悲しい思い出ですわ
*三年前
あの日、私はいつもより早めに仕事を終えて混雑する電車で帰路を急いでいた。
大学時代からずっと付き合ってきた恋人から、明日からしばらく出張で会えないから今夜は少し良いレストランで食事をしようと誘われていたからだ。
(今日は残業せずに出てこられたから、一度着替えて化粧もきちんとして行こう)
彼とは同棲している訳ではないが、自宅住まいの彼が私のワンルームマンションに入り浸っている。彼の日用品のほとんどは揃っているような間柄だ。
だから普段着とノーメイクで過ごすことが多い。
せめて今日は綺麗にしていきたいと急いでいた。
待ち合わせまでにはまだ三時間近くある。
チラリと彼からのプレゼントの腕時計に視線を走らせてから部屋の鍵を開けた。
途端に――
狭いワンルームだ。奥の部屋の声など玄関まで筒抜け。
「明日からしばらく会えないなんて、寂しすぎるわ」と女の甘える声。
「毎日連絡するから、ほら、今は俺のことだけ考えて」と男の声。
睦み合う甘いささやきが聞こえてくる玄関で、私は立ちすくんだままグレーベージュ色のハイヒールを眺めていた。
そっか、と。
この靴は、私の従姉妹のサキの靴だ。
先月私のマンションに泊まりがけで遊びに来た時、彼のことを紹介した。
「わあ、菜央ちゃんの彼、素敵だね。美人の菜央ちゃんとお似合いだし親戚になれるの、楽しみだわ。早く結婚してね!」
なんて祝福の言葉を贈ってくれたのにね。
それで? あなたはこの後何食わぬ顔して私と食事に行くつもりなの?
それで? サキはこれからも従姉妹として仲良くしていくつもりなの?
昨日あんなに優しく抱きしめながら「毎日会ってると、会えないのが我慢できない」なんて出張に行きたくないと嘆いていたのは演技だったの?
サキの彼氏も負けないくらい格好いいんだよ、なんて話題に出していたのは嘘なの、本当なの?
何もかもが……わからない、信じられない。
その間にも二人は甘い時間を重ねている。
「サキの方が好き?」
ささやきの間に何度も問いかけるサキに、彼は何度も応じる。
「ああ、ああ、もちろん。菜央とは腐れ縁のようなものだ。サキの方がずっと綺麗だ」
立ちすくんで足の動かせない私はそんな馬鹿げた睦言を何度も繰り返し聞かされる。
心が崩れるような音が耳の奥に響く。




