俯いた。


「それではまた、後程お会いしましょう。ごきげんよう」


 琴葉野さんは僕に小さく手を振ると、また颯爽と走り出した。


「いくわよ! マリ!」

「あっ! アヤお嬢様! 待ってください!」


 眼鏡の子は僕の方を一瞬睨んだかと思うと、すぐに琴葉野さんを追いかける。


 ――と、思ったら数メートル先で勢いよく転んだ。派手にスカートがめくれ上がる。


「あ……」慌てて目をそらしたつもりだが、もう僕の目はシャッターを切ってしまっていたらしい。

眼鏡の子は、聞き取れない何かを叫びながらも起き上がり、走り去って行った。


「意外にも赤……」僕は、思わず独り言を呟いてしまった。それにしても、未だにウロウロしているのは僕1人じゃなかったあの2人について行けば入学式の会場に着くのでは?


 そう思い、追い掛けようとした所で、いきなり耳元で囁くように話しかけられた。


「あらあら……慌ただしいわね……」

「うわっ~!」


 僕は思わず大きな声を出してしまう。今度は一体何なんだ?


「フフフ……ごめんなさい。ビックリした?」


 振り向くと、そこには白衣をまとった、赤い長い髪の女の人が、腕を組んで立っていた。一体いつの間に近くに来たのか? 音もせず全く気付かなかった。校医さん……にしては若いし、白衣の下は僕と同じ白い制服だ。リボンはせずにワイシャツのボタンが胸元まで外してある。


「あらあら……どこをジロジロ見ているのかしら~」


 その女の人は意地悪そうに微笑む。僕は無意識に彼女の胸の谷間を見ていた事に気が付いて、慌てて視線を外す。


「まぁ、私の魅力に参っちゃうのは健全な男子なら仕方ないけれど~ フフフ……」


 そう言ってその女の人は、僕の方を横目に見ながら暑そうにワイシャツの胸元をパタパタと煽いだ。微かに甘いチョコレートのような匂いが漂ってくる。


 うわっ……なんだ? この人は……。


「今日は暑いわね~ フフフ……」


 ぜ、絶対ワザとやっているよな……。これは、胸ばかり見ていると怒られるパターンだ。僕は視線を下げて気にしない振りをする事にした……。すると、今度は真赤なハイヒールが目に入る。


 え? 背が高いと思ったら、この人ハイヒールを履いているのか! 校内で!


 あまりに意外な事に、ちょっと動揺してしまった。


「ちょっと~ なに1人でオロオロしているのよ~」


 彼女は、呆れたように僕を見ている。何なんだろうか? この人は……生徒じゃないのか? 僕は深呼吸をして平常心を保ちつつ、とりあえず話しかけてみる。


「あ、あの。ぼ、僕は針乃ハリノ タカシです。よ、よろしく」


 そういえば、初めてちゃんと人に自己紹介をした気がする。変な格好だけど、この人も同級生だよな……多分。


「そんなに緊張しないで、針乃君……。私の事はドクター・メイと呼びなさい」

「ド、ドクターって……あっ! お医者さ……」

「違うわよっ!」


 白衣を着ているし、医者かと納得したが、言い終わる前に否定された。


「ドクターって言ったら科学者に決まっているでしょ!」

「か、科学者!?」


 僕は圧倒されつつも聞き返す。


「そうよ! しかも、美人科学者!」


 ドクター・メイは胸に手を当てて誇らしげに答えた。


 ハーフなのだろうか? 確かに目鼻立ちのハッキリした美人だし、目も少し青い感じがするが……。自分で美人って言うなよっ! と、心の中で突っ込んでおいた。


 この学園は勉強のしすぎで、変な人が多いのだろうか? 時間も無いし、あまり関わらない方が良いかもしれない……。


「あ、そうだ! 僕、入学式に……」

「あらあら、やっぱり出席するつもりだったのかしら?」

「あ、当たり前じゃないですか!」

「フフフ……残念ね……もう終わる時間よ?」


 え? 僕は慌てて携帯を取り出し時間を確認する。


「そ、そんな……まだ10時半前なのに……」

「それがね……実は、入学式は9時から始まっていたのよ」

「そんな! だ、だって……案内には10時半からだって……」


 ドクター・メイは何故か顔を背ける。そして、クスクスと笑ったように見えた。


「どうせ、もう今からじゃ間に合わないわ。サボっちゃいなさいよ。フフフ……」

「い、いや、そんな……え? ど、どうしよう……」


 僕は酷く動揺した。最初が肝心だと思っていたのに、入学式をサボってしまうなんて! 折角、特待生として入学出来たのに、入学が取り消しになったらどうしよう……。


「いいのよ……入学式なんてサボっても……」


 赤い長い髪をサッと指でとかしながら、メイは廊下の窓から外を眺める。その視線の先には体育館らしき建物が見える。


「入学式なんて学園長のくだらない話を聞いて、最後に特待生が自慢げに自己紹介をするだけのつまらない式典なのよ」


 それを聞いて僕は血の気が引く思いがした。


「ど、どうしよう……僕は……そ、その……特待生なんですっ!」


 ドクター・メイは振り返り、少し怖い綺麗な顔で言う。


「知っているわよ。だって……ねぇ……」


 そして彼女は意地悪そうに微笑む。僕はひょっとして……からかわれているのか?


「フフフ……面白いわね貴方。本当に……」


 そう言って彼女は僕の近くに歩み寄って来た。さらに甘い匂いが強くなりクラクラする。彼女と真正面から目が合ってしまった僕は、情けない事に蛇に睨まれたカエルのように、体がすくんでしまい動けないでいた……。


「さっきは痛かったわよね? フフフ……可哀そうに……」


 ドクター・メイの目が一瞬赤く輝くように見えた。僕はハッと息を飲む。彼女のすらっとした右腕が伸びてきて僕の後頭部をなでる。吐息を感じるくらい顔が近い。それでも彼女の赤く光る目をそらす事が出来ない。


 まるで時間が止まったみたいだ! 呼吸が出来ない!


「心配しなくても大丈夫よ。私も……」ドクター・メイが耳元で囁く。

「――私も、特待生なのだから。フフフ……」


 そう言って彼女は、ハグをするように僕の背中を軽くトントンと叩いてから離れる。


 ハァハァ……僕は呼吸を整えながらやっと喋る。


「え? 特待生? 君も?」


 僕はとても平静を装えない位、体中から変な汗が滲み出ている。完全に彼女のペースにハマってしまい、この人が何処まで本気で喋っているのか解らない。ドクター・メイは再び窓の外を眺めてニヤリと笑ったように見えた。


「あらあら、やっと……。ほら、もう式が終わって解散したみたいよ」


 体育館につながっているであろう廊下の先から、生徒の列が歩いてくるのが見える。


 何て事だ……本当に僕は入学式をサボってしまったのか……。時間には充分余裕を持って来たはずなのに。一体どうして……。


「さて、私は研究室に戻るとするわ。またね。テンくん! フフフ……」


 え? え? 僕は、頭の中が一瞬、パニックになった。ドクター・メイは白衣をなびかせて、現れた時と同じように、音もたてずに昇降口の方に消えて行った。


 僕は、微かに残った甘い匂いを嗅ぎつつ、呆然と立ちすくむ……。


 なんで……なんで、その呼び名を……??

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