●入学式当日
タクシーに乗るのなんて何年ぶりだろうか?
窓から景色を眺めながら、ふと、そんな事を思った。
考えてみればお母さんと一緒に出掛けるのも久しぶりだ。
随分と長い坂道をタクシーは静かに登っていく。
「荷物は送ってあるからね。寮生活、しっかりね!」
隣に座るお母さんが僕に話しかける。
「聞いているの? タカシ!」
「うん……頑張るよ」
僕は、適当に返事をして窓の外を眺める。桜の花びらが雪のように舞っている。
程なくしてタクシーは、赤いレンガ作りの歴史を感じさせる門を通り過ぎていく。
この先が、僕が本日入学する学校「私立山ノ上学園」だと看板が出ていた。
僕は面接もテストも全て免除だった為、今日初めてここに来たのだ。
あ~ いよいよ緊張してくる……。
慣れないタクシーに酔ったのかもしれない。少し窓を開けて風を入れる。
数日前に伸びきっていた髪を切り、すっきりした頭が少し寒く感じる。
人付き合いの苦手な僕は、新しい学校での生活に不安を感じていた。
今日から寮生活か……友達とか出来るかな……。
それに……ミキキに会えるのかな……。
「いや~ 山校に入学出来るなんて凄いお子さんで……」
タクシーの運転手がお母さんに話しかける。
よせばいいのに、お母さんは自慢気に僕の事を話し始める……。
まぁ、お母さんには随分と迷惑を掛けたし、喜んでもらえるのは素直に嬉しいけど……。
私立山ノ上学園……通称「山校」は、この地域の人では、知らない人が居ないくらい有名な学校だ。
もちろん成績もトップクラスの超難関校で、正直、僕自身、未だに入学出来たのが信じられない。
僕はお母さんに気付かれないように、こっそりと携帯を取り出し「ある画像」を眺める。
そこには可愛いポニーテールの女の子が笑顔で写っていた。
この子がミキキだ。たぶん……。
彼女には実際に会った事は無いけど、僕を山校に入学出来るように導いてくれた。
中学の時に、何もする気が起きなくて不登校になっていた僕を、メールで励ましてくれた。
――いや、励ましてくれたのとは違うかな? お願いされたんだっけ……。
メールでミキキと名乗った彼女も、今日から山校の生徒のはずだ。
「僕は、約束を果たしたよ……」窓の外を眺めつつ、僕は小さく呟いた。
入学式が終わったら真っ先にミキキを探そう。
ミキキは恩人でもあり、僕が山校に入学する理由でもあるんだ。
あの時に僕がした、お願いも気になるし……。
僕はタクシーの中で、中学に入学してすぐの頃を思い出していた……。
当時の僕は、人と面と向かって話をするのが、嫌で嫌でたまらなかった。
何故なら……僕には、人の嘘を見抜く、特別な力があったからだ……。
人が嘘をつく時に、目が一瞬赤く光る事に気が付いたのは、小学校に上がる前だっただろうか?
僕は、その事を何人かに教えてみたけど、誰も信じてくれなかった……。
いや、他の人には赤い光なんて見えないのだろう。
すぐに、これは僕だけの特別な力だと気が付いた。
そして、この力が幼い僕を苦しめた……。
なぜなら、世の中のほとんどの人が、嘘つきだと解ってしまったからだ。
だから小学生の頃は、なるべく人の目を見ないように気を付けて学校へ通っていた。
しかし、中学校に入る頃、僕は何となく家庭の事情って奴を理解してしまったのである。
そう……薄々気が付いてはいたけど……ウチは貧乏だったんだ。
僕の家は母子家庭だった。
父親は、僕が産まれる直前に何処かへ行ってしまったらしい。
小学生に上がる前から、お母さんは仕事で忙しかったし、持ち物や着るものなど、新品で買ってもらった事もない。
家も友達に見せるのは恥ずかしいレベルのボロアパートだった。
考えてみれば、当たり前の事だったと思う。
収入はお母さんのパート代だけで、支援をしてくれる親戚もいないみたいだった。
小学生の頃は、単に嘘を言って騙しているようにしか聞こえなかった言葉も、中学になってからは、みんなが僕に気を使ってくれている事に気が付いた。
「古着も悪くないよね~」
「何でも物を大事に使って偉いね~」
「間違ってノート多く買っちゃったから、使ってよ~」
皆、嘘を言っていたけど……悪気があった訳じゃなかった。
本当は優しかったんだ。
でも、僕にはそれが辛かった。
悪気がある嘘には耐えられたけど、優しい嘘にはなぜか耐えられなかった。
別に勉強についていけないとか、仲間外れにされたとか、そういった事情があった訳ではないのだが、僕は学校に登校する日が急激に減っていった。いわゆる不登校という奴だ。
当時の僕は、この世から消えてしまいたいと本気で思っていた。
――いや「あの日のメール」が無かったら実際にそうしていたかもしれない……。