●あの日のメール
そのメールは約2年前……中学2年の1学期に僕に届いた。
今でもよく覚えている。暑くも寒くもない、5月のよく晴れた日曜日だった。昼前くらいにやっと起きてきた僕は、携帯を片手に暇を持て余していた。僕の携帯電話は、スマートフォンなどではなく、いわゆるガラケーという奴だ。メールや写真を撮る機能も一応ついているが、ゲームなどは出来ない古いタイプの物だ。
すると、手の中の携帯から突然音楽が流れて光り出す。何の事は無い、普通のメールの着信なのだが……僕は思いのほかビックリした。なぜなら、僕はこの時に初めて、自分の携帯の着信音を聞いたのだ。
メールの着信……だよな? 誰だろう? どうせ、間違いか悪戯だろ?
心当たりと言えば、小学校の生活指導の先生くらいだ。その先生は僕を心配してくれて、手紙を僕の下駄箱や、わざわざ家のポストに入れたりしてくれた事があった。
でも、僕の携帯のメアドは教えていないので知らないはずだ。じゃあ一体誰が? そう思いつつ、何となく少し期待して携帯を眺める。
たぶん僕は、メールが来た事が単純に嬉しかったんだと思う。
メールの見方が分からず、少しアタフタしてしまう。別に急いで見る必要は無いのに……。
そのメールのタイトルは「お願いがあります」だった。
僕にお願い? いや、これは絶対に間違いだ……。
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タイトル:お願いがあります
このメールは適当なアドレスに送っています。
もし、これを読んでいる貴方が中学生で
何か叶えたい願いや夢があるなら返事をください。
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本文はコレだけだった……。
別に、何もお願いなんて書いてないじゃないか……。
いや、僕の願いや夢を聞きたいって事が、お願いなのか??それにしても、適当なアドレスに送って、たまたま僕の携帯に? しかも中学生なら返事を寄こせってのは出来すぎじゃないか? 返事をさせる事で個人情報を調べるとか、怪しい宗教とかの勧誘かもしれない……。
ここでふと、僕は気が付いた。文章だと相手が嘘を言っているのか分からないのだ!
この僕に送られてきたメールは、本当なのか? 嘘なのか? 凄くドキドキした。
しかし……何か叶えたい願いや夢? 大抵の人はあるんだろう……。
でも僕は……すぐには何も思い浮かばなかった。宝くじが当たったら嬉しいかな?
そりゃ、嬉しいけど……お願いしてどうなる事でもないし、夢とも違うか……。
はぁ~ 僕はしばらく考えた後に、天井を見上げ、大きくため息を付く。
そうか……今まで自分でも気付かなかったけど……。僕は、今のこの生活を本心では駄目だと思っているんだな。
自分の意志で学校に行っていないのに……。本当は今のままじゃ、まともな未来は無いって解っていたんだな……。
でも、何をお願いすれば今の僕の生き方が変わる?僕は、たった1回送られてきた、怪しいメールの文章に心底悩んだんだ。
本当に僕には、何の願い事も夢も無いのか?
――僕は、いつの間にか1時間も悩んでいた。本当に……いろいろと考えた……。
そして、夢ってのはまだ解らなかったけど、願いは1つ見つける事が出来た。それは……失踪した父親が、今、何をしているか知る事だ!
僕の父親は今どうしているんだろうか? 生きている? 他の人と暮らしている?
僕は、メールの返事を出してみた。
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タイトル:REお願いがあります
僕は中学生です。僕の願いは失踪中の父親が
今どうしているのか知る事です。
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送信ボタンを押して、ふぅ~ とため息が出た。そして何故か涙が溢れ、止まらなくなったんだ。今更ながら、父親の行方が気になるなんて……。
それを知ったからといって、僕の今の生活が変わる訳ではないだろうけど……。でも、少なくとも、心の奥底にあるモヤモヤとした後ろめたさのような物が、無くなる気がするんだ。
そう……僕は、父親が居ない事に引け目を感じていたんだ。自分の中で勝手に……。そんな大事な事を、怪しいメールで気づくなんて。
「うわっ!」手に握り締めていた携帯から音楽が鳴りだし、僕は思わず声を上げて驚いた。
メールの返事はすぐに来た。僕は返事を出すのに1時間も掛かったっていうのに……。
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タイトル:良かった、返事が来てくれて!
