現実の出会いの続きですわ
二十九年も生きてくれば、それなりに人生には山も谷もある。
今の私はどちらかと言えば谷にあるのかもしれないが、それでも毎日は平穏に過ごしているから、まあ多少のでこぼこはあるが平地といったところかもしれない。
今の日々の楽しみは、スマホアプリの恋愛系ゲームをすること。
人に話せばきっと寂しい喪女だと涙されてしまうだろう。
だからこの趣味はひたすら秘密。
朝起きたらまず、アプリを起動する。今は戦国武将、帝国の王子様、アメリカのセレブと恋をする三種類のアプリを進めている。
本当は仕事中だってゲームを進めたい。特に特別なイベントが開催されていると、早くやりたくて仕方ないのだ。残業なんてもってのほか。
その日の朝も、武将と王子とセレブと会ってから出勤をした。
「今日からお世話になります成瀬春人です。総務は初めてですので、どうぞご指導のほど、よろしくお願いいたします」
元気さと爽やかさを兼ね備えている挨拶は、さすが営業を経たからだろうか。それともまだ二十五歳という若さ故なのか。
(四年前の私もあんな風に輝いていたんだろうか)
彼の挨拶を聞きながら、たった四年ですっかりくたびれた気持ちになっている自分に苦笑する。
仕事をしている時には常に愛想良くを心がけている。周囲を不機嫌にしたところで何一つメリットなどない。心の中で悪態を吐こうとも、いつもニコニコ笑顔。だからその時もいつものように優しい笑みを浮かべた。
「指導を担当する柴崎菜央です。よろしくお願いします」
「はい、成瀬です。慣れないことばかりですが、どうぞご指導お願いします」
(これまた男前の好青年が来たことだね。きっと女子社員には今頃すでに情報が回ってるんだろうなぁ)
一応、一流の上場企業として有名な藤が崎商事に勤める社員の多くは一流大学出のエリートが多い。それを狙う女子社員は、野生の鷹もビックリの素早さで独身男性社員の情報を入手し、拡散する。
独身男性に特化した情報ならば、そこいらの産業スパイよりもよほど正確で迅速な情報が出回っていることだろう。
その力を仕事に使ったらどうなの、とすっかり恋愛から遠ざかっている私は思うのだが、できるだけ若く美しい間に婚活をしたい女子にとっては、死活問題のようだ。
目の前の新入りの社員、成瀬春人は、本当にかっこいい男だった。
柔らかそうな少し茶色味かかった髪と、背が高いので、一見華奢に見えなくもないが、スポーツをしていたようなしっかりとした腕をしている。整った目鼻立ちと印象良く見せる口元の笑み。育ちの良さが表れている。
(これはモテそうね。あんまり近づかないでいたほうが賢明だね)
女子社員からの妬みほど面倒くさいものはない。それも本当に恋人ならば妬まれるのも構わないけれど、ちょっと側にいるだけで睨まれたりするタイプの妬みだけはご免被りたい。
今の私は三次元になど興味はない。二次元、それもスマホの中にしか興味はないのだから、不要な火の粉は被りたくない。
「資料を渡しますね。総務課としての流れと、あとは書類関係です。ざっと目を通してもらってわからないところは聞いて下さい。事務関係のことは追々、その都度説明します。遠慮しないでくださいね」
もう一度ニコッと笑って見せると、相手もニコリとこれまた好感度の高い笑顔を返してくれる。
その笑顔に私はもう一度誓う。
(うん、絶対に近づかないでいよう)
それは女子の心を大いにくすぐる神笑顔だった。