私、人や物を探すのが得意なの。
貴方のお父さんを見つける事なんて簡単だと思うわ。
でも、それには交換条件があるの。
難しい事じゃないから聞いてほしいの。
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出た! 交換条件! いよいよ本格的に怪しいな……。
「でも……話を聞く位なら大丈夫かな?」僕は思わず、独り言を呟いた。それにしても、文章からして女の子なのか? 僕が女の子とメールをしている?
「ははは……」乾いた笑いが自然と出て、ふと我に返る。
いやいや、騙されないぞ……TVで見た事がある。これはどこか怪しいサイトに誘導されるに違いない……。相手も実際には男かもしれないし……気を抜けない。
僕は少し考えて返事を書いた。
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タイトル:交換条件って何?
僕はただの中学生。君の力になれる事なんて何も無いと思う。
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携帯をじっと睨みつつ待つが、今度の返事は遅い。何だ……まだかな。もっとやる気のある事を書けば良かったかな?僕は初めてするメールのやり取りに、勝手がわからず戸惑っていた。
10分程してから返事が来た。さすがにもう着信音には驚かない。
それにしても相手が女の子だと意識しただけで、妙に興奮している自分に、驚いている。自分自身にそんな感情があるなんて思ってもみなかった。見ず知らずの怪しい誰かからのメールなのに……。
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タイトル:交換条件なんだけど……
私と同じ学校に入学して欲しいの。
そして、私のお願いをきいて欲しいの。
私が入学する学校は、私立山ノ上学園よ。
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「え? 山校?」僕は珍しく大きな声を出した。私立山ノ上学園、通称「山校」は、この辺の地区で1番レベルの高い学校だ。確か全寮制の学校で、有名な政治家なんかも輩出しているとか……。
このメールの相手も、この辺に住んでいるのか?
いや、山校は全国的にも有名な学校で遠方からも優秀な学生が集まるんだ。
「この辺に住んでいるとは限らないか……それにしても僕が入れるレベルじゃない……」
僕は、ブツブツと独り言を呟いていた。1年近くも授業を受けていないので、勉強はサッパリだが、実はちゃんとやれば、それなりに出来る自信はあった。むしろ小学生の時は、成績は良い方だったのだから。
でも、それでも……山校は無理だよな。勉強以前に学費も掛かるし……。
そうだ、ウチにはお金が無い……私立の学校なんて絶対無理だよ。
僕はメールの返事を出した。
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タイトル:それは無理だよ
ウチは貧乏で高校に行けるかも分からないんだ。
私立の学校なんて無理だよ。
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今度は1分もせずに、すぐ返事が来た。リアルタイムで僕の相手をしてくれている人がいる。しかも、それが同世代の女の子らしい……。凄く楽しいけど、照れくさいような、何とも言えない感情が自然と込み上がって来る。
早速、返事を見る。
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タイトル:それなら大丈夫
山ノ上学園には特待生の制度があるの。
特別な推薦状があれば、学費も試験も免除で入学できるのよ。
毎年10人が特待生として入学しているわ。
そして、私は貴方の為に推薦状を用意できるの。
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うぅ……僕は顔が引きつるのを感じた。そんな、ずるい推薦状なんて物が存在するのか? それがあれば僕でも入学できる?
いや、ただでさえハイレベルな学校なのに10人だけだ。そんなに簡単に入手できる物じゃないだろう。さすがにハードルが高い気がした。中学校でさえ、まともに行けていない僕に……。でも……でも……無料? いや、この話自体が嘘臭いぞ? こういう上手い話には絶対に裏がある。この辺に住んでいる中学生を狙った、詐欺とかの可能性が高いのではないか?
それにしても、山校に無料で入学できるなんて……。もし本当の話だとするなら、それは物凄い親孝行になる気がする。でも……やっぱり怪しすぎるよな。
何も返事を打てないでいると、またメールが来た。
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タイトル:決断して!
私の名前はミキキ。今、中学2年生よ。
お願い! 山ノ上学園に来て!
もちろん、貴方のお父さんの事も調べておくわ。
きっと見つけてあげられると思う。
お願い! 今、決断して!
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ミキキ? ハンドルネームって奴かな? 可愛いな……。
思えば、僕はこんな風に、人に何かをお願いされたのは初めてかもしれない……。それにしても決断か……。僕の人生の中で、何かを決断した事なんてあっただろうか?もし、本当の話なら凄い事だよ。あの山校に試験も無しで入れるなんて。
でも……普通に考えて、そんな上手い話なんてある訳がない。引きこもりの中学生だって、それくらいのことは分かる……。でも……今、決断しなきゃいけないのか?
先の見えない今のままの生活を続けるか、騙されるかもしれないけど、本当だったら夢のような話に乗るか……。
僕は意を決して、返事を出した。
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タイトル:解ったよ
僕の名前はテン。君と同じ中学2年生だ。
本当にそんな凄い推薦状があるのなら山ノ上学園に入学するよ。
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テンと言うのは僕の小学生の時に一瞬だけあった、あだ名だ。
まぁ、色々考えても仕方ないよな……。
嘘だったとしても今までの生活と変わらないだけだ……。いや、自分の中の「わだかまり」って奴を理解できたって事では、意味はあったかもしれない。もし推薦状の話が本当だったとしたら、それはそれで凄い事だし……。
それにしても、同じ年の女の子とメールで約束か……。多分、僕はニヤニヤしていたと思う。
メールが来た!
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タイトル:嬉しい!
約束よ! テンくん! 待っているから! 絶対だからね!
私も約束を守るから、中学校生活を頑張って!
そして、山ノ上学園で会いましょう!
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このメールにはファイルが添付されていた。ポニーテールの女の子が笑顔で小さくガッツポーズをしている画像だ。
この子がミキキなのかな? 幼い感じで、僕より年下に見えるけど……可愛い子だった。
僕は、すぐに返事を出した。でも、もう……いくら待っても返事は無かった……。結局、このメールがミキキと名乗る子からの最後のメールだったんだ……。
推薦状の話なんて悪戯かと半信半疑だったけど、次の日にはそれが本当の事だとわかった。中学校の校長先生と教頭先生が、僕の家に物凄い剣幕でやって来たからだ。校長先生は、とにかく信じられないという感じで母と僕に推薦状の話をして帰った。
そう……ミキキの話は本当だった。
それにしても、最初から、僕の本名も住所も知っていたのだろうか?いくら何でも行動が早すぎて恐ろしくなった。でも、だからと言って何だというのだ? 引きこもっていた僕に、大きなチャンスをくれた事に間違いはない。
それに僕は、自分の意志で決断したんだ!
そして中学3年の2学期に、特待生として入学できる案内書が本当に家に届いた。
ーーいや、正確には黒いスーツの男の人が訪ねてきて、直接手渡してくれたんだった。その黒スーツの人は、お母さんと玄関先でしばらく話をした後に、僕の事を呼び寄せた。そして、僕をハグして頭を撫でながら「おめでとう」と伝えて帰って行った。
僕は呆気に取られていたけど、その時のお母さんの喜び方は気が触れたみたいだったな。
あの時のちょっとしたメールのやり取りが、僕の人生を180度変えてしまった。山ノ上学園での生活……これからが、本当の僕の使命が始まるんだと思う。
ミキキのお願いと、僕のお願い。どうなるのだろうか?色々考えると、不安で一杯だったけど、ある1つの楽しみがそれを上回っていた。
そう……ミキキに会える!